■  真珠はささやく  ■



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 じりじりと、太陽が照りつける。
 灌木の枝葉が強すぎる日ざしをやわらげてはいたが、防具で身を固めた人間が数人も、生いしげる茂みに身をひそめている状況では力不足だった。
 己のすぐかたわら、全身をおおう騎士鎧で身を伏せている娘よりは、白を基調とした法衣の自分の方がずっと負担は軽いはずだ。そんなふうに己をいましめてはみるが、やはり暑い。
 フェッロは、乾くのどを唾液でごまかしながら、姿勢を変えようと身じろぎをした。とたん脇腹に走った痛みに上がりそうになったうめきを、すんでの所でかみつぶす。
 かつてはラヴォールという名の村だったこの地を支配する獣人、オークは鼻がきく。完治させるだけの余力がない状態で、血臭を魔法で遮断し表面だけをなんとかふさいだ傷が、恨みがましく痛みを訴えつづけていた。傷を負った当初は白魔道士装束の赤い染め部分にまぎれていた血の染みが、黒ずんだ今は見た目にも目だつ。
 そばに伏せた仲間たちも、状態はほぼ同様だった。それは、彼らに回復魔法をほどこした自分が一番よくわかっている。
 全員が黙りこくって、六十ヤルムほど先にたたずむ廃屋――元は女神の教えを奉じる修道院だったというそれをじっと見つめつづける。
 今のところ、建物の周囲にいるオークたちで、自分たちがひそむ灌木の茂みに注意を向けている者はいない。
 けれど、ここにたどり着くまでの強行軍ですでに全員が満身創痍、このままでは暑さと緊張による消耗だけで十分自滅できそうだ。不吉な予想に、フェッロは口の端をゆがめる。
 ちょうどその時、すぐとなりに伏せる娘の長い耳――エルヴァーン族特有のそれの先が、ぴくりとふるえた。耳もとにほつれ落ちていた銀髪を、耳を澄まそうとしてか、籠手によろわれた指先がかきあげる。
「……エセル?」
 声をひそめて呼べば、ひかえめなうなずきが返った。
「足音がします」
 彼女ほどすぐれた聴覚は持たないため、代わりに目をこらす。
 廃屋の入り口、ちょうつがいが外れて半ばほど開いたままの扉が、かすかに揺れていた。
 見れば、自分たちのひそむ場所と廃屋のあいだにある、くるぶし丈ほどの浅い草地が、一歩、また一歩と踏みわけられている。警護のオークたちの間を縫って、見えざる何者かの足跡は、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
 五十ヤルム、四十ヤルム……姿を隠した状態では、依頼の品をオークの呪術師のもとから盗み出すという目的を果たせたかまではうかがい知ることができないが、単身忍びこんでいた仲間の無事な脱出を悟って、息をつく。
 その瞬間、バン、と派手な音を立てて、入り口の扉がはね飛ばされた。
 巨躯のオークが飛びだしてくる。オーク族の魔道士特有の、複雑な文様の描かれた頭巾でおおった顔を左右に振って、その視線が、止まっていた足跡の位置にぴたりと重なった。
 グルルル、と不明瞭な低いうなり声。姿を隠した者を見いだす眼力は、獣人たちのうちでも高位の存在だけが持つ能力だ。まだ周囲のオークたちは気づいていない。
 見えざる仲間の、ざっと草を蹴る音を、今度はフェッロも聞きわけることができた。
 ゆうに三ヤルムはあろうかというすばらしい歩幅で、こちらへと飛んでくる。
 武器を何も持たない腕を伸ばした頭巾のオークが、彼らのことばで短く何かを叫んだ。
 黒魔法を発動させるための呪言だ。言語の意味ではなく、動いた魔力によって悟る。
 呪を帯びた闇の輪が、漆黒にきらめき、何もなかったはずの中空に現れる。激しい転倒音とともに、忍者装束をまとうミスラの娘が姿を現した。その腕には、潜入の目的だった品、オークの呪術師が使う長大な杖が抱えられている。
 茂みから二十ヤルム、オークの群れの真ん中で視力を奪われ倒れた彼女へ、いっせいにうなり声が上がる。
 決断は一瞬だった。
