07. 歌声 [ FAVORITE DEAR / Clive * Angel ] どこか遠く、闇の中から。 とどいた歌声に、クライヴは視線をめぐらせた。 よく知った声。けれど、出どころがわからない。 しばらく迷って、クライヴは焚き火のそばから腰を上げた。 涼やかな葉ずれの音、さびしげな虫の声…夜の森に息づくしずかな気配の中、その歌声はやさしく、けれどくっきりとした輪郭を持って耳を打つ。 だんだんと音源が近くなり、樫の大木の根本でクライヴは足を止めた。けれど、まだ歌い手らしき姿は見えない。 ゆっくりと、木の裏側へ回りこむ。 そうしてふりあおいだ先、ほど高い枝に、クライヴは一対の翼を見いだした。 「こんなに、あなたを、愛しているのに」 ゆっくりとした節まわし。 高みから、うつくしい音が降ってくる。 「……こんなに、あなたを愛しているのに」 もう一度同じ節を繰りかえし。そして天の歌い手は沈黙した。 ざわりと、木々をゆらして風が吹く。 しげった葉をすり抜ける月光に、ちらちらとうすい色の髪がかがやいた。 きれいな羽と髪の持ち主は、ただ遠くを見ている。 その横顔はしずかで、ひどくうつくしかった。 長いながい逡巡の後、クライヴは声を上げた。 「……セレン」 おどろいたように天使はこちらへ視線を落とした。 「クライヴ…?」 見ひらいた瞳が、ふわりとほほえみをたたえる。 「こんばんは。いつから、そこにいたのですか?」 ばさりと翼をひらめかせ、天使は枝をはなれた。 ほどなく、そのつま先がふわりと地面につく。それを待って、クライヴは答えた。 「そうだな、…四半時ほど前からか」 「そうだったのですか? まったく気がつきませんでした」 天使は小首を傾げた。うす青のひとみが、クライヴを映す。 「足音もしませんでしたし…それに、こんな目の前にいても思うのですが、クライヴの気配はとても静かですね」 「……狩る相手に悟られては、仕事にならないからな。…癖のようなものだ」 クライヴは軽く息を吐きだした。 「それより…こんなところで何をしている? …しばらく前に、帰ったものだと思っていたが」 「あ、…ええ」 天使はうなずいた。揺れる髪を、月光がすべり落ちる。 「いったんラキア宮へ戻るつもりだったのですが、すこし思い出して、…いいえ、思い出せなくて」 クライヴは眉をひそめた。天使は、少し困ったようにほほえんだ。 「以前に、教えてもらった歌なのです。でも、途中が思い出せなくて」 伏せたまつげがほおに影を落とした。 うすくれないのくちびるが、そっと開く。 「……こんなにあなたを愛しているのに、……」 やわらかな声がさえずった。たしかめるように、繰りかえす。 「こんなに、あなたを…」 まるで自分へ向けられたかと錯覚しそうなやさしい声に、わずかに心が揺れて、そんな自らをクライヴはあざ笑った。 「もう一度、聞きに行けばいいだろう……気になるのなら」 天使はかるく目を見開き、それからさびしげに笑んだ。 「この歌を教えてくれたひとは…ナーサディアは、前に降りた世界の勇者で」 天使のうす青いひとみが、かすかに揺らいだ。 ぽつりと、つぶやく。 「彼女は、私の前にその世界に降りた天使の、想い人でした。…彼女も、その天使を慕っていたのです」 クライヴは、天使の言いたいことがつかめず沈黙した。 「……愛しているのに、の後に、どんな言葉が続いたのか」 天使はかすかに痛みを抱えたひとみで、ゆるゆると笑んだ。 「思い出せないのではなくて、…ただ、思い出したくないだけなのかもしれませんね」 愛しているのに。 そのことばに続く感情は、あたたかなものではありえないのだから。 そっと天使はささやき、目を伏せた。 「……セレン」 クライヴは眉をよせた。 「どんな詞が続くのだとしても。……想いが、どうゆがんだのだとしても、そいつは」 人は、天使のようにはあれない。 はなれれば心ゆらぐ弱さ、想いに見かえりをねがうあさましさ。それでも。 「天使を愛していたのだろう。……ちがうのか」 天使は、すっと目を上げた。 月明かりのひとかけらが落ちて、空色のひとみがきらめく。 「ならば…愛したからこそ、彼女は不幸せになったのでしょう?」 「俺には、そいつのことはわからない。…だが、」 言いかけて、クライヴは、口をつぐんだ。 告げても、天使は辛い顔をするのだろう。 今、その勇者を思っているのと、同じように。 クライヴは指を伸ばした。 そっと、すべらかなほおをすべり落ちるしずくをぬぐった。 それでも、出会えてよかった、と言える。 彼女を知らずに生きた過去よりも、彼女への想いに苦しむ今のほうが。 ただひとり、この地上で天使に焦がれつづけるだろう未来でさえ。 ―――幸せだったと、言えるのに。 告げれば、天使は泣くのだろう。 |