吹雪が、視界を白く塗りこめている。 前を歩く者のかすむ背中と靴跡を追って、ローファルは目をこらした。すでに四人が踏みわけた雪を、感覚を失いつつある足でさらに一歩、踏みかためる。 はきだしたため息は、そのまま風音にまぎれて消えた。 「今さらなんだが…なんだってあんた、こんな仕事の誘いを受けたんだよ」 返らぬ返答にローファルはふり返った。 「おい…リピピ?」 連れの姿を見いだせず、わずかにうろたえる。吹雪で互いを見失わぬよう、魔道士でも目くらましの魔法は使っていないはずだ。見回すも、狭い視界の中に求める者はなく、ローファルは先に進む面々へ向けて声を上げた。 「悪い、待ってくれ! リピピがいない」 しばしの間があって、雪のとばりの向こうから、ばらばらと人影が引きかえしてくる。最後に、先導をつとめていたリーダー格のミスラが姿を現した。 「ちょっと、こんな面倒なところではぐれたっての!?」 困惑した口調で、続ける。 「ただでさえ、この天気で予定からまる一日遅れてるんだ。あんたも身内ならしっかり面倒みといてくれなきゃ」 「あの…リィさん。そんなことより、早く彼女を見つけなくては。みなで戻りましょう」 渋面の彼女に、白い法衣をまとったヒュームの娘がおずおずと口を開く。その提案へミスラがこたえる前に、ローファルは声を上げた。 「いや、いい。俺が連れ戻してくる」 「えっ、でも…」 物言いたげな娘をさえぎって、ローファルは続けた。 「ここから四半里ほど南に遺跡がある。中にゴーレムがいるが、魔法をつかわなければ襲ってこない。あんたらはそこで夜営がてら待っててくれ」 ミスラが鼻にしわをよせた。 「じきに日が暮れるよ。あんたひとりで大丈夫なの?」 「これでも狩人のはしくれだ。人を探すなら俺一人のほうが身軽だし、地理感には自信があるんでな」 何より、ジュノでかき集められたにわか仕立てのパーティでは二次遭難者が出かねない。それがローファルの本心だった。そこまで言わずにすめばそれに越したことはないが、もしなお反対されるようなら…ローファルはミスラの返答を待った。 しばらく難しい顔でうなった後、ミスラはうなずいた。 「……わかった。明日の朝までそこで待つ。それで戻らなければ、先に進むよ」 ふうっと、ためいきをつく。 「黒魔道士がいてくれればほんと、ありがたいんだけどね……依頼主を待たせるわけにはいかないから」 「追いつけるように、努力はするさ」 「ああ、頼むよ。…っと、そうだ。これは念のため。後でちゃんと返してよね」 投げわたされた袋を確認する。ハイポーションの小瓶と、オイル、パウダー。その日暮らしの冒険者としては、どれもそれなりに値の張る品だ。 「さあ、聞いての通りだ! みんな行くよ!」 声を上げるミスラへ軽く手を挙げて、元来た方角へとローファルは歩きだした。 たたきつける雪の弾幕の中、消えかかっている自分たちの痕跡を、逆にたどっていく。 半里ほど戻ったところで、ローファルはようやく探し人の足跡を見いだした。 雪原にひざをつき、丹念に調べる。 そこまで進んできた小さな足跡は、氷の張った池近くで、彼女の歩幅にして五十ほど引き返し、さらにそこから横に道を外れ、まばらな針葉樹林の中へと続いていた。 ローファルは、顔を上げて周りを見まわした。 すこし離れたところに、ツンドラタイガーの足跡がある。ひやりとするが、特に獲物を追ったような形跡はなかった。リピピの足跡にも乱れはない。 おそらくは。ローファルは思いを巡らせた。池のように、特定の属性の力が強くなる場所の近くでは、エレメンタルが生じていることが多い。魔法の使えない状況で、近くまで来ていたタイガーに見つからないよう少し道を引き返し、そうこうするうちに距離の空いた自分たちに追いつこうと道を外れて、はぐれたのではないか。 再度、地図の上で自らの位置を確認して、ローファルは足を速めた。 木々が吹き荒れる風雪を弱め、視界はずいぶんましになっていた。 林の中は雪も浅く、雪原よりは歩みも楽なものだ。だが、そこを進むことが必ずしも安全に繋がらないことをローファルは知っていた。茂みや倒木の陰にひそむやもしれない飢えた肉食獣を警戒しつつ、歩くこと数分。朽ちかけた倒木の脇で、追ってきた足跡が、不意に途切れた。 緊張で息を飲み込んだ次の瞬間、感じとった気配にゆっくりとローファルは力を抜いた。ゆるみかけた気を引きしめて、あたりの気配を探る。近くに攻撃的な存在がいないことを確認して、声を上げた。 「おい、そこにいるんだろう。無事なのか?」 