「寝かせてくれ、スキルヴィル! 一番手前のヤツを起点に、あとは巻きこめる!」
「わ、わかった……!」
 応じたタルタル族の黒魔道士の声は、動揺にふるえていた。それでも反問なく詠唱を始めてくれたことに、フェッロは感謝する。
 彼の魔力にも、自分と同じく余裕はない。魔力の泉をこの中央島へたどり着く過程で使っている今、寝かしの一手を撃てば、ぎりぎり温存しておいた脱出魔法に必要となる魔力を割りこんでしまう。
「女神よ、かの者のふさがれたるまなこを癒したまえ」
 茂みから走り出て、ミスラの娘の暗闇を治癒する。ほぼ同時に発動した範囲魔法が、まさに彼女に襲いかかろうとしていたオークたちの動きを止めた。跳ね起き、こちらを見やった彼女に叫ぶ。
「こっちだ、ミア!」
 ブライナを飛ばしたところで、オークたちを足止めしなければあの囲みは抜けられない。
 それならエスケプは諦めて、この足で逃げるしかない。
「水を渡ればふり切れる、川まで走れ!」
 先導して駆けだしながら、フェッロはちらりと背後を見やった。
「バルト、頼む!」
「わーってる!」
 エルヴァーンの暗黒騎士が、立ちすくんでいたスキルヴィルの小さな体をすれ違いざまに抱えあげる。
「へたってんじゃねえよチビ、おら行くぞ!」
「だ、大丈夫、自分で……うひゃあ!」
「はっは、オレの鎌よりかっるいぜ」
 背後に軽口を聞きながら、背丈より高い段差を飛びおりる。脇腹の激痛と足先からこみ上げるしびれにいったん足を止めれば、あっという間に追いついてきたバルトロメイが、乱した息の下からささやいた。
「おい、あちらさんのボス寝てねえぞ。っつーかオレも逃げしなにスリプルかましてみたが、ありゃ多分チビが印使ってもダメだな、手応え的に」
「ああ……だよなあ、やっぱり」
 目くらましを見破ってきた時点で想定していた、外れてほしいと思っていた予測にフェッロは口もとをゆがめた。
 ミアに続いて、しんがりを守るエセルリーダが飛びおりてくる。
 ごう、と空気の灼ける音がした。エセルリーダの背を追うように、渦巻く炎のかたまりが空気を裂いて降ってくる。
「エセル!」
「まかせてください!」
 着地から間髪入れずにふり返った彼女が、頭上に騎士盾をかざす。それに重なるように、白く淡い光の膜が現れた。ランパート――その名の通り攻撃魔法の威力を劇的に軽減する『防壁』が、フェッロたち四人の前にも幻の盾を形作る。
 炎の渦は、光の膜とぶつかり溶かされるようにその勢いを減じた。炎の残滓が、熱風となってちりちりと肌を焼く。
「南だ、急げ!」
 追っ手が現れるのを待たず、さらに駆け出す。距離にして五十ヤルム、新手に出くわすことなくたどりついた渓流を見下ろす小さな崖のふちで、フェッロは息を切らしながら足を止めた。小舟ならくだれようかという程度の川幅だが、その分深く、流れも速い。
「さっきの野郎がすぐ来ちまうぞ、どうする」
 下流へ向かうにせよ、向こう岸へ渡るにせよ、上から魔法で狙い撃ちされてはたまらない。背後をちらりと見たバルトロメイに、エセルリーダが場違いなほど普段通りの落ちついた声で応えた。
「足止めします。みなさんは先に」
 バルトロメイが眉根にしわを寄せた。いいのか、と問う視線がフェッロを見やる。
「俺がフォローに残る。大丈夫だ、みすみすやられやしないって」
「……わーったよ。ミア、行くぞ!」
 うなずいたミスラの娘が、盗み取ってきた呪術の杖を、ふところから引っぱり出したたすきでその背にすばやく結わえつける。その横でバルトロメイが、鎖帷子の肩をおおう板金装甲の留め具を短剣で強引にこじ開け、甲部分を引き剥がした。続けて固定用の革部分を切り裂き、籠手を振り落とす。身軽になったところで、こわごわと崖下をのぞきこんでいたスキルヴィルを小脇に抱え上げた。
「えっ、な、なに、バルト?」
 あわてる声を無視した男が、最後に背中の鎌と兜を放り捨てた。陽光に、ほおにかかる銀髪がきらめく。
「よーしチビ。息吸って、吸って、もっかい吸ってー」
