> BACK


20. 優しい嘘  [ SUMMON NIGHT2 / Magna + Bulrell ]



 窓の桟に寄りかかり、バルレルは外を眺めていた。
 うんざりするほどの好天だ。降りそそぐ陽光に、聖なる大樹の緑がしたたるようにかがやく。
 あの木の下に、今日もあいつは座っているのだ。

「ねえ、バルレルくん」
 不意に、ほそい声が己を呼んだ。
「……あん?」
 ふりかえれば、外の明るさにうす暗く感じられる部屋の中、ぽつねんと少女が立っていた。まるい茶色のひとみが、こちらをじっと見つめている。
「聞きたいことがあるの」
「……ンだよ。くだらねェことだったら、ただじゃおかねえからな」
「あのね」
 少女は、確認するようにゆっくりとささやいた。
「バルレルくん。…マグナのこと、ずっと、守ってくれるよね?」
 ざわざわと、森の揺れる音がする。
 答えを待つようにかしげた首に、やわらかな長い栗色の髪がふわりと揺れた。
「……ハァ?」
 ぐいと、バルレルはくちびるをひき曲げた。嘲り混じりに吐き捨てる。
「なに言ってんだよ。あのバカを守るだァ? オレとテメエでかかってっても余裕で返り討ちにしちまいそうな、あのニンゲンをかよ」
 笑い飛ばし、立ち去ってしまいたい衝動と裏腹に、窓辺に立ちつくした脚は縫い止められたように動かなかった。
 じっとこちらを見つめる、少女の白い肌。まるで、生身の生き物ではないような、静謐な気配。
「守ってほしいのは、体じゃない。いまのマグナがどんなに不安定かなんて、あなたが一番よく知ってるはずよ」
 バルレルは思いきり舌打ちをした。
「……脳みそ溶けてんじゃねェか。テメエが面倒見てやりゃあ済むことだろうがよ。なんでオレが、そんなことしなくちゃならねェんだよ」
 にらみつける先で、ふいに少女はほほえんだ。
「わかってるでしょう、バルレルくんだって」
 すこしさびしげに。やさしげに。
「禁忌の森の結界が壊れたことで、アルミネの力はこの世界から消えようとしてる。……あたしは、もう、長くはここにいられない」
 からむ視線が外れるまで、どれほどの時が経ったか。
「……わーったよ!」
 吐き捨て顔をそむけたバルレルの視界の隅で、ほっとしたように、少女の目がなごんだ。
「ありがとう。これで、あたし、安心して………」

 途切れたことばに、バルレルはふりかえった。
 うす暗い部屋に差しこむ日射しのなかに、ちらちらと埃が舞っている。
 そこに、かつて天使であった少女の姿はなかった。
「……アメル?」
 まるで、初めからそこには誰もいなかったかのように、あっけなく少女は消えていたのだった。



「……あれ」
 夕暮れになり、ふらふらと小屋に戻ってきた青年は、出迎えたバルレルに少し不思議そうな顔をした。
「ああ、オンナなら、……ちょっと芋を買いに出かけるってよ」
 先んじて声を出す。さすがに、ぼんやりのマグナも怪訝な顔をした。
「え、でも、もうこんな時間なのに……」
「じきに、戻ってくる」
 言いながら、手を伸ばした。自分の頭くらいの位置にある、マグナの胸に手を当てる。
「バルレル?」
 呼ぶ声が、わずかにとまどいを宿す。それでもマグナは、無防備にこちらを見下ろしていた。
「だから、テメエは、気にしなくていい。……なにも」
 一瞬、その黒いひとみの焦点がぶれた。魔力をこめた言霊は、気の弱った男をあっさりからめとる。
「……そっか。うん、わかった」
 こどものようにうなずいて、マグナは笑んだ。
「先に晩飯食っちまおうぜ。……出る前に、オンナが作ってったからよ」
「ああ、それにしてもアメル、ほんと芋料理が好きだよな。芋ばっかりでもレパートリー多いからいいんだけどさ」
 軽い口調で、食堂へと歩いていくマグナの背を、暗い思いでバルレルは眺めた。



 黄昏時。すべてがあいまいに、境目を失う時間。深まる闇に紛れて、ばさりと赤いつばさがひらめいた。
 街での食料の仕入れから戻って、パンと果物、薫製肉の詰まった布袋を片手に、バルレルは小屋の前に立つ。
「マグナ?」
 扉を開けた中は暗かった。荷物を置いて探すも、どこにもいない。いつもならとっくに大樹から戻ってきている時間だ。わずかによぎる不安を抑えて足早に見に行けば、マグナは、大樹の根本でまるくなっていた。
「おい、マグナ」
 安堵とともに声をかけても、樹に守られた薄闇の中、青年に動きはない。
 のぞきこめば、眠っているようだった。わずかに眉根が寄っている。
「う、……」
 苦しげにうめいて目覚めない様子に、バルレルは舌打ちをした。
「起きやがれッ!」
 その背中に蹴りを入れた。ぼんやりと青年が目を開ける。わずかにさまよったまなざしが、そばに立つバルレルを捕らえた。
「バルレル」
 ふいに、その双眸が泣きそうにゆがんだ。伸ばされた手がバルレルの足をつかむ。
「なんだよ」
「……たんだ」
 小さな声に、しゃがみこむ。
「あァ?」
 マグナが、落ち葉の中からゆっくり半身を起こす。
「夢を、見たんだ……朝、目を覚まして、台所に行くんだけど、誰もいなくて。おまえも、アメルも……」
 バルレルは身を固くした。
 帰ってこない彼女のことが彼のなかでどう片づけられているのか、バルレルは確かめていない。
 消えた娘の名前が、彼の口から出るのはあの日以来だった。
「夢、だよな」
 おびえを潜ませた声に、バルレルはうなずいてやる。
「決まってんだろうが。……オレはここにいる」
「そっか。……よかった」
 明らかにほっとした顔をした青年の手を引いて、立ち上がらせる。
「ほれ、晩飯にするぞ。とっとと来やがれ」


