■  砕けた星は光年の彼方  ■


 ヤマトは、自分のことをほとんど話さない。その行動の説明も言い訳もしない。
 だから俺は、ヤマト自身ではなくそのまわりの人たちから、ヤマトのことを知っていった。

 側近としてずっと付き従ってきたというマコトは、ヤマトのことを、厳しいけれどほんとうにこの国のことを考えている方なのだと言った。
 『憂う者』と名乗る彼は、ヤマトのこれまでの行いを見て、一時は彼こそが人間を救う役目に値する存在だと信じたと言った。
 そして、ロナウドとともに都庁地下の巨大な方陣を見た時、俺の心は決まったんだと思う。
 深い青に満たされた、きれいな――まるで満月の夜のような空間。
 これが、ヤマトとヤマトの前にこの国を守ってきた人たちの、目に見える結実だ。
 俺が生まれるよりもちろん前、もしかしたら峰津院という名の家が生まれたその時からずっと、絶えることなく受け継がれてきた結界の術。その存在こそが、これまでヤマトたちがこの国のために生きてきたことのあかしだった。
 俺は、それに応えたいと、そう思ったんだ。


 夕暮れにそまる都庁前の広場、その石畳には、あの時目にした清冽な青とは正反対の、赤黒くくすんだ液体が広がっている。
 仲間のみなが言葉を失って、倒れたイオを――イオの抜け殻を見おろしていた。
 はおったパーカーのポケットがふるえた。一瞬の後、耳ざわりな電子音があたりにひびく。
 とっさに取り出し、携帯電話の通話ボタンを押した。耳に押しあてる。
『……私だ。どうやら、ミザールは往生際悪く龍の胴体にしがみついているようだな』
 都庁の地下、あの方陣でひとり術式を行っていたヤマトの声に、半ば呆けていた意識が引き戻される。
 反応の悪さにこちらの結果を悟ったのだろう。ふっと小さく息を吐く音がして、ヤマトが言葉を続けた。
『……龍脈を龍として使役できる時間は限られている。急げとは言わん。頃合いを見て都庁の屋上へ向かい、ミザールを始末しろ』
 思わず、問い返していた。
「……今すぐ行ってこいって、言わないんだ?」
『そうしてほしいのは山々だが、君はともかく他の者たちは、動揺ですぐには役に立たんだろうからな』
 そのことばを耳にしてようやく、灼きついて麻痺していた感情の回路が、ゆるゆると動きだす。返す声はふるえていた。
「そう、かも。……ありがとう、ヤマト」
『礼など必要ない。だが、感傷にひたる時間は無限ではないぞ。それだけは心得ておいてくれ』
 そっけない声で、通話は途切れた。
 もちろん、効率を考えてのことだろう。それでも、俺やみんなの心情を考慮しようとするヤマトの態度が、ほんのりと心をあたためた。
 与えられた時間でイオを東京支局へと連れ帰り、別れを告げた。口もとを汚した血をぬぐい、あらわれたイオの最期の表情は、どこかやさしげに見えた。
 ダイチが声を押し殺して泣いている。俺は、泣けなかった。
 イオはほんとうに怖がっていた。それでも、みんなを失う方が怖いからと、気丈に笑ってみせたのだ。


「ああ、来たか。待っていたぞ」
 すっかり日が落ちて青い夕闇に包まれた都庁の前で、黒い人影が動いた。
 ミザール、もしくは龍の一撃で砕け落ちたのだろう、大きながれきに寄りかかっていた背を離し、人影――ヤマトが顔を上げる。歩み寄った俺の目をじっと見つめて、軽くうなずいてみせた。
「もう、良いようだな。では、都庁の屋上へ向かうといい」
「ヤマトは?」
 たずねた俺に、ヤマトは薄くほほえんだ。
「私は、地下で術式の制御を続ける。具現化した龍にはある程度の自律性があるが、事が事だ。その本能にまかせきりで、しくじりでもあれば目も当てられん。しっかり手綱を握っておくに越したことはないのでな」
「わかった。じゃあ、行ってくるよ」
「ああ……君には苦労を掛けるな」
 うなずいたヤマトの動きの鈍さに、思わず案ずる声が出ていた。
「……ヤマトこそ、大丈夫? あんまり顔色が良くない気がする」
 その目もとが青く見えるのは、あたりを満たす夕闇のせいばかりではないように思えた。
 思わず伸ばした指に、ヤマトが苦笑した。わずかに身を引いてそのまま歩きだす。
「フフ、有能な者ほど苦労する、ということだ。……今はまだ、な」
 告げた黒いコートの背中は、都庁内部のうす暗がりへと飲みこまれてすぐ見えなくなった。


