『人の灯す星を背に』 : 回帰ED後、ヤマト←主人公

「いい風だね」
 ほおをかすめた涼しさに、俺は目を細めた。
 足下を頭上にかかる月の光が明るく照らしている。静まりかえった高層マンションの屋上に、スニーカーのかかとのこすれる音がきゅっと高く響いた。
 続いた固い靴音にふり返れば、ヤマトも白い光にその姿をさらしていた。コートの金の縁どりが、夜にまぎれそうな黒の輪郭をきわだたせる。
「フム、そうだな」
 薄い色のひとみを細め、同じ色の髪を夜風になびかせているヤマトに俺は笑みを向けた。フェンスの前で立ちどまる。
「ほら、こっち」
 手まねけば、静かに隣に並んだ彼の目が眼下に広がる夜景を眺めやる。下からの風にその前髪が浮きあがり、秀でたひたいがあらわになった。
「あの災害の時に見た真っ暗な街のものすごくきれいな星空より、こっちのほうが俺は好きなんだ」
 一緒になって、またたく人工の光を見下ろす。ヤマトの細められたひとみの表面にも、地上の灯りが映りこんでちらちらときらめいていた。フン、と小さくヤマトが笑う。
「しるべにもなりえぬ星の群れも、人の欲望が灯す光も、私にとっては等しくくだらんものだ」
 ふと動いたそのまなざしが北の空に輝く裁定の星を探すのを見て、飲み込もうとしていた言葉が口をついた。
「……じゃあ、後悔してる?」
 ヤマトは俺をふり返ると、意外そうな顔で目を見張った。
「……いきなりどうした? 君の言うこととも思えんな」
「俺だって考えることくらいあるさ。お前がやろうとしてたこと全部ひっくり返して、元のしがらみのなかに引きずり戻したんだから」
 早口で言いつのりながら、ヤマトの奇妙なものを見るようなまなざしから顔を背けた。ああ、馬鹿なことを言った。全部今さらだ。そんなことわかった上で、それでも俺は今を選んだ。
 声もなくかすかに、ヤマトが笑う気配がした。
「……馬鹿者め。私は悔やんでなどいない。私が君を求めたように、君が私を求めたのだ。今の労苦など、君の人生のかたわらで生きることの対価としては安いものだろう」
 向きなおれば、見たこともないほどおだやかな表情をしたヤマトがじっと俺を見つめていた。
 わかってる、ヤマトは真面目に話をしてるんだ。俺ももちろんそのつもりだった。だけど勝手に心拍数は上がっていくし、首すじに熱が上ってくるのがわかって、とっさに俺はパーカーのフードを引き下ろした。そのふちを引っぱって鼻先までをおおいかくす。
「おい?」
 いぶかしげな声が降ったのに、俺は無言で首を振った。いま何か言って、うわずった声にならない自信がない。フードに手を掛けようとする気配を察してきびすを返す。屋上の出入り口を目指して、一歩、二歩――
「うわっ!?」
 頭にかかった力にがくんとのけぞって、俺は声を上げた。フードの耳の部分を容赦なく引かれ、首をのけぞらせた俺のあごをもう片方の手で捕まえたヤマトが、不機嫌そうな顔でのぞきこんでくる。
「自分から聞いておいて、うんともすんともなく立ち去ろうとは良い度胸だな……。……どうした、顔が赤いが」
 困惑したようにトーンを落とした相手の、それでも逃してくれそうにはない腕にとらわれて、呼気の掛かるほどの至近距離で俺は落ちついた声を装おうと試みた。
「あー、うん。お前の言いたいことはよくわかった。ただできれば、もうちょっと言葉を選んでほしかったっていうか、だから、その、つまり」
 とうとう努力を放棄して、ちっともわかっていない顔の相手を俺は声高にののしった。
「……照れてるんだよ! それくらいわかれ、このバカ!」




