■  一兎の追うものは  ■


 はあ、と凍える指先に息を吹きかけた。
 基幹駅のロータリーは、積もった雪におおわれて道路まで白一色に染まっている。
 ぶあつい雲におおわれた空は低く暗い。暖を取ろうとこすりあわせた手に白い雪片がひとひら落ちて、俺は顔を上げた。
「やっと、降ってきたな」
「ん……そうだね」
 となりに立つジュンゴが、白い息を吐きだしながら同じように空を見上げた。降りはじめた雪の勢いは、そうして見ているうちにもどんどん激しくなっていく。
「……これで、そろそろ出てきてくれるといいんだけど。さすがに風邪引きそうだ」
 討伐対象の出待ちになるかもしれないことはわかっていたんだから、やっぱり手袋をしてくるべきだった。
 少しばかり後悔しながら、ためいきを吐く。手袋をつけていてはとっさの携帯の操作に差しつかえるかと思って置いてきたが、普段からヤマトが使っているような薄手のものだけでもずいぶんマシだったはずだ。
「ユウト、大丈夫? よかったら……」
 表情をくもらせ、頭にかぶった帽子に手を伸ばしたジュンゴに俺はかぶりをふった。
「ジュンゴだって寒いだろ」
「でもジュンゴ、丈夫だから」
「いいっていいって、頭なら……ほら、これかぶるからさ」
 コートの後ろ襟に手を突っこんで、下に着こんだパーカーのフードを引っぱりだす。
 ああでも視界が狭くなる、と気づいて逡巡したところで、背後からウィーンと軽いモーター音がした。二人そろって、そちらへと首をめぐらせる。
 少し離れた歩道ぎわに、和風の飲食店らしき名を車体の横腹に載せたワゴン車が止まっていた。その運転席の窓が開いている。そこから、自分たちとそう変わらない年頃の男性が顔をのぞかせた。
「ちょっと――そう、そこのアンタたち」
 ジュンゴが小首をかしげて自分の顔を指した。見知らぬ彼は、幾分眉を寄せてうなずいた。
「もう一時間はそこで立ってるような気がするけど……何か事情でもあるわけ? また雪も降ってきたし、身体こわすよ」
「あー、心配してくれてありがとう。でも俺たち、まだしばらくここから動けないんだ」
 首をふって返せば、青年はうーんと小さくうなった。
「移動できないっていうなら、後ろの席が空いてるから、もし良ければ入って待ってたら? それでアンタたちの用事に差し支えがないならだけど」
 ジュンゴがぱちぱちとまばたきをした。
「……いいの? ありがとう。このままじゃ、ユウトが風邪引いちゃう」
 俺が何かを言うより先に、くちびるをほころばせたジュンゴが歩きだした。青年が破顔する。
「おう、こっちも人数いたほうがあったかいしさ」
 身軽に車から雪の上に降りた青年が、後部座席の扉を引き開けた。よいしょと乗りこんだジュンゴに続いて、つもりかけていた肩の雪を払って、俺も車内に入らせてもらう。
 強めに暖房を効かせた車内は暖かく、ほっと、こわばっていた身体の力が抜けた。後部座席のさらに後ろには荷を載せるスペースが広く取ってあって、大きく息を吸うと、ほんのかすかに海産物の匂いがする。腰を落ちつけると、俺は改めて礼を口にした。
「ありがとう。正直凍えそうだったから、助かった」
「気にすんなって、俺も、うちのおやっさんを迎えに来て待ちぼうけしてるところだから」
「俺たちより前から?」
「そう、そろそろ二時間になるかな。西の方まで仕入れに行ってんだけど、この天気でダイヤがぐちゃぐちゃになってるみたいで……」
「大変だね」
 あいづちを打ったジュンゴに、青年が苦笑した。
「ガンコなんだよ。いろいろ物騒なご時世だし取り寄せりゃいいじゃんっていつも言うんだけど、店で使うなら、取引の最初は自分の目でたしかめるのがプロの料理人ってモンだーって聞かなくて」
 少しうれしそうに、ジュンゴがうなずいた。
「ん……ジュンゴの親方も、素材はだいじだっていつも言ってた。ええと、……」
