■  きっと、とろけるように甘い    ■


 手袋に包まれた手がスプーンをかたむけて、その口の中にスープを流しこむ。八重歯と赤い舌がちらりとのぞいた。シャツの襟の間で喉仏が上下する。
「どうした? 口に合わなかったか」
 ヤマトがテーブルの上に落としていた視線を上げて俺を見た。
 かぶりを振って、自分の前に置かれた皿にスプーンを差し入れた。口に含んだポタージュが舌の上に広がる。じゃがいもの甘い味がした。
 唾液で薄まったそれを飲みこんでから、怪訝そうな顔をしているヤマトに俺は少し笑ってみせる。
「ううん、お前が食べるの見てただけ」
 そのひとみに茶目っ気をにじませて、なるほどとヤマトがうなずいた。
「フフ、私を毒味役にしようとは君もなかなか良い性格をしている。安心したまえ。今のジプスはそのような不届き者を飼ってはいない」
「お前ね、せっかくのメシがまずくなるような冗談言うなよ。……そういえば、今日ってお前の誕生日だからこんなフルコースみたいなメニューなの。まさか普段からこうじゃないだろ」
 いつかの仲間そろっての晩餐会もこんな感じだったかと思い返しながら訊けば、それこそまさかだ、とヤマトは肩をすくめた。水を注いだグラスに口を付ける。
「食事そのものに時間を費やす趣味はない」
「だよねえ」
 じゃあこれは? 目で問えば、グラスを置いたヤマトは呆れた顔をした。
「お前には客としての自覚がないのか。お前をもてなすため以外の何だと思ったんだ?」
「こういうの好きじゃないなら、気ぃ使ってくれなくても良かったのに。むしろ、今日はお前が主賓なんだから」
 給仕をしてくれている局員の人が肉料理の皿を置いて、グラスに水をつぎ足した。目礼をした俺の向かいでそれを空気のように受け入れているヤマトが、まるで当たり前のような顔で言う。
「君と差し向かいになってくつろぐ時間だと思えば無駄ではないさ」
 お前それハタから聞いてたら紳士ぶったタラシの発言だからね。浮かんだツッコミは頭の中に留めておく。
 俺含めた他人を喜ばせたいとかそういう思考回路がほぼ死滅しているヤマトが口にする好意的な台詞は単なる本心だ。わかっているから、俺はうんとうなずくに留めて話題を戻す。
「……メニューの話じゃないけどさ、お前って八重歯あるよなって思って見てた。ちょっと意外。矯正とかしなかったんだ?」
 テーブルの向かいから覗きこむようにすれば、ああ、とヤマトは息を吐いた。
「再生の効かない部位を失えば、その分だけ霊力を留め置く器が削られる。整えられた歯並びはその人間の階級をわかりやすく示す物差しではあるが……峰津院の人間にとっては、見栄えをそれらしく整えることによるメリットよりも、抜歯によって失われる霊力のほうがよほど重要だ」
「俺、お前が八重歯出して笑うの好きなんだよね。こればっかりはお前んちの実利最優先すぎるところに感謝しとく」
 テーブルクロスにほおづえをついて笑えば、行儀が悪い、とまるで出来の悪い生徒を諫める教師のような口調でヤマトは俺をたしなめた。
「言っておくが、人が食事をしている様を凝視するのも褒められた振る舞いとは言えんぞ。その人間が施されている躾から、他者はその者が生きてきた、そして今生きている環境を推し量る。こんなつまらんことで君が余人の侮りを受けては、それこそつまらんからな」
 素直に俺はひじを下ろす。よろしいと言わんばかりにヤマトはうなずいた。ナイフとフォークを手に取って、赤い肉汁をにじませる肉の一切れを口に運ぶ。
 今度はヤマトの食事を邪魔することのないように、肉の脂に濡れたくちびると、ちらりとのぞく犬歯をこっそり俺は盗み見て、ごくりとつばを飲みこんだ。
 最後に赤い果実のコンポートを口にしながら、視線に気づいたわけではないだろうが、ふとヤマトが俺を見た。
「今日は泊まっていくのか?」
「ああ、うん、そのつもり」
「そうか。ならば、後で部屋を用意させよう」
 食後のコーヒーを俺とヤマトの前に置き、給仕をしてくれていた人が部屋を出て行く。小さなカップを手に取って香ばしい香りを吸いこんだ。口を付け、熱い液体を一口飲みくだす。
「……いいよ、別に。ヤマトの部屋で寝るから」
 ああ、そうかと納得したようなヤマトの返答を聞きながら、もう一口。苦みに慣れると、砂糖も入れていないのに酸味以上に甘みが強い。今ばかりはヤマトの顔を臆面なくは見られずに、俺は黒い水面に目を落としたまま、カップの中身をゆっくりと飲みくだした。