『選ばなかった明日』: 回帰ED後、ヤマトに拾われて影武者をしてたミヤコさんとダイチ

 初めて彼女を見た時、鏡を見ているようだと思った。
 女が男を装うことは、その逆を思えば容易い。肩や足りない部分には詰め物をし、胸を潰して声を抑え、喉もとを隠す。身体のほとんどを覆う自分の服装は性差を隠すには都合の良いものであったろうし、おそらくは外科的処置も施していたのだろう。
 徹底して似せた立ち居振る舞いに、その能力も、自分の代わりに局地的な指揮を任せるに足りるだけのものを備えていた。その内心はどうあれ、彼女の発する言葉は私の言葉だった。影武者である彼女と過ごした時間はなきに等しかったので、あくまで、他者と接する彼女の言葉がそうであったという意味だ。
 だから、いつの間に彼女と私が乖離していたのか、私は知らない。目の前で寄り添って立つ妹と志島を見ながら、ひとつため息を吐いた。
「だから、ヤマト……」
 思いつめた表情をした志島の、その言葉尻がふるえている。
「俺、ミヤコのことが好きなんだ。ずっと一緒にいたいって思ってる。そりゃ、籍を入れるとかそういうのは、お前の家じゃ難しいのかもしれないけど、でも」
「……もういい」
 執務机から立ちあがった私に、志島が言いつのる。
「なあ、頼むからちゃんと最後まで話を聞いてくれよ。俺たち、よく話し合って決めたんだ。いきおいとかで言ってるわけじゃ……」
 片手で遮り、そのかたわらに身を置く妹の前に立った。
「都」
 その名を呼んだのは初めてだった。彼女が視線を合わせてくる。黒いシャツにその身をよろう同色のコート、下からのぞくブーツのつま先。だが、そこに立っているのはもはや自分ではない。
「それがお前の望みか」
「……はい、兄様」
 兄という呼称も、私より少し高く澄んだ声音も、初めて聞いたものだった。ずっと彼女は、私と同じ声をした、もう一人の私でしかなかった。
「そうか……」
 ゆっくりと息を吐きだす。
「お前は特別な駒だった。だが、その役割を放棄するというのならば、話は別だ」
「じゃあ、ヤマト……」
 期待と不安のこもる志島の声に、私は続けた。
「これまでの務めの報酬代わりに、戸籍くらいはくれてやろう。後はお前たちの好きにすればいい」
 生まれついて与えられた役目を捨て、誰かと寄り添う生を望む人間は、もはや私の似姿たり得ない。
 二人を置いて、私はそのまま執務室を出た。誰ともすれ違うことのないまま角を曲がったところで、人気のない通路を歩く足が、ふと止まる。ほんの一瞬だけ脳裏をよぎった白と青の背中に、自嘲の笑みが漏れた。
 ―――どこへなりとも行くがいい。私は、それを望まない。




『黄金色の昼下がりに』 : 実力主義ED後、ヤマト×主人公

 私の生活に、三時のお茶などという習慣を持ち込んだのは彼だった。
 外回りの多い彼は、おおよそそのくらいの時間帯になると一度局長室に顔を出す。そして、小腹が空くと言って報告のかたわら間食を取り、しかも私にも食べろと勧めてくるのだ。
 持参してきた饅頭を、私が一つ片付けるあいだに三つほど平らげて、彼は深々と息を吐いた。
「ああもう、今日はほんっとつかれたー……」
 ソファに並んで座っていた彼に寄りかかられる。だらりと弛緩した身体の重みが片側にかかり、ついで彼のひたいが私の肩に乗せられた。
 コートの肩に伏したまま、こすりつけるように頭を動かす仕草に苦笑する。
「まるでネコのようだな。何がしたいのだ、君は」
「うん? ……何だろう、マーキングとか」
 顔を沈めたままの彼から、不明瞭な声が返る。
「……楽しいか?」
「ああごめん、嫌だった?」
 ひょいと身体を離される。深い色のひとみにのぞきこまれて、私は知らず首を振っていた。
「いや……」
 己の裡に浮かぶ感情を拾い上げ、舌の上に載せる。
「君との接触は、不快ではないな。……心地好いと言ってもいい」
「あれ、ホント? それならヤマトもやってみる?」
「……いいのか?」
「どうぞどうぞ」
 手袋を外すと、心なしか期待する子どものような目でこちらを見つめている彼の頭を胸もとに引き寄せる。
 何かくぐもった声が上がるのをしっかりと抱えこんでから、ふわふわと波打つ髪に指をくぐらせた。爪先でゆるく地肌をなぞっていく。もぞもぞと身じろぎしていた彼は、身の落ち着けどころを見つけたのか、じきに大人しくなった。
「あー……」
 とろんとした声。
「なんかヤマトの手って、いいな。気持ちいいかも。俺、ダメになりそー……」
 抱えた身体から力が抜けていく。ぐんにゃりと預けられた半身はそれこそネコじみていた。放っておけば寝入ってしまうのではないかという懸念がふとよぎって、私は手を止め、彼の身体を引き起こす。
「……あれ、もう終わり?」
 やはり眠たげに目を細めていた彼は、ぱちりをそのひとみをまたたかせた。
「休憩時間は終わりだ。私は仕事に戻る。うたた寝するほど疲れているのならば、きちんと部屋で休みたまえ」
 一瞬残念そうな顔をしてから、彼はするりと立ちあがった。
「や、大丈夫。俺も次のところ回ってくるよ」
「ああ、気をつけて行ってこい」
 彼を見送って、私もデスクに戻る。
「……フム」
 ふと、触れた髪のやわらかさを思い出した。
 本物のネコもあれほど手触りがいいのであれば、彼が普段から鳥居のネコを構いたがるのも、なるほどもっともなことだ。思いを巡らせながら、私はゆっくりと手袋を付け直した。




