「いい? スキルは十分足りてるんだから、後はどれだけしっかりしたイメージを持てるかよ」 エプロン姿の妹に、ぴしりと指をつきつけられる。 炎のクリスタルをにぎりしめ、リピピはうなずいた。 深く息を吸いこめば、肉の脂が焦げる香ばしい煙にライスの炊けるほんのり甘い蒸気、あたりにただよう幸せな匂いで胸が満たされる。リピピは、調理ギルドの片隅に据え付けられたタルタル用の作業台、そこに広げた材料をひとつひとつ再確認した。 ククル豆の山、セルビナミルクにメープルシュガー。数も種類もそろっている。もう一度深呼吸をすると、意識を手元に集中させた。 包んだ手の中で、クリスタルの赤い輝きが収束し、軽くはじける音とともに材料が消えうせる。 一瞬の後、作業台の上には一口大の小さなチョコレートの山がつみあがっていた。 「ほら、ちゃんとできたじゃないの!」 笑顔で肩をたたかれる。数度の失敗を経てようやく成功した合成に、緊張の糸が切れ、リピピはほうっと大きく息をついた。 「よ……よかったあ」 「ほんとにね! 仲間うちに配るだけなら、ダースもあれば足りるでしょ。これで私も安心してヴァレンティオン・デーを過ごせるってものだわ」 「うん、ありがとう、タチナナ。つきあってくれて」 できあがったバブルチョコをひとつぶずつ薄い油紙と羊皮紙で包み、赤いリボンでしばっていく。せっせと作業にはげんでいると、横で残った材料をまとめていたタチナナが苦笑いをした。 「最初に見たときは絶対あんた買いすぎでしょって思ったけど、たいして余ってないわね」 「うーん、半端に残しておいてもしょうがないし、使い切っちゃおうかな」 「それがいいんじゃない。それじゃ、私は先に戻るわね。今すぐ準備すれば、午後からアサルトの一つくらいできそうだし」 「行ってらっしゃい、タチナナ。気をつけて」 妹の背を見送ると、残された材料を前にリピピは目を閉じた。既に必要な分はできているので気は楽だ。 チョコレートを贈るリンクシェルメンバーと友人たちの顔を思い浮かべれば、自然にくちびるがほころんだ。手の中で、クリスタルがふわりとやわらかな熱を持つ。耳にここちよい、軽やかな音がはじけた。 ククル豆の甘い香りがふわりと鼻先をかすめる。リピピは、ぱちりと目を開けた。 「……あっ」 驚きに、思わず声が上がる。手の中にあるのは、バブルチョコのハイクオリティ品だった。なめらかな丸みをおびたつやつやの表面は、灯りをはじいてあわいかがやきを帯びている。 菓子の類、とりわけそのハイクオリティ品には、魔力の回復を助ける効能がある。黒魔道士であるリピピにとっては、おいしいという以上に価値のある品だ。思いがけない副産物に、リピピは口もとをほころばせた。残っていた油紙と羊皮紙を重ねて簡単に包む。これも余り物のリボンでしばり、鞄のなかにしまいこんだ。 そのまま、足取り軽くモグハウスへ戻ったリピピを、宙に浮かんだモーグリが出迎えた。 「お疲れさまクポ、ご主人様。その顔だと合成はうまくいったみたいクポね!」 テーブルにチョコレートを入れた鞄を載せ、リピピは置いてあったリンクシェルを手に取った。 「ただいま帰りました。うん、そっちはなんとか……って、あ」 チョコレートを届けるメンバーの所在を確認したところで、そのうちの一人が今まさにここウィンダスにいるのに気づいて、リピピはあわてて鞄に手を伸ばした。肩にかけなおす。 「クポ? ご主人様、帰ってきたばっかりなのにもうお出かけ、クポ〜?」 「うん、ちょっと出かけてきます。このまま、お留守番をお願いしてもいい?」 「りょうかいクポよ〜」 「あ、それから、忘れるところだった。これ、モグちゃんの分」 飛び出そうとしていた足を止めて手招く。モーグリがリピピの手の届くところまで降りてきた。包んだチョコのうちのひとつを手渡すと、モーグリはくるくるとまわりながら、また宙へと舞い上がった。 「ありがとクポ〜。それじゃ、いってらっしゃーいクポ!」 『すみません、ファルさん。今、森の区のどこですか?』 