「あ、俺? アキトってんだ」
「アキトのおやっさんも、いい料理人」
 へへ、と青年は短い黒髪を掻いた。
「ありがとな。ジュンゴだっけ、アンタも同業なんだ?」
「ううん……もう親方、いないから。昔のこと」
「あ……そか」
 声を沈ませたジュンゴに青年はこめかみを掻いた。ていうかさ、と声を明るくする。
「ほんと、ものすごい雪だよな。ここらでこんなに積もるとか、初めてじゃねえ? この調子で降られたら、チェーンつけてても帰れるかちょっとなあ……」
 手を伸ばすと、青年はカーラジオのチューナーをひねった。耳障りな雑音のあと、ニュースが流れだす。淡々としたアナウンサーの声が異常な豪雪を報じているところだった。
『……関東地方を中心とした局地的な寒波により、これから朝方にかけて、雪は更に激しくなるものと見られます。……速報が入りました。先ほど、……区……駅近くの路上で、乗用車内の男性が凍死しているところを発見され……』
 前の座席から、青年が思わずといった調子でつぶやいた。
「このあたりじゃん」
『……遺体の状態から、警察は、悪魔による被害の可能性もあると……』
 外出を控えるようにとの呼びかけで締めくくられたニュースに、俺はくちびるを噛んだ。
「……ジュンゴ」
「うん」
 ジュンゴが緊張した声を返したところに、あ、と青年が腰を浮かせた。
「どうかした?」
 俺の問いかけに、ほっとした顔で青年がこちらへふり返る。フロントガラスの向こうに見える駅の入口には、ぱらぱらといくつかの人影が見えた。
「いま、おやっさんが……あ、でも、アンタたちは」
 言いながら、どうしようかと迷う表情になる。
「大丈夫、俺たちもちょうどそろそろ移動しようと思ってたところだから」
 言い切った俺に、ジュンゴもうなずいた。
「うん。ジュンゴたち、行かなきゃ。ありがとう、アキト」
「そっか……それじゃ、くれぐれも気をつけてな」
 それぞれ、ドアを開けて雪の上に降り立つ。
「おやっさーん、こっちこっち!」
 通る声で、青年が駅の方へと呼びかけた。髪を角刈りにした壮年の男性が、発泡スチロールらしき箱を肩に乗せた格好で、気づいたようにこちらを見た。おう、と渋い声音で空いている片手を挙げて応じる。
 歩きだした青年の背中を見ながら、ジュンゴがささやいた。
「……フミが言ってたのは、このロータリーでよかったよね?」
「ああ。このあたりなら、ここが一番出そうなポイントだって。……ぐるっと近くを見てくる間、ジュンゴ、ここに残っててくれるか?」
「うん。わかったよ」
 こっくりとジュンゴがうなずいた、その次の瞬間。
 俺は、背筋の凍るような気配にはっと周囲を見回した。
『なーんかここらで、誰かがオイラのウワサをしてる気がするホー!』
 氷片をこすり合わせたような甲高い声が、冷え切った大気を切り裂いた。怪訝な顔で、まばらに歩いていた人たちが足を止める。
 声と魔力のでどころを探し、俺は空を見上げた。
 灰色の上空に、白く巨大な何かが浮かんでいた。風を切る音とともに、謎の物体はみるみる地上へと近づき――ロータリーの真ん中、除雪で集め積み上げられた雪山の上に、大きな灰色の影が落ちる。
『……呼ばれて飛びでて、ジャジャジャジャーン、だホ!』
 ドーンと派手な落下音。あたりに立ちのぼった白い雪煙が収まると、雪山は、見上げるほどの大きさをした雪だるまの下敷きになっていた。巨大雪だるまの頭上には、中世ヨーロッパの貴族めいた小さなカツラに、ちょこんと載せられた銀の王冠。
『オイラ、魔王キングフロスト! とっても強い王様だホ! オラオラ人間ども、頭が高いホー!』
 最近は、結界の強化やジプスによる掃討もあって数を減らしてきたが、野良悪魔の恐怖は、あの八日間以後を生き残ってきた人間すべてにたたき込まれている。状況を飲みこんだひとびとは、我先に駅舎に駆けこみ、もしくは深い雪に足を取られながらも、少しでも悪魔から距離を取ろうと走りだした。
