06. 変わらないモノ [ FAVORITE DEAR / Angel ] 「あの、……天使さまぁ」 ひかえめな声に、セレンは足を止めた。ゆっくりとふりかえる。 天の宮をつなぐ回廊は、どこを光源とするともしれない光に、あふれている。 不自然なまでの明るさが、ふとまぶしく感じられてセレンは目をほそめた。 どこにも影の落ちない世界こそが、自分の在るべき場所。 ……そうであったはずなのに。 細めた視界のまんなかには、飛べない鳥をかたどった着ぐるみをまとう、小さな少女が浮かんでいた。 「天使さま……これで、よかったんですか…?」 高いソプラノが、天の静寂に溶けていく。 セレンは、少女の姿を取る妖精へそっと手を伸ばした。 「どうしたのですか、フロリンダ? そんな、かなしそうな顔をして…」 その小さなちいさな身体を、胸もとへと抱きよせる。 「…なにか、気にかかることでもあるのですか?」 あやすようにのぞきこめば、なぜか妖精の憂いは深くなったようにみえた。 「だって、だって天使さまは」 黒々とした大きなひとみが、ふいにうるんだ。 「勇者さまたちのこと、すごくすごく大切に思ってらっしゃったのに。勇者さまたちだって」 すん、と妖精は鼻をすすり上げた。 「なのに勇者さまたちから、天使さまの思い出を、ぜんぶ消しちゃうなんて…」 「フロリンダ…」 セレンは、指先で妖精の頭をなでた。 「それは、…しかたのないことなのですよ」 幼いこどもへ道理を説くように、しずかに。 「私がインフォスに在った十年間は、堕天使が作りだした時のよどみ。 …存在していなかったはずの時間です」 やさしく、おだやかに告げる。 「本来の時の流れを取り戻したかの世界にとって、その間の記憶は不要なもの…のみならず、要らぬゆがみのもととなる危険さえあるのですから」 黒い大きなひとみから、まんまるい涙がこぼれた。 「でも天使さま、…ぜんぶぜんぶなかったことにしちゃうだなんて。そんなの、さびしすぎますぅ…」 「フロリンダは、やさしい子ですね…」 言いつのる妖精をなだめようと、セレンは微笑みかけた。 「けれど、フロリンダ。今のインフォスでは、堕天使が引き起こした混乱も、天使の降臨も、はじめからなかったことになっているのです。ですから、勇者たちがさびしい思いをすることはありません」 安心なさい、と。いたわりをこめて、告げる。 しばらく、沈黙が落ちた。 「そうじゃないんですぅ」 腕の中の少女はぽつりとつぶやいた。 「フロリンは……天使さまが、おさびしくはないですかって思うんです……」 セレンは、思わずまたたきをした。腕の中の妖精を、じっと見つめる。 「私…?」 こっくりと、妖精はうなずいた。思いがけない問いにとまどい、天使はつぶやいた。 「わたし、は……」 彼らの世界は救われた。 だから、引きとめる声を腕を、私は、置いて還ってきた。 なぜなら、もう、天使の助力は必要ないのだから。 必要がないから、救われた世界に、彼らの中に、 ……天使は存在していない。 胸の奥で、なにかがふるえた。 ゆっくりと、胸の内で繰りかえしてみる。 私は天へ還ってきた。私を必要としない、彼らを置いて。 必要とされていない、から。 ああ。 セレンは、そっと胸を押さえた。 なぜ、気づかなかったのだろう。 それならば……置いていかれたのは、彼らではなく。 セレンは、ゆっくりと顔を伏せた。 まぶたを落とし、少し笑った。 たったひとりの、永遠。 |