「ちょっ……待て待て、危ないってえ!」
 大きく踏みこみ、一息にミザールの触手へ突っこもうとしたところで、思い切りえり首を引っつかまれる。
 踏みだしそこねた目の前を、凍てつく魔力のかたまりが飛び過ぎた。背後で、ダイチがほうと安堵の息を吐く。とたんに凍りついた呼気の水分が、夜目にもちらちらときらめいた。
 出所へ目をやれば、大口を開けた巨大なヒキガエルの腐ったの、とでも言えばいいのか、くすんだ緑色の巨体がぎろりと俺たちをねめつけている。
「アレってほら、アレだろ、なんか遠くからでも仕掛けてくるタイプの!」
「うん、邪神な。いいかげん覚えろって」
「あーもう、名前とかどうでもいいからね!? どうしたんだよお前、さっきから、なんか危なっかしいぞ」
 情けない声を上げたダイチは、心配そうに眉根を寄せて、俺の顔をのぞきこむ。
「……ごめん、急がなきゃって思ってたら、まわりが見えてなかった。サンキュな、ダイチ」
 時間制限にあせっているだなんて、我ながら自分らしくない言いわけだ。
 それでも、俺は気が気じゃなかった。いつもなら俺よりテンパっているはずのダイチに心配されるくらいには気がはやっている、その自覚があった。
 それというのも、ヤマトが何度も龍脈の残存量を告げる連絡を入れてくるからだ。ああ、もちろんこれも、八つ当たりに過ぎないことは、頭ではわかってるんだけど。
 ヤマトに言われるまでもなく、始めから全力を尽くしている。そこに龍脈のタイムリミットを告げて急かしたところで、あせらせるばかりで何の益もない。むしろ無理に通話に応じることで、戦闘の妨げになるくらいだ。
 そんなことは重々承知しているだろうヤマトが、あえて何度も通信を入れてくる。そこには、ただこちらに状況を伝える以外の何かがあるのではないかという、嫌な予感がふり払えなかった。
 また、遠距離から悪魔の攻撃が飛んでくる。
 ひゅっと息を吸った。横っ飛びに身をかわす。動揺を押さえこんで、ひびわれたコンクリートの上を駆けた。
 途中で、またもや携帯が鳴った。
 駆ける足は止めることなく片手で画面を起動させ、耳に押し当てる。
『…………』
 しばらく、無音の時間が続いた。通信状況が悪いのかもと、俺は声を高くした。
「もしもし、ヤマト? 聞こえてる?」
『……大丈夫だ。それより、龍脈の残存が尽きかけている……いつ術が切れてもおかしくない状態だぞ』
 まるで砂嵐の向こうから届いたような、遠く小さな声だ。
 ちらりと目を走らせれば、二度の再生で龍の背から場所を移し、今度は屋上にしがみついていた二本の触手の片方を、ダイチの連れた悪魔が食いちぎるところだった。どうやら、新たな触手が生えてくる気配もない。
「こっちも、もう、あと少しだ!」
『……そうか。ならば、何としてでも持たせてみせる』
 聞こえの悪い音声の最後だけが、強くハッキリとひびいて、通話は途切れた。
 遠くからちょっかいをかけてくるヤツらも始末して、ようやくたどり着いた目の前で、ぼこりと、最後に残されたグロテスクな触手がふくらんだ。すばやく手にした携帯を操作する。
 何もない虚空から、紅蓮の炎が渦を巻いて現出した。その炎の奔流が、目前のセプテントリオンへと巻きつき、蹂躙する。
 液体が蒸発するいやな音がした。ちぎれかけた触手が、くねってもがく。
 そしてついに、触手の先端が、噛んでいた屋上のふちからずるりとすべり落ちた。

 宙に放り出されたミザールの本体を、夜空を翔る龍が追う。どう猛な牙がひらめいた。噛みつぶし、飲みこんでいく。その怪獣映画さながらの光景を、唖然として見守った。
 こぼれた毒々しい紫を欠片まで食らいつくした龍の全身が、ぽうっと金のひかりに包まれる。その次の瞬間、唐突に龍は動きを止め、砂色へと変わり――まるで風化するように崩れ去った。