「ちょ、ちょっと、まさか、待って待って待って!」
「行くぜえええ、鼻つまんどけよおお!」
「ふぎゃああああああああ!!」
 二人分の派手な水しぶきが上がる。続いてミアがためらいなく、水練のようにきれいな姿勢で飛びこんだ。こちらは、ほとんどしぶきも音もない。
 そこまでを見届けたところで、フェッロは走ってきた方向へと体を向けた。飛びおりてきた高台のふちに、呪術師の姿が現れる。
 こちらを目視して、その巨体が吼えた。
「なあ、エセル」
 フェッロは乾いたくちびるをなめた。かすかに血の味がする。
「ものは相談なんだが、ここは俺にまかせて一足先に行っちゃあもらえないかね」
 フェッロより頭一つほど背の高いエセルリーダが、視線を下げてこちらを見やった。硬い声で返される。
「それはわたしの台詞です。あなたこそ、早く逃げてください」
 口の端をゆがめて、フェッロは笑ってみせた。
「だーいじょうぶだって。リレイズくらいかけてあるし」
「この状況で、蘇生がかなう程度の怪我で済むだなんて本気で思っているのでしたら、あなたの判断能力を疑いますよ」
「……どうだろうな。まあ、勝率はなきにしもってとこか? 女神のご加護に期待するさ」
 肩をすくめる。これについては掛け値なしの本心だった。
 そう長い時間、足止めが必要なわけではない。相手がひとたび流れのうちに仲間たちを見失えば、匂いが途切れて追跡は振り切れるはずだ。自分自身は、戦闘不能状態に陥っても、何とか下に落ちて流れに乗ることができれば命を拾える可能性はある。
 となりで、そっと息を吐く音がした。
「白魔道士より先に逃げる騎士が、いったいどこにいるものですか」
「まあそこはなんとか、幼なじみのよしみでさ、頼むわ。こうなったのは、お前の言うとおり、リーダーやってる俺の判断が甘かったからだ。しくじりの責任くらい取らせてくれって」
 エセルリーダが、すらりと長剣を抜いた。視線は、高台から飛び降り、怒りのうなりと共に突進してくる獣人にひたりと向けられている。
「あなたが何と言おうと、わたしはここを動きません。……来ます!」

 二十ヤルム弱の距離までつめたところで、呪術師が詠唱を始める。
 精霊の反応する気配からあたりをつけ、フェッロは属性耐性を付与する呪を口にした。
「大地よ、我らに加護を!」
 その発動直後、上空ではじけた紫電が降りそそぐ。
 青白い火花が散った。全身をしびれる痛みが駆け抜け、軽減されてなお強烈な衝撃によろめく。それでもなんとか膝をつかずに済んだのは、バサンダラの効果に加えて、相手が魔法の媒介たる杖を失っているからだろう。
 必死に顔を上げれば、自分を背にかばって立つエセルリーダは、剣を構えた姿勢をくずさず、獣人へその切っ先を向けている。
 思うほどの威力がなかったことにだろう、オークが苛立ちのうなりを上げる。こちらとの距離を一気につめながら、腰の短剣を引き抜き、刃渡りはエセルリーダの長剣とさして変わらぬそれを手に襲いかかってくる。
 振りおろされた重い一撃を、エセルリーダのかかげた盾が受け止める。骨を打つような、鈍く嫌な音がした。
 衝撃に、エセルリーダが顔をゆがめた。こたえた様子もないオークが太い手首を返し、ついで首もとへ横薙ぎに加えられた一閃を、とっさに打ちつけた刀身でエセルリーダが受けとめる。そのまま、押し合いとなった。がちがちと、鋼のかみ合う音がひびく。
「……ッ!」
 不意に、エセルリーダがうめきをあげた。元から負っていた傷が開いたのだろう、甲冑の隙間から大量の鮮血があふれ出す。赤い流れが、白い甲冑をまだらに染めていく。かは、と苦しげな息が、エセルリーダののどから漏れた。
 自分も彼女も、魔力はすでに尽きている。
 フェッロは大きく息を吸った。
 あなたのしもべがここにいます。女神よ、どうか―――
「いけません!」
 請おうとした祝福を、エセルリーダの鋭い叫びがさえぎった。死にものぐるいの形相で、押し合っていたオークの短剣をはじき返す。巨体が大きくよろめき、後ろへ数歩、たたらを踏む。