『やわらかな黒』 : 実力主義ED後、フミと主人公

 召喚アプリの補助プログラムを最後まで書き上げたところで、フミはざっとソースを見直した。
 穴は見当たらないが、精査は少し休息を取ったその後の方が無難だろう。作業を開始してからざっと半日は経過している。デスクの隅には、オトメ愛飲の栄養ドリンクが林立していた。
 PCの電源を落とし、にぶく痛む首すじを揉みこみながらゆっくりと立ちあがる。そのまま、研究室の片隅に置かれたソファーに倒れこんだ。
 PCの保護目的で空調を強めに効かせているため、室温は低い。ほおや腕、肌の露出した部分に触れるひんやりとしたビニール地の感触に、フミは羽織った黒のロングコートのなかで手足をちぢめ、丸くなった。ここちよい疲労と睡魔に身を任せようとしたその時、ジジ、とインターフォンの入る音がした。フミがよく知る青年の声がそれに続く。
「フミ。頼まれてたデータ、持ってきたよ」
 起き上がるのが面倒で、そのまま黙殺する。しばらく間を置いて扉のロックが解除された。作業中の自分が外からの呼びかけに気づかないのは日常茶飯事だ。放っておけば、旧知のジプスメンバーはもちろん、今やあのイオでさえ「ごめんね入ります」と言いつつ入室してくる。
「フミ? ……あれ、寝てる」
 主不在のPCデスクがまず目に入ったのだろう。その後ソファーに伏せった自分に気づいたらしく、その声量がややひかえめになった。そっと近づいてくる気配。衣擦れの音がして、身体の上にばさりといくらかの重みが乗ったところで、フミは閉じていたまぶたを引き上げた。
 伏せていた身体をごろりと反転させる。
「ごめん、起こした?」
 少し驚いた顔をした青年が、黒いシャツとスラックス姿でかたわらに立っていた。自分のコートの上からさらに重ねてかけられていた同形の黒コートがずるりとすべり落ちかける。
「これから寝ようとしてたトコ。まあ、問題ない。……で?」
 記憶媒体を差しだされる。細めた目でそれを視認し、フミはかるくうなずいた。
「ん、わかった。机の上に置いといて」
「はいはい、了解」
「それじゃヨロシク」
 またパチンと目を閉じる。上から、かすかに苦笑するような吐息が降った。
「起きたんならちゃんと部屋に戻って寝たら。女の子が無防備に寝てるとか、あんまり良くないと思うけど」
 フミはうっすら目を開けた。予想通り、たしなめと心配を半々くらいにブレンドした表情で彼がこちらを見下ろしていた。面倒くささが先立って、解釈をねじって投げ返す。
「何その無理難題。寝てるのに無防備じゃない人間とかいないし」
「うん? あーまあ、どうかな……」
 くるりと青みがかったひとみが上を向いた。何かを――もっと言うならば、誰かを思い浮かべるその様子にフミは顔をしかめた。
「ストーップ。アタシ、アンタって人間の構造にはものすごく興味あるけど、アンタと局長のソッチの事情にはこれっぽっちも興味ないから」
「へっ? あ、誤解だって。ヤマトだって仮眠くらい取ることあるし」
「だから? っていうか、相手局長ってところはやっぱり当たってるんじゃん」
「うん、昔は近寄る前からぱっちり起きてたけど、最近は顔のぞきこむくらいしても余裕で寝てるなって」
「念のために言っとくけど、それ、ノロケ以外の何物でもないから」
 あれわかっちゃった、と冗談とも本気ともつかない調子で笑って、彼は落ちかけたコートをフミの上に掛け直した。
「まあ、俺はもう行くから。お疲れ、フミ」
 その上からポンと子どもにするようにかるく叩くと、彼はこちらに背を向けた。
 ご丁寧に室内灯まで消していった相手を見送って、それから、あ、とフミは声を上げた。
「コート。どうすんのコレ」
 それから、まあいいかと思い直す。必要ならまた自分で取りに来るだろう。他人のぬくもりを帯びたそれは、冷えた室内で存外に心地好い。
 身体に彼の置き土産をまきつけると、おだやかな暗闇のなか、フミは再び目を閉じた。