 一部だけ残った龍の頭が、はるか下の地上でどすんと地響きを立てた。
 その音に、硬直が溶ける。息を飲み固まっていた面々が、ほうと安堵の吐息をついた。
「どうやら、何とかなっちゃったみたいだねえ」
「ああ、そうだな。ひとまずこの場はしのげたようだ」
 のんびりと言ったジョーに、安堵を隠さない声音でマコトが応じる。
「うっわ……マジで俺たち……やったな! なんかこの調子で、このままイケそうっていうか」
 はずんだ声で言いかけたダイチが、不意に口ごもった。
「……って、そういえば俺たちみんながいっしょにやれるのって……これが最後かもしれなかったんだ、よな」
 無意識にだろう、この後の選択をせまった相手――ヤマトのいる地下の方向へ、その視線が落ちる。
 はっとして、俺は携帯を取りだした。顔かどこかを切っていたようで、画面へ目を落とした拍子に、鼻先からディスプレイへと落ちた血を指でぬぐう。手のひらににじむ汗とともに、ズボンにこすりつけた。
 着信履歴で、つい先ほどまで通話をしていた相手を呼びだす。
 十一、十二、十三回まで数えて、途切れないコール音に、パチンと画面を閉じた。
「どうかしたのか?」
「ヤマトが、出ないんだ」
 告げたことばに、マコトが眉根を寄せた。
「そうか……だが、方陣の敷かれた場所は、局長しかご存じないのだ。とりあえずは地上へ……」
「場所わかるから、俺、先に行ってるよ」
 言葉尻をうばって駆けだした。屋内へ続く鉄扉をはね飛ばし、三段飛ばしで階段を駆け下りる。反響する靴音の向こうから、あわてた調子で呼び止めるオトメの声がした。
「待って、まずみんなと、それにあなたの治療も……」
 残り少ない魔力の一部で、走るための脚の傷だけを治す。非常用の緑がかった灯りだけがともる階段は、ひどく現実味がなく、まるでどこまでもつづく夢の迷路のようだった。


 自分の荒れた呼吸音だけが、静まりかえった空間にひびく。
 立ちすくんでいたのは、たぶんほんの一瞬だった。よろめく脚を叱咤して走りだす。
 まるで夜空のように、暗い蒼に輝く床。青いひかりに満たされた方陣の中心に、黒いコート姿の人影が横たわっている。
 駆けよった俺は、仰向けになった体のそばにひざをついた。
「おい……ヤマト!」
 かがみこんで、耳もとで名前を呼ぶ。青ざめたまぶたがふるえて、ゆっくりと持ち上がった。
「………ああ、君か。ミザールは始末したのだろうな?」
 かすれた声に、いつもの覇気はなかった。それでもほっとしながらうなずけば、その口の端に笑みがのぼった。
「そうか。……ならば、私がここまで力を尽くした甲斐もあった。まったく、ヒヤヒヤさせてくれたものだ」
 緊張のあまりに乾いたのどに、つばを飲みこんで、俺は口を開いた。
「無理させてごめん、ヤマト。ありがとな」
「言っただろう。私は私の思惑で動いている……礼には及ばんとな」
 いつもの尊大な口調に、思わず口もとがゆるんだ。手を差しだす。
「行こう、ヤマト。みんなも心配してるよ」
 うながしたことばに、ヤマトは起き上がろうとはしなかった。
「ヤマト……?」
 そのまなざしだけが動いて、俺のことをじっと見つめる。
「私は………」
 引き結ばれた口もとが、不意に笑みにゆがんだ。白くとがった犬歯がのぞく。
「ようやく、明日にも私の望みが叶おうというのに……ッハ、ハハハハ…!」
 ちいさく咳きこんで、ヤマトは笑いをおさめる。
「こんなところで退場することになるとは、まったくもって無様だな。だが……もう、君にしか頼めない」
 ひゅっと、のどが鳴る。
 ようやく出た声は、自分でもわかるくらいに引きつっていた。
「ヤマト、なに言って……」
 みっともないほど声がふるえている俺に対して、ヤマトは恐ろしいくらいに平静だった。
「正直、こうして話をするのも、楽ではないんだ。すべてを告げずとも、察してもらいたいところだが……まあ、そうして動揺してくれる程度には、お前の中に私が占める部分があるのだと思えば……良しとしようか」
 声が出せない。拒むように首をふった俺に、ヤマトがうっすらとほほえんだ。
「この国を、守ってくれ。……それが、私からの最後の頼みだ」

 俺が見つめる前で、ヤマトは目を閉じた。深呼吸をするように、大きくその胸が動く。
 うすいくちびるから、長い息を吐きだして、そのまま動きが止まる。

「おい、……ヤマト? ヤマトってば」
 恐ろしい予感に駆られて、俺はふるえる手を伸ばした。ヤマトのほおに触れる。
 ぺちぺちと叩いてやる。けれど、そのまぶたが上がることはなかった。



