2.終わりの始まり



「何度言われても、答えは変わらないわ」
 勇者はきっぱりと言い放った。静かな室内に、凛とした声が響く。
「トリスタン皇子。あなたには、軍から抜けていただきます」
「しかし、アーウィンド殿…!」
 トリスタンは声を強くした。
「わかっているはずよ。あなたは、これからの大陸を導くべき人。ここまで来てあなたを失うようなことがあれば、これまでの全てが無駄となってしまう」
 トリスタンは、樫の円卓をこぶしで打った。
「これまでずっと、私は君とともに戦ってきたではないか!」
 激情のままに言い募る。
「何故、今になってそんなことを言われるのだ? ラシュディを倒すに、私の力は不要とでも…」
 静かにアーウィンドは頭を振った。
「あなたにとって、ラシュディが許すことの出来ない相手だということはわかっているわ。でも、今度の戦いは危険すぎる。あなたの強さは百も承知よ、それでも、行かせるわけにはいかないの」
 まっすぐにトリスタンの瞳を見つめて、アーウィンドは強く言葉を重ねた。
「トリスタン皇子。これは、リーダーとしての命令よ。あなたはここに、残ってちょうだい」
 トリスタンは、じっと勇者の視線を受け止めた。彼女の瞳は揺るがなかった。
 しばらくの静寂の後、トリスタンは頷いた。
「……わかった」
 軽く唇を噛みしめる。
「君に、従おう」
「ありがとう、皇子」
 アーウィンドの表情が、ふっとやわらぐ。やさしい笑みが、白い貌を彩った。
「信じていて。……わたしは必ず、あなたに未来を手渡してみせるから」



