■  夜明けのジャックフロスト  ■


「私だが……まだ起きているか?」
 深夜近く、暗めに照明の落とされた通路でインターフォンに向けて声を掛ける。
『ああ、ヤマト? 待って、今カギ開けるから』
 その応答を聞いてしばらく、ロックが解除される音を聞いてヤマトは彼の私室の扉を開けた。
「すまないが、明日の……」
 用件を口にしかけて、自分を迎えた相手の姿に言葉を思わず切った。
「……何をやっているのだ、お前は」
「えっ」
 何を問われているかわからない、と言いたげな声で彼は――彼の声で話す人間大のぬいぐるみは、己の腹あたりを見下ろすような素振りを見せた。
「何って、見たことない? 警視庁の新しいマスコットキャラ、その名もピーポーくん」
 悪魔ジャックフロストを模しているのだろう見てくれに、紺色に黒のつばを付けた警帽をかぶり、丸みを帯びた胴体には簡略化されたデザインの制服を着せつけている。悪魔のもともとのカラーリングとの相性が良く、仕上がりとしては悪くない。
「なかなかいい出来だと思うんだけど」
 思わずうなずきそうになってから、ヤマトは努めて苦い声を出した。
「……いや、私はそういうことを訊いている訳ではない。どうして、お前が、そんなものの中に入っているのかということを言っているのだ」
「ああ」
 黒く丸い目と半月型の黒い口をつけた人形の中からあっさりと答えが返る。
「お披露目の時、ヤマトがそんなものに行くヒマないって招待状ポイ捨てしてたじゃん。だから代わりに俺が顔出してきたんだけど、担当の人がすっごいフロスト好きでさ、デザイナーさんとも一緒になって思わず盛り上がっちゃって」
「……それで?」
「今度あるイベントで、中に入らせてくれるって話になったんだよね。で、その前に慣れとこうと思って、借りてきたのを試着中」
 太い両腕をぐるぐると回しながらのんきに言う彼に、ヤマトは深いため息を吐いた。
「私は賛成できんな。そのナリでは周囲への警戒どころか、携帯の操作もおぼつかないだろう。それでは、万が一そのイベントとやらに何事かがあっても対応できまい。君の身に何かあってからでは遅いのだ」
「もう約束しちゃったからキャンセルってのはナシ。そんなに心配ならヤマトも来たら?」
「どうして私がそんなくだらん催しにつきあわねばならん」
「そうだな、理由がいるなら」
 ふふ、と彼が含み笑う。着ぐるみの下の悪戯めいた笑みが見えるようだった。
「お前が自分の部屋に置いてるあのフロスト人形、これのデザイナーさんがくれたものなんだよね。お前が来てくれないと俺、次にあの人に会った時に、うちの局長がものすっごい気に入って抱きぐるみにしてるんですってバラしちゃうかも」
 彼の言うぬいぐるみにすぐ思い当たって、ヤマトは絶句した。ジャアクフロストのような黒いカラーリングに、白地に青い線の入ったウサミミフードを被ったデザインのぬいぐるみだ。この部屋の片隅に置いてあるのを見かけて思わず手に取ったのを、気に入ったならあげるよと笑った彼から譲られたのだ。あわてて反論する。
「飾ってあるだけだろう、人聞きの悪い!」
「でも、気に入ってるのはホントだろ」
「それは……」
 返す言葉につまって、しぶしぶヤマトはうなずいた。
「……わかった。行けばいいんだろう。行けば」
 苦り切った声をしぼり出せば、やったーと着ぐるみがずんぐりとした両手を挙げた。
 その屈託のない仕草に、ヤマトは思わずちくりと言いそえた。
「だが、お前を思わせる人形を私が抱いているなど、私ばかりの醜聞ではないと思うがな」
 まさにその見てくれに似つかわしくきょとんとした仕草で、彼は着ぐるみの小首を傾げた。
「あれ、ヤマト、マジで抱きぐるみにしてたの?」
「そんなわけがあるか!」
「またまた〜。言ってくれたらぬいぐるみじゃなくて俺がいつでも抱き枕になってあげたのに」
「だから違うと言って……!」
 かぶり物の下の表情はわからない。ただ、そっと笑う気配を感じてヤマトは口をつぐんだ。
「まあ、ヤマトは不安になったり人恋しくなったりとかないのかもしれないけど」
 言う声がどことなく寂しげに聞こえて、ヤマトは知らずまばたきをしていた。
「君には、そう思うことがあるのか?」
「んー、俺?」
 少し間があって、そうだなと彼は続けた。
「ヤマトが一人でも寂しくないって思ってることが、ちょっと寂しいかな」
 おそらく今、かぶり物の下で彼はいつものように笑っているのだろう。その笑顔が見えないからこそ伝わってくる。ふざけたような声音には、それでも隠しきれない本音の色が透けていた。
「……そうか、ならば」
 ヤマトは手を伸ばして、着ぐるみの頭に手を掛けた。
「うわっ!? ちょっと、何……」
 力任せに引きぬき、足下に転がした。クセが付いていっそうもつれた黒髪が顕わになる。目を丸くして自分を見る彼を見つめて、ヤマトは口の端を引き上げ笑った。
「脱ぎたまえ。君の寂しさに、今から私が付きあってやろう」
「ちょ、お前の言い方のほうがよっぽど人聞き悪いんだけど!?」
「さて、何のことやらわからんな」
 引き寄せた背中に腕を回す。ファスナーらしき手応えを見つけて思いきり引き下ろした。
「ぎゃー! えっち!」
 じたばたする相手を着ぐるみのなかから引き抜いて、腕に抱え上げる。
「いつでも抱き枕になってやると言ったのはお前だろう? 男ならば自分の発言に責任を持て」
「おお、お前こそ、俺がお婿さんに行けなくなっちゃったらその責任取れるのかよ!?」
「ああ、もちろん。お前がそれを望むなら」
 責任を取らねばならんようなことに至るのも、やぶさかではない。
 そう耳もとにささやけば、一瞬黙った後、彼のほおに血が上った。
「下ろせ! 放せ! ヤマトのえっち!」
 腕の中でいっそう暴れ始める。
「まったく活きの良いことだな。少しはおとなしくしていたまえ」
 わざとらしくため息をついてから、ヤマトは希望通りにその痩身を寝台の上へと放り出した。




Fin.

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