◆       ◆       ◆



「大丈夫か、オトメ。さっきから足もとがふらついているぞ」
「平気よ、ちょっと魔力を使いすぎちゃっただけ。心配と言えば、私より彼のほうが心配だわ……ケガも治さずに飛んでいっちゃったんだもの。早く追いついてあげないと」
 疲れきった身体を引きずるように降りてきた長い階段に、気を抜けば膝から力が抜けそうになっている。その疲労をごまかそうと笑顔で言えば、ふたつ年上の同僚は思案げにうなずいた。
「そうだな、だが……」
 携帯電話の呼出し音が、そのことばをさえぎった。
「おや、噂をすれば、だな。失礼する」
 目礼をして、彼女が携帯電話を取りだした。
『ヤ……ヤマト、ヤマトが……!』
 通話ボタンを押した瞬間、取り乱した少年の声が、こちらにまで聞こえるほどの音量で流れだした。常の彼からすれば明らかにただごとならない様子に、私たち二人ともが息を飲む。一瞬の間を置いて、携帯電話を耳にあてた彼女が、努めて落ちついた口調で問いかけた。
「一体どうしたというんだ。局長がどうかされたのか?」
 トーンが下がったのか、そこから先は聞こえなくなる。
「ああ、………ああ、………なっ………わかった、こちらも急いで向かう!」
 彼女があわただしく通話を切った。
「頼む、オトメ、一緒に来てくれ!」
 すがるようにこちらを見つめる顔は、死人のように青ざめている。息を飲み、私は大きくうなずいた。

 残った短い道のりを、全力で駆け下りる。地階についたところで、ちょうど地下から上がってきた彼と出くわした。荒い息で、その背中に黒いコートの人影を負っている。
 力なくうなだれた頭が、彼の肩に伏せられていた。長めの髪がおおって、その状態は読み取れない。
「診せてちょうだい!」
 駆けよりながら鋭く言えば、うなずいて、彼はホールの床にひざをついた。ずるりと、背負われていた身体がタイルの上に横たえられる。乱れた前髪の下、目を閉じた顔はロウのように白かった。
「ヤマトさん……ヤマトさん! 聞こえてますか!」
 だらりと投げ出された手を、彼がにぎりしめる。反応は返ってこない。
 気道を確保し、その口もとに顔を近づける。同じく駆けよった同僚の彼女が、手早く黒いコートとシャツの前を開いた。頸動脈で脈を取り、呼吸を確認する。
 かすかながら、自発呼吸はある。脈拍も。今は、まだ。
「ヤマトさんの霊力が極端に弱まってる。消耗しきった私たちの力じゃ急場しのぎさえできないわ。まずは、急いで局へ運ばないと」
「了解した。ならば……」
 呼び出されたのは、毒々しい羽根をきらめかせる巨大な蛾のような姿の妖獣だ。
「大人数は無理だ。局長を連れて、オトメ、お前は先に行ってくれ! 局へは私から連絡を入れておく」
「わかったわ。……後は、私にまかせてちょうだい」
 後半は、かたくヤマトさんの手をにぎりしめ、うつむいた彼へ向けてのものだった。
 そっと、その指がほどける。様子を見ていたマコトさんがうなずいて、彼女の上司の身体を抱き上げ、身を伏せた妖獣の背に乗せた。次いで私も、そのそばに身体を乗り上げる。
『重い、重すぎるで! アンタら、ワイを何やと思っとるんや。乗り物やないてちゃんと前からゆうてるやろ? かなわんわ、もう』
 空気を読まない悪魔の甲高い声に、その体躯を軽くたたき、命じる。
「さあ、行って。ちょっとくらい揺れてもいいわ、あなたに出せる全速力でよ!」
 たとえ、明日からの道をたがえるのだとしても、このまま失ってしまうわけにはいかない。
 ふり落とされることのないよう必死になって、私はヤマトさんの身体に腕を回し、妖獣の背に押さえつけ続けた。夜風を切って、モスマンが議事堂入り口へとすべりこむ。
 連絡がとどこおりなくされたのだろう。そこには、見知った局員が数名すでに駆けつけていた。
「先生、峰津院局長は……」
「ここにいるわ、お願いします!」
 声を上げれば、ストレッチャーとともに、暗いなかでもわかるような必死の形相で走ってくる。彼らにぐったりとしたヤマトさんの身体を預け、私はそのまま、冷たい地面へ座りこみそうになってから――気力をふりしぼって、膝に力を入れる。魔力こそ底をつきかけているけれど、この場で一番彼の状態を把握しているのは自分だ。まだ、できることがあるはずだった。
 歯を食いしばって、私は走りだした。