 走る伝令たちの後に土埃が舞い、陽光に白く輝く。
 戦の元凶たる魔導師ラシュディとの決戦を控えた軍議を済ませ、戦士たちが集まる本陣は活気付いていた。そこここに人が集まり、鼓舞する声が交わされ合う。
 本陣の片すみ、ゼノビア王家の紋のついた優美な白い天幕のそばでも、小集団が形成されていた。
「あの者はいったい、何様のつもりなのか…!」
 上がった声は、不穏なものだった。激昂とともに続けられる。
「殿下に対して命令を下すとは、身をわきまえぬにも程がある!」
「何故、あのような物言いをお許しになられるのですか、殿下ッ?」
 騒ぎ立てる元ゼノビア王国の廷臣たちに囲まれ、トリスタンはうんざりと応じた。
「ではお前たちは、アーウィンド殿の判断が誤っているとでも言うのか?」
 彼らは、かつてのトリスタンのように帝国の圧政の中で身を潜めていたところ、トリスタンが解放軍の旗頭として立ったのを知って集ってきた者たちだった。軍資金の援助や、あるいはその外交手腕でもって他との交渉を補助するなど、軍内でもそれぞれの役割を果たしている。けれども彼らには、専門外である軍議での発言権は与えられていない。
「無論です! 殿下に手柄を立てさせまいという魂胆は明らかではありませんか!」
「ラシュディは殿下のお父上の仇ですッ。それを討つに殿下を退けようとは…!」
「そもそも殿下なくして、この戦いに勝利がありえましょうやッ」
 トリスタンはため息をついた。忠義はありがたいが、彼らにはことゼノビア王家に関しては、ものを判断する能力というものが、いささか減退してしまうのではなかろうか。
 ラシュディをこの手で討つことが出来ないのは、確かに口惜しい。実際、自分も軍議の場では醜態を見せた。
 しかし、自分がこの戦乱の後処理に一番適している以上、危険を犯すような真似はやはり、出来ないのだ。そのために彼女は、普段は必要以上に自分を立ててくれているのだから。
 彼女は、常に未来を見て行動している。
 その聡明さ故の忠誠に、トリスタンは時折苦しくさえなった。
 私を認めてくれるゆえではなく、未来のために、彼女は私にかしずくのだ。私よりも、本当は彼女のほうが優れているのに。私が軍の指揮を取ることはあっても、それすら彼女の助けがあってこそ。言葉のとおり、必ず彼女は勝利を収めて戻ってくることだろう。
 いっそ自分の器の劣る事実に気付かなければ、これほどに苦しくはなかったろうか?
 黙ったままの主君に苛立った者の一人が、声を荒げた。
「殿下! 殿下は、口惜しくないのですか。生まれ育ちも定かでない、どこの馬の骨ともしれぬ女に…」
「お前たち…!」
 過ぎた言葉に、咎めようとトリスタンは口を開いた。
 そこに、上空から別の声が割り込んだ。
「聞いてりゃ、ずいぶんと好き勝手なこと言ってくれるじゃねえか…!?」
 どうやら物資を運ぶ途中で聞きとがめたらしい。気色ばんだ有翼人が、その黒い翼をたたんでばさりと舞い降りる。凶暴な声音に、一瞬廷臣たちは腰が引けたようだった。しかし、すぐに侮蔑を込めて言葉を返す。
「亜人がわかった風に何を言うかッ。そもそも、お前のようなものを軍に置いていること自体からして、勇者殿の器量が知れようというものだ!」
 有翼人の金の瞳が、ギラリと光った。
「今の台詞の前半分だけでも、八つ裂きにしてやるには十分だが…あのひとをそんな風に言うヤツぁ、絶対に許さねえ」
 低く身構えた様子に気おされながらも、廷臣の一人が言葉を続けた。
「本当のことを言って、何が悪いッ。勇者殿は、争いごとを好む性であられるようだ。さぞお前のような者とも気が合われる…」
「な、にぃッ!」
 ぐいと襟元を掴まれて、男はすくみ上がる。銀のボタンが音を立ててはじけ飛んだ。
 有翼人の後ろには、既に数人の者が騒ぎに気づいて足を止めていた。男はそちらへ救いを求める目を向ける。しかしそれに応じたのは、有翼人と同じ怒りと蔑みのまなざしだった。
 色めき立つ部下たちの後ろで、トリスタンは知らず唇をかんだ。
 どう動くべきか。仮にもあれは、自分に付き従う者だ。それをおろそかにすれば、後々いらぬ問題を抱えることになる。しかし、ここで自ら臣下をかばえば、その態度が戦士たちにどのように受け取られるかは明白だった。
 行き詰まって、トリスタンは考えなしの臣下を見捨てたくなった。そもそもアーウィンドを悪し様に言われ、トリスタン自身も腹を立てていたのだ。どうすれば良いか決めかねたまま、トリスタンが一歩踏み出したとき。
「スタンクラウドッ!」
 若い女の声が、鋭く響いた。
 地から湧き出た薄緑のもやが、蛇のように有翼人の体をからめ取る。麻痺の効果を持つそれに、有翼人の腕から力が抜けた。解放された男はどさりと崩れ落ちる。
「デネブ、テメッ…」
 歯ぎしりと射殺すような視線が向かった先、木立の陰から、一人の女が歩み出る。
