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18. 旅立ち  [ Zill' Oll / Lemghon * Heroine ]



 野営で組んだ焚き木のかたわらに、火口を持った娘がひざをついた。たちまち産声を上げた小さな炎が、娘のひとみに映って揺れる。その横顔を、いささか無遠慮にレムオンは見つめた。
 すその短いクロースから伸びた手足は、野良仕事に励んでいる者らしく日に焼けており、貴族の子女と言い張るにはあまりに無造作に断ち切られた栗色の髪。引き結ばれたくちびるに、年頃の娘らしい甘やかさはうすい。
 この娘を腹違いの妹として王宮へ連れ出すと決めたレムオンも、かの王妃に、彼女をファーロス屈指の名家たるリューガに連なる者として信用させられるとは思っていなかった。そもそもこちらも女狐も、はなから茶番と承知の上での儀式に過ぎぬ。
 視線に気づいたものか、炎の輝きを宿したその眼が、ふいにこちらに向けられた。
 そのままじっとレムオンを見つめた後、娘はぽつりと口を開いた。
「そういえば、まだ、お礼を言ってなかった」
「……お前の弟を救う手助けをしたことについてであれば、もう聞いたと思ったが」
 眉をひそめたレムオンに、娘は首を振った。
「そっちじゃない」
 己の弟が水汲みに行った方角を見やって、もちろんそれもありがたいと思っているけど、と言い添えてから、娘は続けた。
「私が感謝しているのは、ノーブルの村を、村の人たちの命を救ってくれること」
「ほう」
 多少の興を覚えて問い返す。
「いつ俺がそんなことをすると言った」
 不思議そうに、娘は首をかたむけた。
「これから、村の反乱と密書の件で王都へ行くって」
「それで?」
 娘は少し困った顔をした。
「治める領地で反乱があったと知れれば、あなたの立場が悪くなる、と聞いた」
「そうだな」
 しばし考えこむそぶりの後、娘はレムオンに視線を戻した。
「それで、あなたが、馬鹿正直にこの二人組が反乱の首謀者ですと言って、私とチャカを突き出すとは思えないのだけど」
 揶揄も卑しい期待もない、ただ、素直な声音だった。
「…なるほど、な」
 くっ、と思わず咽が鳴る。こらえることはせず、レムオンは笑った。
「よくわかってるじゃないか。…反乱など始めから起こっていなかった。事実としては、そういうことになる。だがそれは、たんに俺の利のためにすることだ。礼を言われる筋合いは無いな」
「結果として、助けられることに違いはないもの。私が感謝しているから、言っておきたいだけ」
 娘が立ち上がった。軽くすそについた泥を払い落とす。そうしてレムオンを見やったひとみが、わずかになごんだ。
「ほんとうに、あなたには、どれだけお礼を言っても足りないの。これまでずっと、どうすればいいかわからないまま、走りつづけてたから」
 レムオンは片眉を上げた。
「反乱を起こすつもりだったのではないのか?」
「それは……」
 娘が首をかしげた。目を細め、しばし悩むように口を閉ざす。
「……最初は、ほんとうに何も考えてなかった」
 考え考えといったふうに、娘は言葉をつむぐ。ふと、上がった視線がレムオンを捕らえた。
「ボルボラがひどいことをするたびに飛んでいって、剣を振り回してやめさせて、ただそれだけ。でも、だんだん人が集まってきてからは…ボルボラをどうにかできたとしても、それでめでたしとはいかないだろうな、と思ってた。ただ、集団として動くことで、血の気の多い面子の歯止めになれれば、……」
 レムオンは、目の前の娘をまじまじと見た。
「そこまでわかっていたのであれば……」
「最初からおとなしく、羊のように従っていればよかった?」
 低い声でひたりと言われ、レムオンは肩をすくめてみせた。
「そうしてくれていれば、俺がそのうちどうにかしたと思うがな。お前たちも、村を追われずにすんだろう」
「……あなたの、言うとおりかもしれない」
 言った娘のひとみは、けれど賛同にはほど遠い光を宿していた。
「でも、目の前で大事な畑がめちゃめちゃにされて、知ってる人が傷つけられたら、やっぱり我慢なんてできない。するつもりもない。そうやって、自分のやりたいようにやった結果として、村にいられなくなったんだから…それはしょうがないことだと思ってる」
 まっすぐに、娘のまなざしがレムオンを射抜いた。
「私は馬鹿だったけど、それでも後悔はしてない」
 そのことばに虚勢の気配は無い。
 本気で、彼女を矢面に立たせておいて、最後にはすべて引きかぶせ殺そうとした村人たちを恨みはしないと……すべては己の望み、己の行いの帰結であると、そう言うか。
 レムオンは、深い色をした娘のひとみを見つめ返した。ややあって、うなずく。
「…そうか」
 娘が、己の有り様を、どこまで自覚しているかはわからない。ただ、こちらを捕らえて揺らがぬまなざしに宿るものは、己の信じたことを、その魂にかけて果たそうとする意志だ、と思う。
「ミシェル」
 呼んだ名に、娘がかすかに首をかたむけた。
「お前の魂を、引き出して見ることができたなら…きっと、混じり気のない青い色をしているのだろうな」
 娘は、あからさまに困惑した顔になる。レムオンは笑った。
 それは、誇り高く優れた者たちの身のうちに、流れると言われた血潮の色。
「とうの昔に、貴族たちからは腐り果て失われた、稀なる青だ」
「あなたが何を言っているのか、さっぱりわからない」
 渋面の娘に、レムオンは薄くほほえんだ。
「ああ、わからなくていい」
 血肉は貴族のそれでなく、ただ尊く青い魂を持つ娘よ。
「すぐに、誰もが知ることになるのだろうから」






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