◆       ◆       ◆



 本局のエントランスホールは、深夜でもあたたかい色合いのひかりに包まれている。
 ちらりと目を落としたケータイの時刻表示は、そろそろ日付を超えようとしていて、俺は思わずため息をついた。
 外の壊れっぷりを思えばここは天国と言っても言い過ぎじゃないが、この非常事態のさなか、さすがに空調完備とまではいかないらしい。この時間ともなると、さすがに冷えてくる。俺は身ぶるいをして、気に入りの黄色いマフラーをしっかりと巻きつけなおした。
 仲間たちのうち、ジプスの局員以外のみんなが、ホールのそこここにたむろっている。
 その中央に立ちつくし、うつむく幼なじみは、オレンジがかった灯りに照らされていてもわかるくらいに青白い顔をしていた。うなだれているせいで、ふわふわと好き勝手な方向にはねるくせっ毛に埋もれたつむじがよく見える。
 もう十年以上のつきあいだ。それでも、ここまでコイツが落ちこむところを見たのは、初めてかもしれなかった。
「なあ、……なあってば」
 だから俺は、もう何度目かの、自分自身だって信じきれていないはげましを、それでもせいいっぱいの空元気をこめてくり返す。
「なんつーかさ……そんな、心配すんなって。きっと大丈夫だって!」
 ぴくりとも反応を返さない相手に泣きそうになりながら、俺は必死になって言いつのった。
「考えてもみろよ、なんつったってあのヤマトだろ! 死に顔動画だって来てなかったし、だからほら、きっともう、すぐにさ、けろっとした顔で……」
「……ほう、騒がしいから何かと思えば」
 皮肉っぽい声が、俺のことばをさえぎった。カツンと、高い靴音が続く。
「このようなところでたむろって、わざわざ私の噂話か。志島、君はよほどに暇をもてあましていると見えるな」
「ひえええっ、ごごごごめん、別に悪口とかじゃなくてだな……ってヤマトぉお!?」
 反射的に謝りかけてから、俺はぎょっとしてふり返った。
 声の方向、エントランスと司令室をつなぐ通路の入り口に、見覚えのありすぎる姿があった。
 ゆったりとした足取りでホールへと歩み出る。色素のうすい冷めたまなざしが、冷笑をたたえてこちらを見やった。
「お、おま、マジで無事だったのかよおおお! ホント、よかったあああぁ……なっ、なっなっ、俺の言ったとおりだったろ!」
 安心したら気が抜けて、思わず涙がにじんだ。喜びに隣の肩を叩こうとした手が、すかっと空ぶって、俺は思いきりバランスを崩す。
「ヤマト!」
 戦闘でもなければめったに聞かない幼なじみの大声が、ホールにひびいた。
 イナバシロウサギもかくやという俊足で、まだ距離のあったヤマトへと駆けよる。そのまま勢いよく飛びつこうとしたアイツを、かるく腕を上げてヤマトが制した。
 偉そうな態度で宣言する。
「まずは、お前たちの意志を聞いておかねばな」
「はっ? ……俺たちの、意志?」
 抱きつくにあたって? 思わずぽかんとした俺に、ヤマトはうんざりとした表情を浮かべた。
「言ってあるはずだ。我々はすでに、無の浸食を防ぐ結界を失っている。もはや破滅までの猶予はないのだ。私は、今この時を境に勢力を確定し、世界の再興に向けての行動を開始する」
 あまりの急展開に泡を吹きそうになりながら、俺は声を上げた。
「ちょちょっちょっとお! いい今って、マジで!? お前なんて死にかけたとこだってのに、えっ、えええ!?」
「……それに、いったい何の関わりがある。今さら時間の猶予など必要ないだろう。私の望みは、世界の再興のみ。大局を見ろ、貴様らの迷いなど、知ったことではないな」
 思わず、救いを求めて、ヤマトと向かい合う幼なじみを見つめる。
 けれどアイツはふり返ってはくれず、その背中からは、俺はなにひとつ読み取ることができなかった。



