■  Lord knows.  ■




 あたりは華やかな音楽と、耳ざわりなさえずりに満ちている。
 クルガンは腕を組み、大理石の柱に寄りかかっていた。あたたかな広間で、背から伝わる冷たさだけが冬を実感させる。
 文武織り交ぜた高官たちの群、そのなかでそれらしく振る舞うのは難しいことではない。
 ―――しかし、それを好むかどうかは別の問題だ。
 美しく装ったひとびとであふれる城の広間を、クルガンは冷めた思いでながめた。
 適当に投げていた視線が、ふと自分と遠縁である文官のそれとあってしまう。
「おや、クルガン殿。おひさしぶりです」
 案の定にこやかに近寄ってきた男に、クルガンはうなずきを返すだけにとどめた。
「このたびは、あのような北の辺境までの遠征、まことにご苦労なことでしたね」
 返事がないことを気にしたふうもなく続け、男は手にしたグラスを口元に寄せた。
 グラスを満たす透きとおった赤が、たぷんとゆれる。
「しかし功をなされたクルガン殿の昇格がなしとは…まったく軍部の連中も、どこに目をつけているものやら」
 男は肩をすくめてみせると、ふいに声をひそめた。
「それに引きかえ。内仕えの私の耳にさえとどきましたよ…あの男の話は」
 続く内容に予想がついて、クルガンは内心うんざりしていた。

 半月ほど前。王国の北部で内乱があった。
 昨年の冷夏、続いた厳しい冬。それにその地を治める領主の失政が重なった。
 結果、暴徒と化した領民が、領主の館を襲い占拠したという、言ってしまえば(当事者以外にとっては)些細なものであったが。状況の把握を兼ねて、第四軍の派遣にまでいたる騒ぎとなった。
 幸い事態がたやすく収拾したこともあり、こたびの宴は、内乱終結のためというよりむしろ、鎮圧による褒賞を受け、または位を上げた者たちの祝賀と言ったほうが近かったのだが。
 その昇進人事において、最も耳目を集めたのが――第四軍軍団長の交代だった。


 気の済むまで話し終わって、ようやく立ちさった男にクルガンは軽く息をはいた。
 懲りて幾分落とした目蓋に、視界は細く切り取られている。
 その中に、ひとりの男の姿が入った。隙なく整えられた冷たい青銀の髪に、それが先ほど会話にのぼっていた相手であることに気づく。
 クルガンは伏せていた目蓋を上げた。
 自分と同じく目立たぬ隅でグラスを傾けている姿に、目をすがめる。
 見つめる視線に気づいたか、男がふっとクルガンを見た。
「…おまえか」
 低い声が、かろうじて耳に引っかかる。そのまま興味が失せたように、男は顔を正面に戻した。
 クルガンはしばし考えてから、ゆっくり男へと歩み寄った。
「ソロン様。…このような隅で、何をしておられるのですか」
 あなたにとっては祝儀でしょう、と続ける。
 男はクルガンの方を見ないまま、冷めた声を返した。
「ばかばかしいことだ…何を祝うと?」
 気品を感じさせるその立ち姿は、常の軍装よりも、いま身を包む礼服の方ががよく似合っていた。
 その口もとが、かすかな笑みにゆがむ。すがめた視線がクルガンを見た。
「おまえも、腑に落ちんと思っていることだろうにな」
「…少なくともご自身は、納得しておられないようにお見受けします」
 クルガンは、わずかに口の端を引き上げ、苦笑を浮かべた。
 先の内乱鎮圧を最後として、四軍の軍団長が引退した。後を引き継いだのは、第二軍で将軍職を受けていた目の前の男――ソロン・ジーだったのだ。
 ソロンの出自は、国内有数の大貴族である。鎮圧に加わったわけでもない、しかも三十路となったばかりの彼の抜擢を、家名ゆえの人事だと訳知り顔で言いにきたのは、先ほどの文官で何人目か。
「小雀たちの言いようが、それほど耳に障られるか?」
 一瞬、ソロンの硬い表情に憤りめいたものがよぎった。
「…今は、何とでも言うがいい」
 しばしの沈黙のあと、抑えた声音が言葉をつむいだ。
 貴(たか)き誇りを宿す眸が、宴につどう人々をきつく見すえる。
「おれは必ず、受けたものに見あう結果をなしてみせる」
 静かに言い捨て、男はきびすを返す。
 かつんと高い靴音がひとつだけ響き、喧騒の中に溶け消えた。


