■  まれなる青、その向こうに  ■


 全面ガラス張りのエレベーター壁面から、ビルの下へと視線を向ける。
 かすむほどに遠く見える眼下の街並みに、ふっと思わずため息がこぼれた。
「何か気になるものでも見つけたか、佑人」
 扉に体を向けていたヤマトが、ちらりとこちらに視線を投げてくる。俺はゆるく首をふった。
「いいや、何でも」
 ポン、と耳にやさしい電子音とともに、エレベーターの扉が退いていく。
 摩天楼の中心に建てられた新たなジプス拠点は、あきれるほどの超高層ビルだ。下界の喧噪は遠く、上層階のほとんどは、かすかな空調の音までもが聞きとれるほどの静けさに満たされている。
 例に漏れず静まりかえったその廊下に、かつかつと小気味よい革靴のかかととやわらかなスニーカーのゴム底、異なるふたつの靴音がひびく。
「今日の会合が正念場だ。わかっていると思うが、今回ばかりは君にうたたねをさせる余裕はないぞ」
 黒いコートの背中に従って歩きながら、俺は頭の上で両腕を組んだ。くちびるの端を引き上げ、苦笑で応じる。
「わかってるって。だいたい俺だって、そりゃあ寝るのは好きだけど、身内以外のいる場所で寝こけてたこととか、ないだろ」
「ハハハ、冗談だ。長丁場になるが、……」
 片面がガラス張りの廊下は、強い陽光に満たされている。その日ざしが、笑いながらこちらをふり返ったヤマトの輪郭を白くふち取った。まぶしさに思わず目をほそめる。
「おや……これは」
 少しおどろいた顔で、ヤマトが足を止めた。
「ん、どうかした?」
「知らなかったぞ。光が当たると……お前の目は青みが出るのだな、佑人」
 にわかに興味をにじませた無遠慮な視線に、思わず身をのけぞらせる。
 ヤマトの右腕が、引きかけた俺の動きを制するように後ろ頭へと伸びた。かけられた手で、逆にぐいとヤマトの方へと引き寄せられる。
 至近距離でまじまじと顔をのぞきこまれ、俺はひかえめに抗議を試みた。
「あのさ、ヤマト、ちょっと近い……」
「珍しいが、良い相だ」
 満足したのか、ヤマトは笑っておもむろに手を放した。悪戯めいた口調で付け加えてくる。
「もしかすると、お前の魂の色が透けているのかもしれんな」
「タマシイって……えーっと」
 まさかコレは、アナタの余命が見えますとかなんとか、そういうちょっとイっちゃってる系の電波的なアレなのか。あ、いやいやヤマトは、いわばモノホンの霊能力者なわけだから――ヤマトの発言から一瞬のうちに脳内で繰りひろげられたいささか失礼な思考の流れを、これまたヤマトがさえぎった。
「ああ。誇り高く優れた者の身のうちに流れると言われた血潮の色さ。かつてこの国を治めていた愚者たちからは、とうの昔に腐り落ち、失われた、尊き青だ」
 幸いなるかな、想像とは違う方向性の、そしてそれはそれで受け入れがたい解説に、俺は安心半分あきれ半分で脱力した。深々とため息をつく。
「……相変わらず大げさだ、ヤマトは」
「何が大げさなものか。君こそ、相変わらず己の価値を正しく理解していない」
 不服そうに眉を寄せる相手に苦笑してから、ふと思いついて、俺はからかいを含んだ笑みを刷いた。
「ああ、でも……ヤマトの言うことも、あながち単なる言葉遊びってわけじゃないのかも。だってほら」
 今は、きっちりと白い手袋に包まれた手首をつかむ。くるりと仰向けにしてすばやく手袋のすそをまくり上げ、皮膚のうすい内側を陽にさらした。
「すごく綺麗な青だ」
 日に焼けていない白い手首に浮かぶ、幾筋もの青い血管。ふと、そのうちの一本に親指をすべらせた。そっと力を込めれば、指先に、目の前の男が生きている、そのたしかな脈動を感じる。
 心臓の音は人を安心させると言うけれど、負けず劣らずこの小さな動きが、ひどくあたたかく大切なもののように感じられた。
 指の下で動く血脈のふるえを数えながら、ゆっくりと息を吸う。いち、にい、さん、し……
 ふと感じた違和感に、俺はまばたきをした。やけに、脈拍が早い。
 怪訝に顔を上げれば、白皙にわずかな朱を載せて、ヤマトが顔をこわばらせていた。
 わずかに、うすいくちびるがおののいている。首と耳たぶもよくよく見ればほの赤い。
「……ヤマト?」

『徒然』のあやさんよりの強奪品

「そ、その。……放してくれないか」
 思わず凝視していると、佑人、と急かすように名を呼ばれた。
「どうした。聞いているのか?」
「ええっと……うん、聞いてない」
 そのひとみに宿った希少なゆらぎを見たとたん、解放してやる気が失せる。
 ヤマトは絶句したようだった。わずかな沈黙の後、気を取り直したように咳払いをする。
「何をフザけて……手を放せ、佑人」
「シャラップ!」
 思わず自然な笑みがこぼれた。そのまま、ぐっとヤマトの手首をにぎりなおす。
「さー、行くぞヤマト。トップが遅れちゃ示しがつかない。だろ?」
「当たり前だ、いや、それはそうだが、そうではなく」
 めずらしくもあわてたその様子に、俺は心底から声を立てて笑った。

 ああ、そうだ。お前が俺のうちに価値あるものが流れていると言うのなら、応えよう。
 お前のなかに芽吹いた他者と寄り添う『可能性』が、俺の姿をしているのなら。
 かつてポラリスの前に力を示したように、人と人の手がつないだ信頼と、その向こうから集う力を、俺はお前に示しつづけよう。
 それもまた強さなのだと、笑って、お前のとなりを歩いていく。
 きっとそれが、ヤマトを選んだ俺の果たすべき、たったひとつの尊い義務だ。





Fin.

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