◆       ◆       ◆



「邪魔していいかな、ヤマト」
 一人きり、司令室にたたずむ背中に、俺は声を掛けた。
「ああ……君か。構わん、入りたまえ」
 涼しげなまなざしが、こちらをふり返った。その口もとがかすかにほほえむ。
「……あのさ、具合はもう?」
 そんなことか、と言いたげにヤマトはうなずいた。
「君には心配をかけたようだな。大事ないさ」
 あっさりと言われて、俺は疑問を飲みくだした。……ほんとうに?
 動画が来ていなかったことは、少しも俺を安心させてはくれなかった。なぜなら――オトメの時にそうだったように、あの不思議な少年は、ヤマトの死の可能性だけは伝えてくれないだろうと思えたからだ。
 確かに、だいぶ顔色は良くなっている。それでもあの時方陣に倒れていたヤマトは、とても大したことがないようには思えなかった。それどころか、これが最後だと覚悟を決めていたように見えた。
 そうして別れて、今はけろりと照れの一つもなく立っているだなんて、それもまた、ヤマトが他人の目こそ気に懸けずとも、彼なりの美意識でもって格好を気にする一面もあるのだと知っている俺からすれば、妙な感じだ。
 もしかして、衰弱のあまり、あのあたりの記憶が飛んでいるのだろうか。
 違和感は違和感として、だけどもう、そんなことはどうでもいいとも思う。
「そっか……ほんとうに、良かった」
 ようやく、まともに息が吸えたような気がした。力を抜いた俺を、それで、とヤマトがうながした。
「ここに来たということは、私に与するつもりだと思って良いのだろうな?」
「……うん。俺は、お前といっしょに行くよ」
「そうか……君の選択に感謝する」
 軽くうなずいたヤマトの、その目の前まで歩みよる。
「俺は、ヤマトの力になりたいと思ってる」
 うすい色の目を見つめて、ことばを継いだ。
「これまでずっと、俺たちの知らないところでヤマトとヤマトの一族の人たちが積みあげてきたものの上に立ってたんだって、わかったから。さっきだってヤマトは弱音の一つも吐かないで、自分ひとりで龍脈の術式に挑んでたよな」
 俺は、腹に力を入れて、声を強くした。
「それが、ヤマトにとっての当たり前だってことはわかってる。でも、これからは……少しでいいから、俺のことも頼ってほしいんだ」
 言い切った俺を、ヤマトは唖然とした顔で見つめている。
「ぜんぶ俺の勝手な気持ちだから、認めてくれとは言わないけど。でも……いま、ヤマトに、伝えられてよかった」
 不覚にも、涙腺が熱くなった。
 うつむいた俺に、ヤマトは沈黙している。ゆがんだ視界を、くり返したまばたきで回復させたころにようやく、静かな声が降った。
「……そうか。君が私の力となってくれるというのならば、それは、頼もしい限りだ」
 かつん、とひびいた靴音に、俺は顔を上げた。
 黒いコートの裾をひるがえし、ヤマトは通路のひとつへと歩きだしていた。
「今日はもう、ゆっくりと休むといい。この本局に、君の部屋を用意する。場所は……」
 一瞬、考えるような間があった。
「すぐに、案内の者を寄こそう。このまま、ここで待っていてくれ」
 まっすぐに背筋を伸ばした背中が、うす暗い通路に消える。
 つい数時間前、一人方陣へと向かって、都庁入り口のうす暗がりへと飲みこまれた背中がふいに重なって、思わず引き止めそうになった声を、俺はなんとか飲みくだした。