「エセル!」
 足下に血だまりをつくりながら、ちらりとこちらに視線をよこした彼女の面は蒼白だった。その口もとが、かすかにほほえむ。
「使いどころを間違えるなんて、あなたらしくありませんよ。……さあ、もう行ってください」
「エセル、俺は……」
 口にしようとした言葉は、低く抑えた声にはばまれた。
「今この場を逃げ落ちたところで、癒し手のあなたがいなければ、だれもここから生きて戻ることなんてできません」
 どう猛なうなりを上げて、体勢を立て直したオークが刃を振りあげた。斬撃を受け止めた盾の上から彼女を押し倒すように、その巨躯がのしかかってくる。苦しげに、彼女の声がゆがんだ。
「お願いです、もう長くは持ちませんから……フェッロ!」
「俺は……」
 フェッロは、ふるえる声を抑え、大きく息を吸いこんだ。彼女の背を見つめたまま、じりじりと、崖のふちへと後じさる。
「どうか、伝えてください、王都の兄に」
 荒い息の下からつむがれる声が、ふっと、一瞬やわらかくなった。
「気に病まないで、と……わたしは」
 ひゅっと空気を裂く音が、彼女のことばの続きを奪った。
 その長身が大きく揺れる。鋼の矢が、装甲を破って彼女の肩に突きたっていた。とっさに飛びきた方向へ視線を走らせれば、魔法の眠りから覚めた射手が一匹、段差の上から巨大な弓をかまえて、今度はこちらを狙っている。
 射手と目が合った。同時に、フェッロはかかとで崖を蹴った。仰向けに落下する頭のすぐ上を、一条の光が飛びすぎる。
 振り下ろされた刃を、盾でどうにか押しとどめていた彼女が、支えきれずに片膝をつく。
 最後に見えたのは、オークの巨体に押し倒される彼女の姿、肉のつぶれる嫌な音は、体を包んだ水音に途切れて消えた。





 フェッロは、ゆっくりと目を開けた。
 まぶしい。とっさにまぶたを降ろし、またそろそろと薄目を開ける。
 見あげれば、モグハウスの天井近い位置に切られた細窓から、凶悪な朝日がさしこんできていた。
「……最っ低だな」
 寝起きのかすれた声で、ため息混じりにつぶやく。
 彼女のことを、夢に見るのはひさしぶりだった。
 サイドテーブルに転がしてあるリンクパールを、フェッロは横目で眺める。
 太陽の光を受けて淡くかがやくそれは、あの日まで使っていた、そしてそれ以来ずっとしまい込んでいた代物だった。ジュノから近東へ拠点を移すときにまとめたまま、箱詰めになっていた荷物を誤ってひっくり返した拍子に、そのなかからひょっこり出てきてしまったのだ。
 数ヶ月前にサンドリアまでの旅路を共にした修道士、ミシェル――エセルリーダの従姉妹だという彼女のことも相まって、元からはがれかけていたかさぶたを、手ひどく引きむしられた気分だった。
 やわらかな曲線と鈍い光沢を持つ淡黄色のパールへと、手を伸ばす。
 冷たくも温かくもないそれを、にぎりこむ。目を閉じて、大きく息を吐いた。
 フェッロは寝台から身を起こし、頭をがしがしとかき乱した。
「…………しゃあない、起きるか」

 皇国の傭兵としての身分に与えられた居住地の、妙な金ピカ具合や、壁に据えつけられた炉から立ちのぼる怪しげな煙の香りにもずいぶん慣れた。なにより、故郷からはるか離れたこの近東の地にあっても、世話好きなモーグリのテンションにはまったく変わりがない。
「ご主人様、行ってらっしゃいクポ〜!」
「おう」
 いつのまにやら現れ、今は小さなはたきを手にくるくる回っている白くてふかふかした生き物に片手を上げて、扉を開ける。
 とたん、雑踏の活気に満ちたざわめきと、華やかな色が流れ込んでくる。
 みずみずしい果実を並べたバザーの呼び込み、行き交う同業者たちのあざやかに染め抜かれた装束が目立つ人混み。向かいの店ではカウンター奥のキキルンが、その客らしき傭兵姿のミスラへ、ちゃりちゃりと音を立てる小袋をふりまわしながら何かを訴えている。昼にはまだずいぶん早い時間だったが、どこかの屋台からだろう、焼けた肉の脂と香辛料の匂いが鼻先をかすめる。