一拍をおいて、望んでいた応えが返った。 「ローファルさん?」 発せられた声は、彼女の身にかかっていた目くらましを瞬時に打ち消した。 倒木の向こう側に、座りこんだタルタル族の娘が姿をあらわす。大股に、ローファルはそちらへ歩みよった。 「ごめんなさい……」 転んだのだろうか、防寒着も、そのフードの下からはみ出した墨色の髪も雪まみれにして、娘がローファルを振り仰いだ。エルヴァーンのローファルと目を合わせるには、ほとんどのけぞるような様相となる。 「俺も言いたいことはあるけどな、話は後だ。足をどうした?」 雪に突っ込んだ片足に、かばうように手を当てているのを見て、ローファルはその傍らにひざをついた。 リピピは手元に目を落とした。力無く耳がたれている。 「木の根に、足がはまって、抜けなくて」 手には短剣がにぎられていた。なんとか抜け出そうとしたのだろう。 かきわけられた雪とともに、湿った木屑がちらばっている。 「なるほどな」 ため息を一つ。ローファルは、片手斧を利き手にかまえた。もう片方の手で、リピピの肩を押さえる。 「……動くなよ」 かすかに身をこわばらせた相手に言い置いて、斧を大きくふりあげる。二度、三度と打ち下ろせば、リピピの足を捕らえていたくびきはただの木切れと化した。 ほうっと、リピピが息をはいた。 「ありがとう」 倒木に手をかけ、立ち上がろうとして、その小さな体がよろめいた。雪の上にひざをつく。 足がしびれたのだろうと察して、手をさしのべる。小さな手がローファルの指をつかもうとした、その瞬間。リピピがはっと息をのんだ。背後に生じた気配に、ローファルはそのままリピピを抱えて前方へ跳ぶ。 深い雪だまりに体勢を崩しかけながらふり向けば、白い雪の下から、スケルトンがゆっくり身を起こそうとしているところだった。 とっさに矢筒から一矢引き抜き、ぎりりとつがえる。放った矢はあやまたず亡者の腰骨を叩き、黄ばんだ骨がばらけてあたりに散らばった。 転がった頭蓋骨のうつろな眼窩に、ぼうっと暗い光がともる。かたかたとそのあごがなり、見ているうちにも、雪の上に散らばった骨がふたたびひとつところへ集まり出す。 雪の中に放り出したリピピが、もがいて立ち上がるのが見えた。その小さな手が、引き抜いたロッドを水平にかまえる。 わずかな詠唱につづいて、バインド、と小さくささやかれた呪言が氷の蛇へと変じ、雪の中うごめく骨くずをその場に縫い止めた。 それを見届け、ローファルはリピピをすくい上げた。そのまま肩にかついで走り出す。 背後で、ひゅうっと、不死者が悲しげな叫びを上げた。 がらんとした遺跡の内壁に、焚き火のはぜる音がひびいた。 「それで、どうするつもりだったんだよ、あんたは」 合流した他の面々は、すでに眠りについている。抑えた声で、ローファルは問うた。 くすぶる生木の位置を気にしてか、手にした木切れで焚き火の木組みをつついていたリピピが、おずおずと顔を上げた。小さな炎が、がらんとした遺跡の内壁に娘の影をゆらめかせる。塔の小さな入り口から雪片混じりの風がふきこむたび、そこここに巨大な置物めいて立ちつくすゴーレムたちからも伸びるそれと入り乱れ、奇妙な影絵芝居を演じていた。 ローファルは、険しくなる声音を押さえる気にもなれず、問いを繰りかえした。 「あのままあの場所で足が外れるまで、木を削ってるつもりだったのか」 もちろん、延々とそんなことを続けていられたはずがない。日が落ちた後に力を増して目覚めるアンデッドたちは、弱っている生き物―――この場合それは足を傷め動けなくなっている哀れなタルタルのことだ―――をあっさりと見つけ出し、おぞましい歓迎のやり方でもって、彼女を新たな仲間として迎えいれていたことだろう。 「悪あがきせず、さっさとデジョンで帰還すれば良かったんだ。俺が着くのがもう少し遅かったらどうなってたか、わかるだろ?」 リピピは、返答を迷うように口を開けたり閉じたりしてから、言葉を紡いだ。 「……求められた役割を放り出して、戻るわけにはいかないって、思って、でも」 しゅんと耳が垂れ下がる。 「それでローファルさんに迷惑をかけてちゃ、本末転倒ですよね。本当にごめんなさい」 「……あのなあ」 ローファルはため息をついた。 「あんた、冒険者稼業を始めて、どのくらいになるんだ」 最近同じリンクシェルに入ってきた彼女の経歴を、ローファルはほとんど知らない。 それは彼女に限ったことではなく、ひとりで行動することの多いローファルにとっては、リンクシェルメンバーのほとんどが、名前とジョブを知っているという程度の間柄に過ぎなかった。