「おい、もう他の者はみな起床しているぞ。一体いつまで寝ているつもりだ」
 続けざまのノックと呼びかけに、ゆっくりと目を開けた。あまり良くない夢を見ていたような気もする。
 こちらの返事を待たずに扉が開く。掛布から目もとだけをのぞかせて、俺は大声を出した。
「えっち!」
 入り口に立っていたヤマトが、ぎょっとした顔をした。
「な……っ、き、君は、何を言っているんだ。私は男だぞ」
「うん、わかってる」
 笑ってから、もそもそと身を起こした。どうしても眠気がまとわりつくのは夢見が悪かったせい、というわけでもなく、俺の通常営業だ。
「あー……すぐ着がえちゃうから、先に行っててよ」
 よほど二度寝でもしでかしそうに見えたのだろう。ヤマトがあきれた顔で、腕組みをした。
「さっさとしろ。君が立ってこの部屋を出るまで、私はここを動かんからな」
「ええー……ヤマトのえっち」
 二度目の攻撃は、大した効果を見せなかった。
「やれやれ、君のそれはユーモアか? まったくふざけた男だ」
 仕方なく、ベッドから足を降ろす。そばの椅子にかけてあった普段着に着がえると、備え付けの洗面台でばしゃばしゃと冷水を顔にかけて、ようやく頭が動きだす。
「お待たせ、ヤマト」
「では、行くぞ」
 言うなり、ヤマトはさっさと先に立って歩きだす。高い靴音の鳴った足もとに、俺はふと目を止めた。
「……あれ、もしかして、ブーツ変えた?」
「なんだ、やぶからぼうに」
「少しヒールが高くなってるような気がするんだけど。さては、背伸びしたいお年頃ってやつか」
「……君は、嫌なところにばかりめざといな。確かに新調はしたが、さほどの違いはないはずだぞ」
 機嫌を損ねたらしいヤマトをなだめながら司令室にたどり着くと、フミが、抱えたノートパソコンの画面から目を離さないままにかるく片手を上げた。
「やぁやぁ、お二人さん。待ちくたびれちゃったよ」
「どこがやねん。やりたいようにやっとるにようにしか見えんわ」
 吐き捨てるケイタに、フミが笑って応じる。
「わっかんないかなあ。研究室の設備を使いながらやるよりは、明らかに効率が落ちてるし。……あ〜そっか、わかるワケないか、チビ筋肉だもんね」
「……なんやと!」
 つっかかるケイタに、及び腰でダイチが声を掛けた。
「ま、ま、ま、それくらいで……なっ? だいたいみんなそろったみたいだし……えーとあとは、マコトさんと、あれ、オトメさんも?」
 六日目の深夜にそれぞれ道を分かった俺たちは、昨日の土曜日、一日かけての殴り合いと説得の結果、ほぼ全員がまた同じ場所に集まっていた。戻らなかったのは二人だけ。そのうちの片方、ロナウドは、ヤマトの手を取ることなく死を選んだ。そして。
「柳谷は、元より行方が知れん。栗木の陣営に行ったとばかり思っていたが……」
 ちらりと、ヤマトがジョーに視線をやった。
「いやあ、センセイは、うちには来なかったんだよねえ。俺も心配はしてるんだけどさ、小春ちゃんもいなくなってたし、二人でどっか行っちゃったのかなあと」
「えーと、じゃああとはサコっちだけ? そういや、一昨日の夜くらいからずっと見てないね」
 あっさりと言ったフミに、ダイチが目を剥いた。
「って、ええーっ!? どど、どういうことなのそれ!?」
 騒ぎたてる声に、ヤマトがこめかみを押さえた。
「菅野、お前たちには話してあったはずだが……まあいい。迫は別行動だ。一般人の保護に回らせている」
「へっ?」
 すっとんきょうな声を上げたダイチを、ヤマトがじろりとにらみつけた。
「本人がそれを望んだのでな。……まあ、ここまで生き残った者たちの中には、価値ある存在がまぎれているやもしれん。それに戦力としては、君がいてくれるのならば、迫一人が抜けても十分釣りが来る」
 突然水を向けられて、俺は苦笑した。
「そこまで買ってくれてることには、素直にありがとうって言っとくよ」
「へえ〜……ヤマト、お前がねえ」
 しみじみと言ったダイチに、ヤマトが肩をすくめてみせた。
「私とて、部下に私と完全に同じ考えに染まることまでを望むほど、狭量ではない。多少枠外にはみ出た行動を取るとしても、そこをマイナスしてなお抱えるだけの価値があると判断すれば、黙認するくらいの度量はあるのだよ」
 そこまで言うと、ぐるりと仲間たちを見渡して、ヤマトはうなずいた。
「……では、ポラリスの捜索にかかるとしよう。探すべき範囲は、不幸中の幸いだな、もう相当に狭まっている。各自、何らかの異変を発見した場合には、速やかに報告してくれたまえ」