『いつか、届くまで』 : 回帰ED後、マコトとヤマト

 ノックの音に、私は寝台から腰を上げた。洗髪後の湿った髪を拭いていたタオルを置く。
 ちらりと見やったベッドサイドの置き時計は、日付が変わる少し前の時間を示していた。人を訪ねるには不適当な時刻だが、セキュリティの厳しいジプスの官舎内におかしな輩がまぎれ込むとは考えにくい。とはいえ、急ぎの任務なら携帯に直接連絡が入るはずだ。
 寝間着の上から手早くカーディガンを羽織って、私は居室の扉へと向かった。
「――誰だ?」
「私だ。こんな時間にすまんな、迫」
「……峰津院局長!? 申し訳ありません、いま開けます!」
 あわてて鍵を外し、扉を開ける。果たして、そこには常通りの出で立ちに身を包んだ局長が立っていた。
「何かありましたか? ああ、この時期に通路は冷えます。どうぞ中へ」
「フム、……私はこのままでも構わないが、それではお前の身体に障るか。では、入らせてもらうとしよう」
 私の格好をざっと見てうなずいた局長は、私が大きく開いた扉から部屋の中へと入ってきた。
「わざわざこのようなところまで来られるとは、何か内密のお話でしょうか」
 緊張して背筋を伸ばした私に、局長が片眉を上げた。
「そう固くなるな。少しお前と話がしたくてな」
「はあ……」
 困惑しながらうなずくと、局長は感慨深げな面持ちになった。
「世界が元の姿に立ち戻ってから、もうすぐ一年になるか。そういえば、その件ではお前にまだ礼を言っていなかったな」
「はっ!? い、いえ、私は何も……局長の理想に最後まで付き従うこともできず、力不足を晒すばかりで」
 局長はあっさりと首を横に振った。
「ああ、お前が彼らに負けたことならば当然の結果だった。そしてその後、彼らに賛同したことを責めるつもりもない。私が言っているのは、それ以前の話だ」
「と、言いますと……?」
 問い返した私に、不快を覚えた素振りもなく局長は続けた。
「今にして思えば……彼の存在なくして、ポラリスに人類の存続を認めさせることはできなかった。そして、彼があの時ジプスに身を寄せることを選択したのは、お前が志島の危機を救い、また新田の負傷を放置できずに東京支局へ彼らを引き込んだからだ」
「それは……ですが、彼らはあの後すぐに支局から立ち去ってしまいましたし、そもそもあの件がなくとも、我々はドゥベを倒した彼らと接触したはずです」
「それはどうだろうな。もちろんこちらはその存在を把握したはずだ。だがその後、彼からの協力があれほどスムーズに得られたかと言えば……おそらくそううまくはいかなかっただろうと、今なら言える」
 局長は苦笑を浮かべた。そして、ちらりと私の背後にある時計の時間を確認する素振りを見せる。
「ああ、話が逸れたな。……さて、本題に入ろう」
「はい」
 私は姿勢を正し、次の言葉を待った。腕を組んだ局長は、心なしか胸を張って口を開く。
「お前から私に、改めて欲しいことでも不満でもいい。言いたいことがあれば何でも聞いてやろう。今日は、そのために来たのだ」
「……………はっ?」
「さあ、日が変わるまで時間もない。早く言ってみろ。お前の希望に添えるかどうかは、まあ聞いてみなければわからんがな」
「えっ? いえ、その……?」
 事態を飲み込めず呆然とする私に、局長がわずかに顔をしかめた。
「それとも……お前の気質からすればあまりなさそうだが、金銭か物品の方がいいのか? だが、お前がジプスの人間であるからには、みだりにそのような形で報いてやるわけにもいくまい」
「局長、あの……申し訳ありません。話が見えないのですが……」
 おずおずと口を開けば、局長はあからさまな呆れ顔になった。
「何を言っている。今日は……ああもう日が変わってしまうが、お前の生まれた日だろう。その祝いに来てやったのだ」
「ああ、なるほどそういう……………………………………………はっ?」
 今度こそ私は絶句した。局長の眉間に深いしわがきざまれる。
「何だ。その間の抜けた顔は」
「はっ、いえ、その……す、すみません!」
 ため息混じりに、局長はその表情を苦笑へと改めた。
「……まあ、私もこのようなことをするのは初めてだからな。お前が驚くのも無理のない話か。しかし、日頃関わりの深い相手のそれには、感謝の意を持って贈り物をする、……俗世間ではそういうものなのだろう?」
 問いかけの形を取りながらも、局長のそれは断言に近い。
 何と返答すべきか迷ううちに、ふと数ヶ月前の出来事が脳裏によみがえった。その時まで知らなかったのだが、局長の誕生日は六月十日だったそうだ。その日、普段はあまり大きく表情を変えることのない彼――かつてリーダーとして我々を導いた青年が、めずらしく年相応にはしゃいだ様子でジプスを訪れた。局長へ何か丁寧にラッピングされたプレゼントらしき品を渡した後、そのまま泊まりこんでいったような記憶もある。
「……局長」
 合点がいって、私は思わずほほえんでいた。
「何だ。決まったのか?」
「いえ……元より局長は素晴らしい方です。私などがさらにどうこう申しあげるべきこともありません。ですが……局長が今のように変わられたことについては、個人的に大変嬉しく思います」
「……フン」
 局長がどことなくきまり悪そうに顔をしかめた。
「日付も変わってしまったな。……お前が何もないと言うのなら、まあいいだろう。それでは、邪魔をした」
「いえ、ありがとうございました」
 深く折った身を戻すと、扉を開けて局長を送り出す。そのまま私は部屋の外に立ち、その真っ直ぐに背を伸ばした後ろ姿を見送った。