今回は、つい先日火急の用があった折に移動魔法の提供を申し出てくれた彼女が、身の丈をこえた依頼を受けた話を聞いて同行したまでだ。 他人に負うところのある状態は、ローファルにとって慣れない、どうにも据わりの悪いものだった。早めに解消して、それですっきり終わらせておきたい。 「三ヶ月と少しです」 「国で、学者でもやってたのか」 おどろいた顔で、リピピは大きく首を振った。 「まさか! ただの学生でした、魔法学校の」 「なるほどな」 多少違えども、想像と遠からずな回答に、ローファルは二度目のため息をついた。 使う魔法のレベルはそこそこ高い割に、立ち振る舞いがどうにも初心者じみている。 「まず、最初に、はぐれかけた時点で、声をあげるべきだったんだ。それでモンスターに気づかれておそわれたとしたって、人数がいればどうとでもなったんだからな」 リピピは、大きな目をしてこちらを見あげている。 「どうせ、気が引けてひとりでなんとかしようと思ったんだろう。だけどな、自分の力量でどこまでできるかも判断のつかないレベルの奴が、そんなことをするもんじゃない。そもそも、おそわれてもどうにかなるようにパーティを組んできたんだ。そこで助けを求めることは、甘えでもなけりゃあ、迷惑でもない。他の奴らにしちゃあ、それこそ自分の役割を果たすってだけの話だ」 いまいち理解の着いていかない様子の顔に、言葉を継いだ。 「あんたは、北の地へ行くには少々レベルが低い。それでもいいってことで、今回の話に誘いがあったんだろう? 道中で足を引っ張ることなんて、あんたを面子にいれた時点でみんな承知の上なんだ」 そこまで言って、思い当たった事実に顔をしかめる。 「……そうだな、むしろ、目を離した俺も悪かった」 「いえ、そんな!」 声を上げてから、リピピは両手で自分の口を押さえた。周囲を見回し、目覚めた者がいないことに安堵の息を吐く相手にローファルは苦笑する。 「そういう発言が出るあたり、まだわかってないってことだぜ」 いいか、とその黒い鼻先に指を指す。 「あんたは、できなくて当たり前。いま必要とされてることは、それを無理にやろうとすることじゃなく、無理な部分は素直に他のやつらにまかせることだ。わかったか?」 リピピは、泣くような笑うような何ともいえない顔で、小さくうなずいた。 「……はい、でも」 「ああ?」 まだ何かあるのか。胡乱な目で見やれば、少し身体をすくめて、それでもリピピは言葉を続けた。 「今はだめでも、きっとできるように…わたしがローファルさんを助けられるようになりますから」 思わず、ローファルは吹き出した。 「ひよっこが、ずいぶんでかい口聞くもんだ」 リピピはみるみるうちに顔を赤らめた。ばたばたと手をふる。 「あ、いえその、そういうつもりじゃなくてですね、がんばる心構えというか、ちゃんと一人前の冒険者になって、頼った分、頼られるような、そんなふうになれたらな、って」 「それはそれは」 ローファルは笑い声をたてた。 「そりゃあ、ローファルさんからしたら、初心者もいいとこのわたしがこんなこと言ってもお笑いぐさでしょうけど…」 しゅんと耳のたれた娘の肩を、笑いをかみ殺して、ローファルは叩いた。 「ああ、いや、期待せずに待っててやるよ」 次の日からの道のりはおおむね順調で、ザルカバードのアウトポストで、依頼主であるガードにまみえることができたのは、当初の到着予定から遅れること半日後のことだった。 「君たちがそうか!」 心底安堵した様子で、タルタル族のガードは両手を合わせるウィンダス式の敬礼をした。 「天候のせいだとは思ったんだが、こちらも国に急ぎの仕事ができたものだから、気ばかり急いてね。すまないが、すぐにでもテレポメアをお願いしたい」 「あっと、それなんですが、旦那」 リーダーのリィが応じる。 「なんとかデジョンII持ちの黒魔道士が見つかったもので、一緒に来てるんですよ」 「おお! それはありがたい!」 ほとんど飛び上がらんばかりにして、ガードは一行を見渡した。 ほれ、とローファルはリピピの背を押した。よろめくように進み出た彼女に、ガードの期待の目がそそがれる。 「君が、その?」 緊張した面持ちでうなずいたリピピの手を取って、ガードはぶんぶんと上下に振った。 「ありがとう、ほんとうに助かるよ! 報酬はジュノのウィンダス大使館で受け取ってもらうことになるが、元の約束より五割上乗せするよう、僕から言っておく」 「あ、あ、あ、あり、がとう、ございます」 同じタルタルとはいえ、戦士の膂力でふりまわされて、なかば目を回した様子でリピピが頭を下げた。 