 その晩、いつにもましてマグナは茫洋とした様子だった。うとうとしていたかと思えば、はっと目を覚まし、しばらくすればまた舟をこいでいる。
「……おい、ウスラぼけっとした顔してねェで、寝るならさっさと寝ちまえよ」
 見かねて声をかければ、マグナはあいまいな顔でうなずいて、けれど座った椅子から動かない。
「ったく、そこまで面倒見てやらなきゃならねェのか?」
 舌打ちをひとつ。バルレルはマグナの手をつかみ、引っ張っていった。
 寝台へとその体を突き倒す。マグナは、抗うことなく仰向けに倒れこんだ。
「……バルレル」
 背を向けたところで、呼ばれた名にバルレルはふりかえった。
「あん?」
「俺、……」
 しばらく言いよどむ様子を見せた後、マグナは濃い怯えをにじませ呟いた。
「寝たくないんだ」
「ガキかテメエ」
 鼻で笑ったバルレルに、マグナはふるえる声で続けた。
「夢の続きを見たくない」
 孤独な悪夢を確信しているかのような言い様に、バルレルは顔をしかめた。
 しばらく迷って、それから、口を開く。
「……オレの、誓約解け。……見ねェように、してやるから」
「ホントに?」
 すがる目で見られて、バルレルはうなずいた。
 おずおずと伸びたマグナの指が、バルレルに向けて印を切る。
 身の最奥に熱が灯る。足元からぶわりと風が吹いた。体の中から作り替えられる昂揚感。
 それらが収まって、バルレルは知らず閉じていた目を開けた。伸びた前髪を払いのける。高くなった視点で、寝台の青年を見下ろした。
「……久しぶりに見るなあ、おまえのその格好」
 わずかに笑ったマグナに、バルレルは低くうなった。
「テメエ、この魔公子サマを前にして、言うことがそれかよ。ちったァビビれっつーの」
 懐かしげな表情を変えない彼に、バルレルはフンと鼻を鳴らした。
「まァ、んな反応、テメエに期待するだけムダか。……ったく、締まりのねェ顔しやがって。あとはまかされてやるから、寝るならとっとと寝ちまえ」
「ありがとう、バルレル……」
 ほっとした顔で、マグナはすうっと眠りについた。
 寝息が深くなるまで、バルレルは黙ってマグナを見下ろしていた。つと、そのひたいに手を伸ばす。
 指先に宿したねがいはひとつ。
 魔力で押さえ込んだ彼の精神が、夢で真実を訴えるのならば、さらに強い力でその悪夢さえも奪えばいい。
 現実をゆがませた代償に。夢の世界では、せめて、彼の望む者がそばにあるように。
 それは、ごく他愛ない干渉のはずだった。




 ふと、楽しげに笑う声が聞こえた気がした。
 寝台脇の椅子で、いつのまにかうつらうつらしていたらしい。はっとして覚醒するも、目に映ったのはただ、こんこんと眠る青年の姿だ。バルレルは、ふっと息をついた。
「………なァ、マグナ」
 寝台に両のひじをついて、つぶやく。
「いい夢、見てるんだよな。オンナと、メガネと……」
 あの夜から目覚めることなく眠り続けている彼の、やせ衰えた顔に浮かんでいるのは、幸せそうなほほえみだ。
 バルレルは身をかがめた。前髪をかき上げ、ひたいを重ね、彼を生かすための魔力を注ぐ。
 じっと、間近にやつれた顔を見つめる。
 無性に、あの黒く輝くひとみが見たかった。けれど、たとえばニンゲンのおとぎ話のようにくちづけを贈ったとして、自ら眠りを望む彼が目覚めることはないだろう。
「そっちにゃ、オレもいるのかよ?」
 バルレルは、口の端をゆがめ、わずかに引き上げた。
 残酷なばかりの世界から、こいつを守りたかった。
 そうして夢を与えたのは自分。囚われることを選んだのはこいつだ。だから。
 こんなはずじゃなかった、こんなつもりじゃなかったと、叫ぶ心をねじ切り笑ってやろう。

 マグナ、お前が望むのならば、オレは最期までお前の枕辺で、やさしい嘘をつむぎつづける。





> BACK