 靴音の反響も遠く消える頃、気づけば私はくちびるをほころばせていた。
 組織の長である局長の変化と呼応して、この国にあって地の底に秘されながら人々を守ってきたジプスはいま、目に見える存在へとその在り方を変え始めている。
 だが、我々は一般の人々からの理解を得るには困難な問題をいくつも抱えた組織だ。表に出て行くことで、これから先、様々な軋轢が生まれることは想像にたやすい。
 それでも、と私は願う。
 陽の当たる場所にその身を置くことで、守るべき人々からの感謝や尊敬、そして彼からの友誼のような、世にある美しくやさしいものが、局長のもとへも届けばいい。
 どれほどの風雨に晒されようとも、地上にあってこそ見える星もまたあるのだと――私はかたく、そう信じている。




『今日この佳き日に』 : 実力主義ED後、ヤマト死亡ネタ


「この、バカ! バカヤマト!」
「……手厳しいな、君は」
 どうやら、聴覚はまだ生きている。失われた視界の向こうへと苦笑まじりに返した声は、込み上げる咳に途切れて消えた。
「ああもう、しゃべるなバカ!」
 己に向けられた愚か者との罵りと、自制の欠片もなく激昂する彼と、そのどちらもがあまりに新鮮で、愉快な気分ばかりが胸を占める。
「待ってろ、すぐ人を呼んでくる」
 かたわらから立ちあがろうとする気配に、私は手を伸ばした。
「その必要はない。……少し、かがんでくれないか」
 わずかな逡巡めいた間があって、彼の息づかいがすぐそばへと寄った。
 砂袋のように重い腕を上げて、彼の頭へ手をかける。ふわふわとした癖毛に二度ほど指を通らせた。
「一度、こうしてみたかった」
 手袋越しに感じられる柔らかな感触に満足して、私は息を吐いた。
「……何言ってるんだよ、バカ。こんなの、後で、いくらだって触らせてやるから」
 彼は今、怒った顔をしているのだろうか。それとも悲しい顔を。もしかすると、瀕死の人間を不安にさせまいと苦しい笑顔を浮かべているのかもしれない。
 そのどれでもいい。見えない彼の表情を想像しながら、くちびるの端を引き上げる。
 ああ、私は幸福だ。
 己の志を正しく引き継いでくれる者がいる。生き残った者だけが正しくなるこの世界で、その信頼を胸に世を去ることのできる者がどれほどいるものか。
 彼がどんな表情をしているか、もはや私は知り得ないし、知る必要も感じない。
 ただ間違いなく言えるのは、彼が目にする私の死に顔は、満足げに微笑んでいるだろうということだ。



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