 そうして探索の末に『何らかの異変』にぶち当たったのは、これまた幸いなことに、俺とヤマトの二人だった。
 昨日のベネトナシュとの戦いを経てもなお、意外なほどに荒れた様子のない迎賓館の正面に、見覚えのある姿が立っている。赤と黒からなる縞模様の出で立ちに細身の身体を包み、『憂う者』と名乗る彼は、こちらへと物柔らかなほほえみを向けた。
「……やぁ、来たね。輝く者よ、君を待っていた」
 彼のことは、決して嫌いじゃなかった。
 どうしようもないほどの感覚のずれこそ感じたけれど、彼はいつだって真摯で、示された厚意は本心だと思えた。俺が彼を選んだなら、親しい友人にだってなれたかもしれない。それでも、俺はヤマトの手を取った。
 大きく息を吸いこんで、応えを返す。
「ちょうどよかった。俺からも、聞きたいことがあったんだ」
 そのほそい指を口もとに添え、彼は小首をかしげてみせた。
「なんだい、輝く者よ。私でわかることならば答えよう。君の選んだ道が何であれ、その力になることは、私にとっての喜びだからね」
「じゃあ、遠慮なく。……セプテントリオンをすべて倒せば、ポラリスに会えるって言ったよね。つまり、今はまだ、セプテントリオンが残ってるってこと?」
「………ああ、そうだ」
 しばらくの沈黙を経て、彼はうなずいた。
「すべてのセプテントリオンを倒せば、ポラリスへの道が開く。私は嘘などついていないよ」
「……なるほどな。やはりそういうことか。では、我々のすべきことは決まった」
 おもむろに口を開いたヤマトへと、彼の視線が動いた。動きの少ないその表情が、不思議そうな色を宿す。
「おや……輝く者。これはいったい、どうしたことかな」
「どうって……何が?」
 思わず、ヤマトの方を見やる。『憂う者』を見つめるその横顔は、こころなしか青ざめて見えた。
「……峰津院の内輪の事情など、貴様にとってはどうでもよいことだ、化け物。……そうだろう?」
 常にも増して強い口調に、ぱちぱちと彼がまばたきをした。
「まあ、それはそうだ。けれど、君たちとの長いつきあいのなかでも、峰津院大和は特に深い関わりを持った相手だったからね。気にならないと言えば、嘘になる」
「人ならぬ貴様に、それでも感傷などというものが存在しうるというのならば、余計なことを口にするな。それが、峰津院家当主となった私の……『峰津院大和』が貴様に望む、ただひとつのことだ」
 しばらく、考えこむように彼は首をかたむけていた。やがて、ほほえみをくちびるにたたえたまま、そっとうなずく。
「いいだろう。仔細はどうあれ、君たちは、信念を曲げる気はないようだ。ならば、その実力を試させてもらうよ。君にも、それなりの覚悟と力があるのだということを、私に見せてほしい」
「つまり、どうすれば?」
 なかば、返ってくる答えを予想しながらたずねた俺に、彼はふんわりとほほえんだ。
「今までと変わらないさ。立ち塞がるすべての者を屠り、この場に再び静寂を」



◆       ◆       ◆



 戦いの末に得た情報をもとに、龍脈の最後の力は形となった。
 私は、まるで玩具のような姿に変わったそれを手にした彼からいったん借り受けて、つい先日から自分の私室となったばかりの部屋へと引きこもった。

 姿見の前に立って、ネクタイを引き抜いた。コート、次いでシャツとスラックス、最後に下着を脱ぎ落とす。そうして、ゆっくりと顔を上げた。
 くもりひとつない鏡面には、表情の抜け落ちた裸身の娘がひとり、映りこんでいる。
 手ににぎりこんだ龍脈のかけらを、胸に押しあてた。
 とたん、身体を芯からねじまげられるような気色の悪い感覚に、私は歯を食いしばる。幸いにも、耐えがたいほどの悪寒は一瞬だった。
 知らず、閉じていた目を開ける。
 眼前に立つのは既に、ただの一度もまみえたことのない、姿形だけは嫌というほど覚えこまされたもう一人の自分そのものだった。
「………ッ」
 わずかな胸のふくらみは平らに、いくぶん背が伸びて、下肢も形を変えている。
 努めて抑えていた声も、高い襟に隠していた喉仏とともに、低く甘い男のそれへと変化していた。

 この国の影として生きることを定められた双子の兄の、さらにその予備として、この身は生かされてきた。
 いかに外見が似通っていようとも、能力は兄のそれに及ばず、性別すら違うというのに、兄の代わりになどなれるはずもない。私をそうあるべく作り上げた一族の者たちでさえ、本心では、そう思っていたことだろう。だが。
「貴方に成り代わるということは……これほどまでに、簡単なことだったのだな」
 無表情にこちらを見つめ返す兄へ、私は手を伸ばした。
 冷たいガラスごしに、指を触れあわせる。
「フ……フフ……ッ」
 気づけば、くちびるから低く、乾いた笑い声が漏れていた。
 まっすぐに、私を――まだ娘の形をしていたころの私を見つめた少年のことを思う。

 おそらく、兄は、ついに彼の想いを知ることはなかった。
 ならば、そこまで心に思い定めた相手を、彼はもう決して手に入れることはないのだ。
 残されたのは、かけがえのない者を失いながらそれを知ることすらない彼と、元より己自身をも持たない私。かくも似合いの二人とあらば、ポラリスとて祝福せざるをえないだろう。
「ふ……は、はは………………ッ」
 笑みを飲みこんだくちびるから、ひとつ、押し殺した嗚咽がこぼれて落ちた。


「ヤマト、準備はできた?」
 ネクタイを締め、ジプスの長たることを示すコートの釦を止めた。黒一色の装いに、ひとつだけ白の手袋をつける。
 口もとには、ただひとりの相手の手を取るにふさわしい、不遜な笑みを。
「……ああ、もういいぞ。待たせたな」
 そうして、峰津院大和は、新しい世界への扉を開けた。





Fin.

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