 フェッロは、ぐるりと首をまわした。竪琴を納めた革袋を背負い直す。
 懐具合はすこぶるよろしくない。気分の悪さはそれに輪を掛けた状態だが、それでもやはり腹は空くのだ。ならばここらで一つ、しっかり稼いでおかなければ。
 フェッロはため息をかみ殺すと、人混みをすり抜け、大通りへ向かって歩きだした。

 傭兵派遣会社、サラヒム・センチネルの営む公務代理店は、仕事を求める傭兵たちで相変わらずの混雑ぶりだった。
 昼日中でもなおうす暗く感じるのは、香炉から立ちのぼる煙が色濃くただようためか。一歩足を踏みいれた途端、香と人いきれの混じった何とも言えない臭いに、フェッロは鼻先にしわを寄せた。気を取り直して、人の間をかき分け、薄汚れた木のカウンターへたどり着く。
 さて、どのアサルトを受領したものか。
 投げやられたそっけない鈍色のプレート――皇国軍認識票を手に、とりあえず壁際に移動して、フェッロは思案する。
 てっとりばやいのは、すでにアサルトを受けた者がメンバーを募集している作戦に乗ることだが――。
 作戦領域ごとのカウンターが並ぶ通路の突き当たりには、人員募集のための掲示板が設置されている。のぞいてくるかと、フェッロは背中を預けていた壁に手を突いた。
「ふわ、わっ……うひゃあ!」
 踏みだしかけた足もとに、人混みの中から、小さく丸っこい人影が転がった。タルタル族特有のふくふくした子どものような手に握られた両手棍が、高い音を立てて床を打つ。その背中を踏みつけそうになって、あわててフェッロはのけぞった。足もとから小さなうめき声が上がる。
「い、っつ……ううううぅ」
 白地に黒ビロードの襟がアクセントのローブ姿と先の垂れたとんがり帽子を見るに、高位の黒魔道士だろう。そのまま、打ったらしい頭を抱え、体を丸くして動かない。
 フェッロが助け起こそうかと身をかがめたところで、上から舌打ちが降った。
「ったく、チビっこいのがうろちょろしてんなっつの!」
 察するに、魔道士を誤って蹴り飛ばしたのだろうシーフ装束のミスラは、毒づきながら立ち去ろうとしたところで、今度はどんと鼻先から別の相手に激突する。
「おわっ!? ちょっとどこ見て……」
 鈍く黒光りする重鎖帷子の胸もとから、ぐいとミスラが目線を上げた。
 ぶつかられた長身の男の目もとまでを覆う兜のバイザー、その下からのぞく口もとが、にやりと笑みを作った。凶悪にとがった犬歯がのぞく。
「ああん? ……テメエのほうこそ、オレの連れに何してくれてんだァ?」
 ぶわっと、ミスラの尻尾が広がった。
「あーいえその、ちょおっと足がすべりましてアハハハ……し、失礼しましたッ!」
 言ったか言わないかのうちに、その姿は人混みに紛れて消える。押しのけられた者たちの罵声やうめきが、後を追うようにそこここで上がった。
「……ケッ! ケンカ売る度胸もねえなら、最初からおとなしくしてろっつーの。おいチビ、テメエもテメエだぞ。つくもんついてんならよ、ちったあシャキっと……」
 不機嫌そうに吐き捨てた男が、言葉を途切れさせた。中腰のまま見あげていたフェッロと視線が合う。
「っておいテメエ、フェッロじゃねえかよ!」
 男がバイザーを跳ね上げた。ほおにかかる銀髪と、切れ長の青いひとみが現れる。
「……バルト?」
 不意打ちに過ぎる邂逅に、フェッロはとっさに呆れまじりの笑い声を作った。
「おいおい、久しぶり、っていうか相変わらず喧嘩っぱやすぎだろ、お前。……ってことは、そっちは」
 ようやく起き上がったタルタル族の青年が、とんがり帽子を胸に抱えて飛び上がる。後ろでひとつ結びにした尻尾のような金髪もそろって揺れた。
「わわっ……ほんとにフェッロだ!」
「やっぱりスキルヴィルか。元気そう、って言っていいものかわからんが、とりあえず、大丈夫だったか?」
 スキルヴィルが照れくさそうに返事を返す。
「平気だよ、ありがとう」
「つーかよお前、どんだけぶりだよツラ合わせんの。マジ薄情すぎんだろ!」