 ユーモラスな顔だちにぽっかりと空いた黒いまなこが、ぐるりとあたりを見渡した。その視線が、数メートル離れた路上で立ちすくむ青年――アキトの上で止まる。
『ヒホ? ちみっこい人間のブンザイで、オイラに立ち向かうつもりかホー……い〜い度胸だホ!』
 吹雪を吐く予備動作に、ひゅうっと口笛めいた音が鳴る。俺は、あたたまって常の動きを取り戻した指で携帯を操作した。
 足もとから熱風が吹き上がる。かたわらに現れたカボチャ頭の妖精に、間髪入れずに指示を出す。ジャックランタンは、手にした赤いランタンを振ってくるりと舞った。
 連続でぶち当たった炎のかたまりに、黒いまなこを半月型に怒らせて、悪魔がこちらへ向き直ろうとする。
『アチ、アチチチ! ナニやつホ!?』
 そののんびりとした動作を、俺は待たない。
 次いでアギダインの発動を選択すると同時、巨体の足もとから、青白い炎の柱が噴き上がった。
『ヒホ!? このフロストの王様を溶かしちゃおうとは、キミは何様なんだホー!』
 局所的な高温に空気がゆらぐ。青く踊る炎の中で、悪魔はあっという間にかたちを崩し、かたむいていく。そこに、ジュンゴが打撃属性のスキルで追撃を加えた。見えざる槌が落ちるごと、その輪郭がえぐれていく。
『……いつか、死刑にしてやるホ! 来たるその日までアディオス、アミー、ホ〜……』
 声の最後が小さくなって、炎の渦が収まったあとには、ちらちらとかがやくダイヤモンドダストだけがただよっていた。それも、すぐに大気に溶け消える。
 安堵に、俺は大きく息を吐いた。
 その途端、どしゃ、と濡れた音がして、とっさにそちらへ視線を向ける。熱気の余波で溶けかけたぬかるみのなかに、青年が尻餅をついていた。
「あ……アキト!」
 ジュンゴが駆けだした。広い歩幅で、すぐそのかたわらまで辿り着く。
「大丈夫? ケガ、ない?」
 かがんで手を差しだすジュンゴを、青年は呆然と見つめかえす。
「……アキト?」
 きょとんと、ジュンゴが首をかしげた。
 溶けてぬかるむ雪についた自分の手と、いまだに伸ばされているジュンゴの手を見比べてから、青年はゆっくりと一人で立ちあがった。
「あ……ああ、うん……おかげで、命拾い、した」
「よかった、無事で」
 その逡巡に気づく様子もなく、ジュンゴがほほえんだ。青年は表情の選択に迷う様子で、今度は俺の方を見やる。
 俺も、何とも言えない顔になっていたと思う。
 力持つ者であることを明確に示す事実をさらせば、周囲の見る目が変わる。もちろん、負の感情を向けられることはほとんどない。けれど同時に、ヒエラルキーの線もまた、はっきりとそこには示されている。
「……おい、アキ! 大丈夫か!」
 立ちつくす青年の背を、駆けよってきた彼の待ち人が叩いた。青年がたたらを踏む。
「いってー! ……おやっさん、ひでえっすよ!」
「そんな口がきけるなら問題ねえな。おう、アンタら、見てたぜ。うちの馬鹿を助けてくれてありがとよ」
 次に男性は、口をにっとひんまげた笑みでジュンゴの胸をはたいた。
「アキト、馬鹿じゃないよ。ジュンゴに親切にしてくれた」
「そうかそうか、そりゃ、こいつにしちゃあ上出来だ。……おいアキ、ぼうっとしてんじゃねえ、ちゃんとあっちの兄ちゃんにも礼は言ったか?」
 無骨な指でぐしゃぐしゃと頭をかきまわされて、はっと青年が表情を改めた。
「あ、……あの、あのさ……!」
 俺の方に、はじかれたように顔を向ける。
「ありがとう、マジで……感謝、してる」
 少しばかりのためらいがにじむ声には、始めに俺たちに声を掛けてきたときの遠慮のなさはもうなかった。
 苦笑気味に青年の頭をこづいて、男性が肩の荷を地面に降ろした。
「大したモンもないけどな、気持ちだ、もらってやってくれねえか」