 うす桃色のローブに、先のとがった帽子。ねじくれた木の杖を片手にした彼女を、知らぬ者はここにはいない。
「もう、しょうがないわね。頭に血が上りやすいんだからぁ」
 痺れる舌でうめく有翼人に、美しき魔女は息をついて見せた。
「さ、カボちゃん。このバカをあっちに持ってってちょうだい。アタシも後で行くから、それまで大人しくさせといて」
 その言葉で、魔女の後ろに付き従っていたパンプキンヘッドが進み出た。名前の通り、ひょろりとした身体に大きなカボチャを頭にしたその姿は、まるでこどもの想像が形をとったようなふざけたものである。
 デネブの魔力によって造られたしもべであるそれは、据わりの悪そうな頭をふらふらと揺らしつつ有翼人を引きずっていった。地面にうねった跡をつけ、ズルズルと重い音が遠ざかる。
「さ・て・とぉ…」
 デネブは座り込んだ男のほうに目を向けた。
「…魔女などに助けられるとは…」
 咳き込みながら、男はつぶやく。進んで帝国に従っておきながら今は解放軍に収まっている魔女は、彼にとっては侮蔑の対象だった。
 デネブはバカにしたように肩をすくめた。あごを上げて、冷たく見下ろす。
「別に、アンタを助けたわけじゃないわよ。…ねえ、おーじさま? も少し、部下のしつけは厳しくしといたほうがいいんじゃない? おーじさまのためにもね」
 あら、でも部下に口出しできるほど偉くもないのかしらぁ?
 デネブのとぼけた言い様に、男たちは殺気立つ。トリスタンは、片手を伸ばして彼らを制した。軽く目を伏せ、謝意を示す。
「…デネブ殿。確かに、私が到らなかったようだ。私のためではないにしても…感謝する」
「ふ〜ん?」
 デネブは面白そうにトリスタンを見た。口元に細い指を当て、小首を傾げる。
「思ってたより、頭は回るみたいねぇ?」
 赤いくちびるが、からかうように甘い声をつむいだ。
「おバカさんばっかで、アナタも苦労人してるみたいだけどぉ…、ま、がんばってちょうだい」
 気楽に手先だけを振って、デネブはパンプキンヘッドの行ったほうへときびすを返した。遠巻きにこちらを見ていた者たちも、それぞれの仕事に戻って動き出す。
「殿下、あのようなことを」
 一人が言いかけて、ひっと小さく息を呑んだ。
「……お前たち。真実私のことを思うならば、その言動に気を付けよ」
 彼らの主君のまなざしは、凍るように冷たかった。
「特にアーウィンド殿を中傷するなど、私の立場どころか、お前たちの身さえ危うくすることがわからんか? この軍の中でアーウィンド殿が得ている信頼は、私へのそれとは比べものにもならないのだからな」
 トリスタンは廷臣たちを一瞥すると、彼らを置いて歩き出した。後ろから、哀願するように引き止める声が聞こえたが、一顧だにせず進む。
 木立に入り、誰の姿も見えないところまで来て、トリスタンは足を止めた。
 硬く握ったこぶしを木の幹に押しつけ、息を漏らす。
 わかっているつもりだった。彼女と自分の器の違いを。解放軍において、いかに彼女の力が強いかを。
 既に解放軍は、中核こそ変わらずとも、ゼノビア王国騎士団の生き残りという規模ではなくなっていた。解放してきた他の国々出身の者、圧制を敷く帝国へと姿を変えてしまった母国ハイランドを愁うるゆえに解放軍に加わった者、そして、リーダーであるアーウィンド自身に惹かれて集った者。
 いかに力があろうと、彼女にそれを利用しようという気が毛頭ないということは確かだ。しかし、それでは皆が納得しないのではないか? 
 トリスタンはアーウィンドのことを信頼していたし、深い敬意も抱いていた。誰よりも血の流れることを厭い、知略にも長けながら、あえて剣士として先陣に立つ彼女に。
 それはもちろんトリスタンを王位につけ、この大陸に平和をもたらすためだ。
 ―――自分に、そこまでされるだけの価値があるのだろうか。
 トリスタンは自分に問い掛けた。
 少なくとも、彼女とともに戦ってきた仲間たちは、そうは思っていないはずだ。
 彼女の血にまみれた手を嫌悪する者は、確かにいる。だが、彼女を知る者なら――解放軍に身を置く者ならば。
 彼女は、解放軍という大きすぎる力を心酔させる者なのだ。
 もし…もしも。先程、自分の部下たちがそうだったように、彼女の意思とは別のところで、その力が暴走を始めてしまったなら。民が望まぬ紅く染まった英雄を、その頭に戴いて。
「…馬鹿馬鹿しい」
 トリスタンは、その想像を笑い飛ばそうとした。デネブ殿の台詞ではないが、部下への統制も満足に及ばぬ私などとは違い、彼女の意思がないがしろにされるわけはない。

 その呟きは、静寂の中、ひどく虚ろに響いた。


 
To be continued.

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