 クルガンは、男のまぎれた人の群を遠く眺めた。
「…惜しい、な」
 つぶやきは、だれの耳にとどくこともなく消える。
 家柄で成り上がったとささやかれるあの男は、言われているほど怠惰でも無能でもない。軍議の場、または戦場で。クルガンはそのような感想を抱いていた。だが。
 周囲のあざけりが、力量と地位の隔たりを知るゆえの苛立ちが、あの男の心をはやらせている。
 はやる思いは冷静な判断を奪い、なまじの有能さは他者の言を排除する。
 男が功を焦って行きつく先を思い、クルガンはわずかに目蓋を落とした。
 畢竟、彼を若くして引き上げるほどの高き家柄に生を受けたことこそが、不運だったのだろう。
 静かに、深く息を吐きだす。そのまま、もの思いへ沈もうとしたとき。
「クルガン殿」
 ざわめきの隙間をぬって。思索を、ふいに乱す声があった。
 顔を上げた先には、軽く手を上げ、歩み寄ってくる青年がひとり。
 間にあった人ごみを、細身の身体を活かし、また時に如才なく言葉を交わしつつすり抜け、クルガンのそばまでやってくる。ほどなくたどりついた青年は、礼儀正しく身を折った。
「久しくお目にかかりませんでしたが…お変わりないようで、何よりです」
 動きに合わせ、さらりと鳶色の前髪が流れ落ちた。その落ち着いた物腰が、青年を実年齢よりいくつか年かさに見せている。
「……ああ、クラウス。二ヶ月ぶりだったか」
 クルガンは、ゆっくりとうなずいた。
 青年が、ふいに困ったように目をまたたかせた。
「…すみません」
 突然の言葉に、クルガンは片眉を上げた。
「何を謝る?」
 いえ、と青年は声を低めた。
「沈んでおられるご様子でしたので…お邪魔してしまいましたか」
「…いや」
 あまり表情がないことにかけては、自覚があるのだが。
 気分を正しく言い当てられ、クルガンは微苦笑した。たいがい、この青年も筋がいい。
「かまわない。息災のようで、なによりだな」
「クルガン殿こそ」
 青年は、切れ長の瞳をやわらかく細めた。
「先の遠征は、お疲れ様でした」
「いや。…ところでクラウス」
 クルガンは、わずかにからかいをこめて問うた。
「聞きたいのは今回の布陣か? それとも寒地における兵の消耗の程度か」
 しばらく、青年は黙りこんだ。小さく嘆息する。
「……いえ、最終的にはそこへ話が行く予定でしたが、…順序というものがあるでしょう」
 決まり悪げに、それでも肯定した青年に、クルガンは笑いを禁じえなかった。
「おまえの熱心さには頭が下がる…いや、皮肉ではなく」
「では、どうして笑うんですか」
「いや、…おまえが正直なものだからな」
 青年は、いくらか憮然とした顔つきになった。
「だいたい、熱心になるのは当然でしょう。
 …私には、実戦経験がどうしようもなく不足しているんです」
 態度と裏腹に、伏せた瞳には奇妙な熱がちらついていた。
 クルガンは、わずかに目をすがめた。
「…クラウス」
 自分を見つめ返す瞳に宿るのは、ただ知識への渇望であるかのようにも見えた。だがその後ろには、別のなにかがひそんでいる。
 奇しくも先の男に似た色合い。そしてともすれば、男よりも強いそれ。
 むべなきことだと、クルガンは思う。
 その若さ、父が軍団長を務めることも相まって、クラウスを侮る者は多い。実際、彼の属する三軍内はクルガンの知るところではないが、他で見る限り彼の進言は軽んじられがちだった。
 それを心安く流すには、それこそ彼は年若すぎる。
 しかしあえて、クルガンは言を継いだ。
「…おまえは、まだ若い。そう急くな」
 驚いたように見つめてくる、その目を見つめかえす。
「周囲の侮りも、その身の未熟もゆっくりと崩していけばいい。それを可能とする才覚も、勤勉さもおまえは持ち合わせているのだから」
「…いいえ、どうしてそれほど待っていられるでしょうか」
 しばしの間をおいてから、青年はかたくなに頭を振った。
「幾ら若くとも、戦場でそれが免罪符となりはしません。兵士の命を預かっているのです、私は」
「ならばなおさらだ。焦りは目を曇らせるばかりで何の益もない」
 青年は小さく息を飲んで、それから軽く唇をかみしめた。
「……おっしゃるとおりです」
「功を焦ることと、未熟を減じる努力は異なる。…おまえならわかるだろう」
「はい…」
 悄然とうなだれたクラウスに、クルガンはほんのわずかに笑んだ。
 真摯で、聡い青年だと思う。
 兵の命を惜しみ、無益な流血を厭う思いは真実だろう。だが、軍才に恵まれた彼が、自らを活かすただ一つの場と定めた戦で、認められるための戦功を欲しない、策をふるうに充足を覚えないと言えば、おそらく嘘になる。
 守勢に長け、また常は穏健派にある青年が、時に戦場において取る挑発的な態度は、それらの現れであったかもしれない。
「…少しばかり口が過ぎたかもしれないな。だが、おまえにつぶれて欲しくはない」
 ともに、行ければいいと思う。この青年と、そして青年といくらか似ている誇り高い上司とも。
 青年は、少しばかりぎこちなく、それでも笑った。
「いいえ。…ありがとうございます」
「…すまんな。どうも私は、物言いがうまくないが。私で助けとなることならば、力になろう」
 青年は、その笑みに少し照れを含ませた。
「はい。私こそ、お見苦しいところを見せましたが…クルガン殿がよろしければ、先の戦の話を、お聞かせ願えますか?」
「ああ」
 素直に請うた青年に、クルガンは笑みを返した。自分だけではない。青年には、信頼し、頼り辺となる父親もいる。それからの忠言を、助けを、躊躇なく受け入れられるような存在がそばにいることは僥倖だ。
「おまえの気の済むまで、つきあおう」
 言いながら、ふとクルガンはここにいない者に思いをはせた。
 しかしあの男には―――他者の紡ぐ言葉もなにもかもが、届かない。…それが年若くして才を認められた自分からの言であれば尚のこと。
「…クルガン殿?」
 不思議そうに問われ、クルガンは思いを戻した。
「いや、…何でもない」
 そう。仕方のないことだ。
 所詮、人が他者にできることなど、限られている。この青年にも、そしてあの男にも。
 言葉さえ拒絶されるなら、自分にできることはなにもない。
 ……ただ願う以外には。
 ともにあり続けることが、できるようにと。


 願いの行方は、誰も知らない。






fin.

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