「それじゃ、分け前は各自のポストに送っておくから」 明くる日、引継ぎのガードがアウトポストにやってきた。それまで代わりに留守居をしていた自分たちもいよいよ帰還となって、上機嫌のリィが面々に告げた。 「あー、これでやっとこんな寒いところからおさらばできる!」 「無事終わって、よかったです」 それぞれ喜びと安堵の声を上げるメンバーに、リピピもほっとした様子で腰を上げた。 「お疲れ様でした。それじゃ、デジョンでお送りしますね」 「あ、おい」 「ちょっと待ったあ!」 気づいて止めようとしたローファルにかぶさって、リィの声が上がった。詠唱を始めようとしたリピピが、きょとんとした顔でそちらを見上げる。 「えっ?」 「ガードがいるとはいえ、万が一ってこともある。一度、どこかへテレポで移動してからのほうがいいだろうね。魔力がつきた黒魔道士ほど、危なっかしいものはないんだから…シェリー!」 心得たように、白い法衣の娘が進み出た。 「ホラのゲートクリスタルをお持ちでない方は? …だいじょうぶですね」 長い詠唱を経て、彼女の魔法が発動する。とたん、やわらかな空気が身体をつつみこんだ。 ラテーヌ高原は、雲一つない晴天だった。あたたかな日差しが、まつげの先にくっついていた雪片を溶かして、ローファルはまばたきをした。横で、大きくリィが身震いをする。細かな水が飛び散った。 「ああ、生き返った気がするよ。さて、あらためてお願いできる?」 こくこくとリピピがうなずいた。 「あの、お気遣いありがとうございます」 リィが苦笑した。 「いや、こっちこそ、今回は無理させてわるかったね。レベルが低いのはわかってたんだが、デジョンIIを習得してるくらいだ、それなりに年季が入ってるものかと思いこんでた。あんた、冒険者始めて長くないんだろう?」 リピピが顔を赤らめた。 「……ごめんなさい」 「別に謝ることじゃないよ。確認しなかったのはこっちだし、あんたが来てくれたおかげで助かったんだから。そうだな、気にするぐらいなら」 屈託なくリィが笑ってみせた。 「次組むときには、もう気遣いなんて必要ないってくらい、腕をみがいておいてもらうってことで」 リピピが、大きく目を見開く。ローファルが見つめるその先で。 「はい!」 うなずいたその小さな面が、ラテーヌの日射しにも負けないほど晴れやかな満面の笑顔になった。 久しぶりのジュノの雑踏は、風雪の音に慣れた耳には新鮮に響いた。 大きく息をついて、競売へ足を向ける。荷のなかのクリスタルやら獣の皮やらを始末すれば、それだけでもしばらくは食うに困らずにすみそうだ。報酬が入ったら、まず矢の材料を補充して、それから… 『あの、ローファルさん!』 突然届いた、リンクシェルでは滅多にない名指しの呼びかけに、ローファルはおどろいて足を止めた。とたん、なにかがどんと背中にぶつかる。振り向けば、ヒュームの戦士が顔をしかめているのに道を空ける。 『今回は、いっしょに来てくれて、ほんとうにありがとう』 はずんだ声は、ついさきほどラテーヌで別れたばかりのものだった。 『黒魔道士として、ちゃんと役に立てたんだって思えたのは初めてだったから、すごくすごくうれしくて。ローファルさんのおかげです』 リンクシェル越しの彼女に、何と返したものか考えあぐね、ローファルは沈黙した。 己にとって、誰かしかの役に立つことが嬉しいという感覚は、長らく縁遠いものだった。 パーティを組むことの利点は、彼女にも諭したとおりによくわかっていた。それでも他者と貸し借りをつくる関係は気が重かったし、たいていのことなら自分一人でやっていけるだけの力量もあれば、できないことを判断するだけの経験も積んでいるつもりだ。けれど。 『あのう、ローファルさん…?』 「……別に、礼はいらない」 迷って、結局口にした言葉は、それまでの自分をいくらか裏切ったものだった。 「仲間なら、その、…おたがい手を貸し合うのが、当たり前ってもんだろう」 しばしの沈黙が落ちる。そろそろ、ローファルが己の発言を後悔しかけたころ。 『はい、……わたし、がんばりますから!』 かすかにふるえて、けれど心底うれしそうに返った答えに、ローファルは口元をゆがめて笑った。 彼女に背中をあずけて戦う日を、待ってみる気になったのは、たぶん。 よろこぶ彼女の笑顔も、今度は自分が助ける、と言われた約束も、意外に悪くないと思ってしまったからだ。 「ああ。……せいぜい期待して、待ってるからな」 fin. |