 シーツの上に組み敷かれて身体を揺らされながら、ぼうっとその顔を見上げる。
 目尻をうっすら赤く染めて、あごの先から汗をしたたらせて、ヤマトは俺をむさぼっている。それとも俺の身体がヤマトをむさぼっているのか。
 なるほど、と思いながら締めつけてみればヤマトが低い声でうめいた。
 少し眉を寄せた面だちは同じ男とは思えないほど整っている。黙って冷たい目をして立っていれば、プロが精魂こめて作り上げた精巧な人形のように美しい。
 それでもヤマトは生きた人間だ。
 シャツをはだけた胸は大きく上下しているし、俺の腰をつかむ手のひらは汗ばんでいる。どんなに刺激したところで濡れることのない俺のなかがぐちゃぐちゃと大きな水音を立てるのは、そこを出たり入ったりしているヤマトのものが濡らしているからだ。
 そう思うことが、与えられている痛みも快感も、何もかもを上回って俺を高ぶらせる。
「ヤマト……、ッ」
 名前を呼んで手を伸ばせば、目を細めたヤマトが少し身をかがめて、俺の腕をその汗ばんだ首へかけるように引き上げてくれた。つながった状態で少し浮いた背を抱かれ、一気に上体を起こされて、開いたひざの上に抱え上げられる。
「あ、あ、あっ、ヤマ、トぉ……」
 ずぶずぶとヤマトの上に腰が沈みこむ。へたりこんで動けないまま、中をぐずぐずとかき回されて、俺はたまらず喉を反らした。
「おかしくなりそうだ」
 かすれた声でヤマトがささやいた。喉に熱い吐息がかかる。はあ、と俺も大きく息を吐いてヤマトを見下ろした。
「口、ちょっと、寂しいんだけど」
 俺を見上げるヤマトの目がベッドサイドのランプの灯りを受けて光っている。大きく開けられた口の中、まるで食事の時のように赤い舌が伸ばされるのが見えた。たまらず身をかがめてむしゃぶりつく。
 ちゅっと音を立てて舌を吸われる。ぬるりとこすり合わせられたと思ったら、何度も甘く歯を立てられる。とがった歯先がやわい痛みとともに食い込んで、ぞくぞくと背中を駆け上る電流のようなしびれに俺は身体をふるわせた。
「んっ、んん……んぅ……」
 自由に口がきけたなら、そのままもっと、強く噛んでと口走っていただろう。代わりに絡めた腕と脚に力を込めた。
 背中に這わせた指に大きな裂傷の跡が引っかかる。ああ、また増えた。
 いっそうしがみついた俺にヤマトが余裕のない顔で眉根を寄せた。ぎゅうぎゅうと腰を押しつけて、身体を揺らす。
 びくりと中で動く感覚があって、ヤマトが口を合わせたまま小さくうめいた。
 強く舌を噛まれる。鋭い痛みとともに、口の中にうっすらと錆びた鉄の味が広がった。引きずられるように上りつめる。
 ヤマトが薄く口を開けた。そのくちびるの間から舌を引き抜いて、俺はぐったりとひたいをヤマトの肩に預けた。互いの腹が、俺の吐きだしたもので濡れている。
 しばらく二人して荒い息を吐いて、先に落ちついたのはどうやらヤマトの方だった。
 大きくため息をついてから、俺の上体をぐしゃぐしゃのシーツの上に横たえて身体を引く。ずるっと引き抜かれて思わず身体がふるえた。
「……大丈夫か?」
「上と下、どっちの心配?」
 少しヤマトは顔をしかめてから、両方だと答える。俺は思わず笑ってしまってから、べーっと舌を出してみせた。
「どう? 別にそんな痛くはないけど」
「フム……」
 真剣な顔で顔を寄せ、こちらを覗きこむヤマトのくちびるが俺の血で汚れている。
 呼吸を一つ。ほんの少しの距離をすばやく詰めて、リップ音をたててくちづけをした。
「ッ……おい!」
 舌を這わせなぞるようにして舐め取れば、ヤマトが目の前で切れ長のひとみを丸くしている。
「ごめん、おべんとついてたから」
 たまらず小さく笑い声を立てて言えば、ますますヤマトが困惑した顔になった。
「何がしたいんだ、君は……」
「俺、お前が食べてるところを見るのがすごく好きなんだ」
 腕を伸ばして、形のいい頭を引き寄せる。汗で少し湿った薄い色の髪に鼻先を突っ込んで、洗髪料の香りにうっすらと混ざり込んだヤマトの匂いを吸いこんだ。その耳もとにくちびるを寄せてささやく。
「もう一回しようか、ヤマト」


 むさぼってむさぼられながら、俺はあまり回らない頭でぐるぐると思考を巡らせる。
 食べること。食べられること。こうしている間、その二つはまるでひとつの事柄になる。
 俺の胸を舐めるヤマトの髪を引けば、うっすらと上気した顔が俺を見た。
 泣きたいくらい満たされた気持ちで俺はその鼻先にくちづけて、それから軽くかじりつく。閉じた目尻にじわりと涙がにじんだ。
 そういえば、あの日死にゆく男から渡された飴を、お前は口にしたんだろうか。それともその味を知ることのないままに、あの八日間ごと失ったのだろうか。
「どうした? どこか、辛いのか」
 動きを止めたヤマトのいたわるような声に、黙って首を振る。
 この世界にいつかお前が喰われてしまうのなら、その前に――口にする気もない夢想を舌の上に転がしながら、俺はヤマトにキスをした。




Fin.

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