 発泡スチロールの箱を開け、中につまった白い氷の欠片をかき分けると、赤い鱗が現れる。
 取り出されたのは、指先から肘までほどの大きさの鮮魚だった。それを、いくらかの氷とともに手際よくビニール袋に詰めると、男性はジュンゴに手渡した。
「サクラダイ、いい色だね。美味しそう」
「おう、わかるか兄ちゃん! 刺身にしてもいいくらい活きはいいがな、いまの時期なら鍋にしても旨い」
 くしゃりと破顔する男性の顔は、青年が最初に見せた笑顔とどこか似ている。
 俺は、ゆがみそうな口もとを隠して、ぺこりと頭を下げた。


『あ〜、ユウト? うん、うん、やっぱり? 魔力の吹きだまりは既に解消されはじめてる。ただ寒波自体にはさほど変化がないから、異常気象と悪魔、今回に限っていえば、気象のほうが元凶だったみたいだね。ホント、このあたりの仕組みはまだまだ謎が多いよ。いや〜、実に興味深い。えっ? ああそいじゃ、他のエリアで張りこんでた連中にはアタシから連絡しとくから、局長だけアンタから報告しといてよ。絶対そのほうが機嫌良くなるんだからさあ』
 立て板に水、興味のある話題にはとたんに多弁になるフミとの通話を終えて、俺はいったん携帯を閉じた。小さく、ためいきをひとつ。
「……あのさ、ジュンゴ」
 うん、と隣でジュンゴが小首をかしげる。
「ジュンゴはさ……」
 ――後悔、していないか。口をついて出そうになった言葉を、俺は飲みこんだ。
 自分自身は、こうなることもわかって選んだ道だ。もちろん、かつてみんなを説得したときだって、嘘や詭弁を弄したつもりはなかった。
 そして、最終的に同じ道を選んでくれた仲間たちは仲間たちで、俺の説得そのものに納得したというよりは、あのどうしようもない状況で、それぞれ彼らなりに言葉を飲みこみ、どこかに落としどころをつけてついてきてくれたんだろうと、俺はそう思っている。
 でも、ジュンゴだけは、ただ俺の言葉を額面通りにすべて信じこんでしまったんじゃないか。
 ジュンゴが、新しい世界のことわりをただ美しいばかりの切磋琢磨だと理解したとき、俺はそんな危惧を抱いた。それでもあの時、そうだよとそのままうなずいたのは、この青年の手をここでつかみ損ねたら、もう最後だと思ったからだ。
 誰もが必死になって生きる実力社会に、人を疑うことを知らず、善意を信じて生きる彼がひとり放りだされたら、たどり着く先は死に顔動画で見た光景かもしれない。だからこそ、俺は全力でジュンゴを説得したし、それと同じくらいにずっと気にかけてもいた。
 こんな世界だなんて思ってなかった。そう言って悔やむ日がジュンゴに来るんじゃないかと、そう。
「今さ、ジュンゴは……つらいこととか、ない?」
 飲みこんだ言葉の代わりに別の問いかけを口にして、俺はジュンゴを見上げた。
「ジュンゴ、つらくなんかないよ。どうして?」
 不思議そうな顔で、ジュンゴが俺を見つめ返す。
「前だって、今だって、してることはずっとおんなじだから。困ってる人がいたら、助けるよ。ユウトだって、そうでしょ?」
「そっか……」
 当たり前のように問い返されて、俺は静かに息を吐いた。
 それから、大きくひとつ息を吸う。
「……そうだな。結局、俺たちにできることなんて、目の前にいる人を助けて、自分のとなりにいるヤツを幸せにすることくらいで……どんな世界だって、それは変わらないのかも」
 俺は、苦笑を口の端にひっかけて手を伸ばした。少し背伸びをして、ジュンゴの頭を帽子の上から撫でる。
「そう、思っとく。……ありがとな、ジュンゴ」
「……どういたしまして?」
 きょとんと言ったジュンゴに俺は小さく笑う。
 そうして、ぱちんと開いた携帯で、この世界を望んだ青年の名を選択した。





Fin.

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