Prologue... 剣、取りし者 宵闇の中。ゼノビア城の屋上、物見のために設けられた一角に、アーウィンドは立っていた。ほどいた髪を風のなぶるままに、薄青い街を眺める。 「どうされました」 後ろから届いた呼びかけに、アーウィンドはふり返った。そこには、銀の甲冑に身を包む騎士の姿があった。 「…ランスロット」 下から吹き上げる風に、赤い髪が踊る。それを手で押さえながら、アーウィンドは苦笑した。 「結んだままにしておけば良かったかしら。ここは風が強いわね…」 騎士が生真面目に言う。 「どちらへ行かれたかと思えば、こんなところに居られるとは…。下では、宴の主役の姿が見えず、皆が残念がっていましたよ」 ――神聖ゼテギネア帝国四天王の一人であるデボネア将軍を退け、反乱軍は元はゼノビア王国の王城であった、ゼノビア城を奪還した。 確たる資金源を持たない現状で、戦勝の宴はつつましく、けれどもそれを充分補うほどににぎわっていた。屋上にあっても、かすかに人々の陽気なざわめきが聞こえてくる。 アーウィンドがリーダーとして率いる反乱軍は、元ゼノビア王国の騎士団や、それに類する者たちが面子のほとんどを占める。彼らの悲願たるゼノビア王国復興の第一歩に、反乱軍は沸いていたのである。 アーウィンドは気楽に肩をすくめて応えた。 「そう? わたしにはドレスなんて似合わないし、ああいった場は苦手なものだから」 言葉のとおり、アーウィンドのいでたちは常と変わらぬ白い皮鎧だった。疾風の速さで敵を翻弄する戦法に、その動きを妨げる重装備は必要ない。機動性が落ちるという意味では、ドレスもそれと代わりがなかった。 「きっと、良く御似合いになると思いますが」 アーウィンドは吹き出した。 「ランスロットって、意外にお世辞が上手いのね」 「いえ、世辞などでは…」 困った声に、笑ってアーウィンドは手をひるがえした。 「ごめんなさい、冗談よ。あなたがそんなに器用でないのは知ってるわ。でも、やっぱり似合わないと思うけど」 あんまり上品な育ちってわけでもないものだから。言って、アーウィンドは大きく伸びをする。一瞬遠ざかる音の向こうから、騎士の声が耳を打った。 「先程は…何を、考えておられたのですか?」 アーウィンドは薄く目を開けてランスロットを見た。 「そうね。一言で言うと…これからどうするか、かしら」 漠然とした答えに、ランスロットは訊き返してきた。 「どうする、とは?」 アーウィンドはわざとらしく唸ってみせた。 「たとえば…今からギルバルトたちを追いかけて、町のほうに飲みに行ってしまおうかな、とか。どうもわたしには、そっちのほうが合っているみたいだから」 現在城にいるのは王国にゆかりある者たちがほとんどで、反乱軍が蜂起した後で仲間として加わった者や、帝国軍にくみしていた者たちは、今宵の宴にはほとんど姿を現さなかった。そして、王国と関係があるかどうかという意味では、リーダーたるアーウィンドも彼らと同じ部類に属している。 軽口にまぎらせた答えの一端に気づくことなく、騎士が眉を寄せた。 「はぐらかさないでください、アーウィンド殿」 アーウィンドは苦笑した。くるりと背を向け、街を見おろす。 組織内のゆがみなど、この騎士のまっすぐな眼差しには映ってさえもいないのだ。 だからこそ、彼は信頼できるのだけれども。 「そうねえ…」 アーウィンドは、今日の戦のことを思い出していた。一番の収穫はゼノビアの解放ではなく、王家の正当なる後継者、トリスタン皇子の生存が確認されたことだろう。 その事実を告げた彼の乳母に、自ら大陸を治めるつもりがあるかと訊ねられ、アーウィンドは首を振った。 帝国の圧政の下、心の自由を奪われ、互いの顔色をうかがう人々。貧しさゆえに道を踏み外す者もいる。 人の心が荒れ、すさんでゆくさまを見るのは辛い。 かといって、目を閉ざすことも出来なかった。だからこそ、老いた占星術師の手を取り、反乱軍の指導者たることを引き受けたのだ。 だが、戦いに生きる自分が、新たな秩序を築く役目には向かないこともわかっていた。祖国の復興に燃える反乱軍の面々のことから考えても、皇子の存在は願ってもない幸運だった。 帝国を倒すというだけで 先の展望がないままではそれこそただの戦争屋になってしまう。この反乱の行く末に見通しが立ったことにアーウィンドは心底安堵し、けれどその一方で、一抹の寂しさを感じている己を自覚していた。 ここは、ずっと一人だった自分が、初めて得ることのできた居場所だったから。 「あなたたちが大好きよ、ランスロット」 夜の街を見晴るかしたまま、アーウィンドは言った。 「ずっと、一緒にいられるのなら良かったのに」 しばらく、騎士の応えは返らなかった。 「……なぜ、そのようなことをおっしゃられるのですか?」 とまどう声が、屋上の石畳に響いた。 「われわれは、ゼテギネアを倒すため、共に戦っているのではありませんか」 アーウィンドは少し微笑んだ。 「そうね。幸いなるかな…あなたとわたしの望みは、今のところ重なっている」 背に当たる、騎士の声が固くなった。 「この先も…あなたが変わってしまわれない限り、離れることはありません」 そのまっすぐな憤りに、ほほえましさとくすぐったさと、かすかな痛みを覚える。 「わたしは決して変わらないわ」 アーウィンドはふり返らず、歌うようにささやいた。 「王国が滅んでなお、あなたが騎士であり続け、そしてこれからもそうであるように」 いつか道は分かたれるだろう。 彼らの真の指導者が存在する以上―――たとえそうでなかったとしても、いつか、離れなければならない日が、きっと来る。 今、わたしたちの望みは同じ。けれどなぜそう願うのか、は違うから。 あなたは、もう滅びてしまった国を愛している。正義という幻想と、失われた王家への忠誠を糧として、今なお戦い続けている。 ただ微笑んだアーウィンドに、騎士は言いつのった。 「貴女が我々のリーダーです。真の平和を手にするまで、貴女と共にあると…、私はそう、誓いました」 真の平和を手にするまで。 アーウィンドは、ゆっくりと騎士へ向き直った。小さくうなずく。 「ええ、そうね…。ランスロット」 ―――これからどうするか。 まずは、皇子を見つけなければ。 そして、帝国を倒し、その後は…? まだ先のことだ。それでもその想像は、アーウィンドの胸にかすかな痛みをもたらした。 |