『……ん、何か用か?』 近くにいたのは、珍しいことに、普段は単独で僻地にこもっていることの多いエルヴァーンの青年だった。他の人宛のものはポストに入れることになったとしても、たびたびお世話になっている彼には手渡しで届けたい。またどこかへ行ってしまう前にと急いで声を掛けると、しばらくの間を置いて返答が返ってきた。 『ヴァレンティオンのチョコレートをお渡ししたいんですが』 『ああ、しばらくは競売前にいるぜ』 『わかりました、すぐ行きますから』 言いながら、リピピは走り出した。 間もなく着いたオークションハウス前は人もまばらで、長身のエルヴァーンの姿は、タルタル族の利用を想定した低めのカウンターへ身をかがめていてもなお、すぐ目にとまった。 難しい顔で係員とやり取りしていたローファルが、いくらかのコインを木製のトレイに置き、カウンターに載せられた小さなワンドを引き取る。窮屈そうに折り曲げていた背をのばしたところで、走り寄るリピピに気づいたらしく、軽く片手を上げた。 「よう、リピピ」 「こんにちは、ファルさん。……あれ、今日は黒魔道士なんですか?」 はずむ息の下から挨拶をして、そこでリピピは首をかしげた。ローファルが身につけているのは、赤茶色に染められたシンプルなデザインのローブに、赤銅製の細いサークレット、大羊のなめし革でふくらはぎまでを覆うブーツ。腰には、先ほど受け取っていた木製のワンドを提げている。 「いいかげんデジョンくらいは覚えようかと思ってな。デジョン屋に頼む金も馬鹿にならねえし」 「近場にいる時でしたら、わたしに声をかけてくださればいいのに」 「気持ちはありがたいけどな……金で済むことに身内を使うのは、好きじゃねえんだよ」 人から頼られるのは嬉しいものだし、それが親しくつきあい尊敬もしている相手ならなおのことだが、リピピがローファルから何かを頼まれたことは片手の指で足りるほどしかない。ただ、こればかりは多分、自分が頼りないということではなくて彼の性分なのだろうと思えるようになったので、リピピはそれ以上ことばを重ねず話題を変えた。 「これからレベル上げなら、あんまりお引き留めしちゃいけませんね」 バブルチョコの包みを渡してから、思いついてリピピは鞄の中にふたたび手を入れた。 「あ、こちらももらってくれませんか? せっかくですから」 もう一つ包みを差しだす。 「ん?」 受け取ったローファルが、もとから簡単に巻きつけてあるだけだった包装を解く。リピピが見あげる先で、その表情があからさまに固まった。 「これ……あー、その……なんだ」 歯切れ悪くつぶやきながら、視線をあらぬ方向へとさまよわせる。リピピは首をかしげた。 「……俺が、もらってもいいのか?」 「えっ? ええ、もちろん……」 そこまで言ってから、はたと気づく。渡したものは、バブルチョコのハイクオリティ版。それには、その形状からつけられた別の呼び方があって――その名を、ハートチョコという。 「すっ、すすすす、すみません!」 思わず、声がひっくり返った。必死の勢いで言いつのる。 「べ、別にそういうつもりじゃないんです! ぜんぜんまったく深い意味はありませんから! 黒魔道士のレベル上げにちょうどいいと思って、本当にそれだけですから!」 風音をさせる勢いでリピピは頭を下げる。頭に血が上るのは、もちろんそのせいばかりではなかった。 「それじゃ、わたし、みなさんにもチョコを渡しに行きますので!」 言うが早いか、早口でデジョンの詠唱を始める。赤魔道士もかくや、我ながらほめてやりたくなるほどの素早さで、リピピはその場を逃げ出した。 「あれ、ご主人様、もう帰ってきちゃったクポ?」 しばらく前に出て行ったばかりのはずの主人は、無言でモグハウスの奥へと歩いていく。 部屋の片隅、タルタル屏風の陰に座り込んだ背中にモーグリはおそるおそる問いかけた。 「ど、どうかした、クポ〜……?」 「…………放っといてくれ、頼むから」 答えた男の声は、ほんの少しだけ泣きそうだった。 fin. |