 籠手に覆われた腕を遠慮なくフェッロの肩にまわし、バルトロメイが声を上げた。ふと、その視線がフェッロの頭からつまさきへとさっと流れる。
「しかもジョブまで変わってやがるし! 聞いてねえぞオレは。詩人か、詩人、詩人ねえ。ふーむ」
 呟きながらじろじろと見つめる目に、やや居心地の悪さを覚え始めたころに、バルトロメイは大きくひとつうなずいた。
「お前、どうせアサルト受けにきたんだろ? じゃ、ちょっくらつきあえよ」
「……はあ?」
 思わず間抜けな声が漏れた。足下でも、びっくり顔のスキルヴィルがのけぞっている。
「ええー、ちょ、バルト、そんな勝手に……」
「オレら二人、いまペリキアでの作戦を受けててな。メンバー募集に乗ったはいいが、なかなか後衛が集まらなくてよ。お前なら安心して後ろをまかせられるってもんだ」
「いや、あのな、俺はもう今は……」
「吟遊詩人だってんだろ? 見りゃわかるっつーの。アンデッドの掃討だってんでな、リーダーのヤツあったまかてえんだけどよ、詩人なら文句ねえだろうぜ!」
「お前……自分が募集かけてるわけじゃないんだったら、勝手に決めるなよ」
「よし、善は急げってヤツだ、今すぐ作戦受領してこい。受領条件が一等傭兵のやつだからな」
「だから、聞けよ人の話……」
 遠慮がちに、スキルヴィルがフェッロの袖を引いた。
「ええっと、ごめん、フェッロ。でも、僕も君が来てくれたら心強いよ。それに多分バルトの説得は、するだけムダっていうか」
「こんなところも、相変わらずなわけだな」
 すまなさそうにうなずいたスキルヴィルに、フェッロは苦笑いを返した。
「わかった、わかりました。つきあえばいいんだろ。まあ、お前らのリーダーの了解が出ればだけどね」
「出るに決まってんだろ。リーダー呼んでくるわ。チビ、お前も来い。また蹴られんぞ」
 断言すると、ひょいとスキルヴィルをつまみ上げる。
「ちょっ、自分で歩ける、ってば! ……うう、バルトぉ」
 もがいているのをおかまいなしに肩にひっかけ歩きだしたバルトの背中に、フェッロはため息混じりの笑いをもらした。
 二人と組むのは、あの時以来だ。あまりに変わらないやり取りに、昔に戻ったような錯覚さえ覚える。
 一つ首を振って、フェッロはペリキア領域のカウンターの前に立った。帳面に目を落とし、何やら書き付けている係員へ声を掛ける。
「すまん、アサルト参加証の発行を頼めるか?」
「……ん? ああ、悪いな、今は」
 顔を上げた係員が何事か言いかけたところで、足もとから誰かが身を乗り出してきた。
「ちょっと、あなた。今は私が受付してもらっているところよ」
 見下ろせば、タルタル族の小柄な姿があった。精一杯背伸びをして、カウンターに腕をかけている。
「というわけでな。もう少し待っていてくれ」
「ああ、先客さんか。こいつは失礼、気づかなくて……っと」
 タルタル族の娘が、赤い羽根付き帽子のつばをちょいと上げた。
「……あら? あなた」
 ひたいを出すように左右へ流した栗色の前髪の下から、見覚えのある、利発そうな青灰色のひとみがフェッロを見あげる。
「これはこれは、タキのところのお嬢さんじゃないか」
「タチナナよ。このあいだは、姉のリピピともどもお世話になったわね。フェッロさん、だったかしら」
「ああ、フェッロでかまわんよ。どうやら、元気そうで何よりだ」
「ええ、おかげさまで。ああ、受付だったわよね。すぐ済ませるから、少し待っていて」
 くるりとカウンターに向き直ると、娘はつま先立ちで、カウンターに置かれた作戦リストをのぞきこんだ。紙面をなぞった指が、つとそのうちの一つを指す。
「それじゃこの、一等傭兵の……」
「……へっ?」
「なに?」
 思わず漏れた声に、怪訝そうな顔で娘がふり返った。
「ああ、うん、世の中って意外に狭いもんだねえ、と思って」
 頭を掻いて笑ったフェッロに、娘は大きなひとみをぱちくりさせた。


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