広い机の向かい側から、子犬めいた茶色のひとみがこちらを見つめてくる。 居心地の悪さに、キールは椅子の上でこっそり身じろぎをした、その途端。 「あれなのよねー、やっぱり」 まるでタイミングを計ったように上がった声に、思わずびくりと背が跳ねた。 「……何がだ。メイ」 書き終えた呪文書に封印をして、手を止める。 「だいだいさっきから、何をしてる? まったく課題が進んでないぞ」 「あ、うん」 少女はまったく悪びれたふうもなくうなずいた。甘い栗色の髪が、その肩口でさらりと揺れる。 「飽きたから、キールの観察中」 「………するな。んなもん」 「で、思ったんだけど」 こちらのツッコミはきっぱり無視して、少女は続けた。 「シオンは根性が悪いのよね」 「……はあ?」 「性格が悪い、でもいいけど?」 きょとんと言ってきた少女に、キールはため息を吐いた。 「いや、解説を聞いてるんじゃない。どうしていきなり、先輩の話になるんだ?」 どうもこいつの話は、要領を得ないし脈絡もないしで困る。 だいたい女ってヤツは、とりとめのないおしゃべりが好きだ。くだらない。つまらない。 そんなキールの内心を知るはずもなく、少女は勝手に話を進めていく。 「やあねえ、話の枕ってヤツよ。クセが強いのはおんなじだけど、違うんだなあって。キールは、さ」 少女の大きなひとみが、くるりと回った。 「たぶん根は悪くないのよね。口が悪いだけで」 キールは、とっさに返す言葉を思いつけなかった。 「な、……何を言い出すんだ、おまえは」 「だってさ」 にっこりと、少女が笑んだ。 「こないだとか。ほらあたしがダリスに行くってとき。心配してくれた、でしょ?」 「な、…」 思いがけないことを言われて、キールは絶句した。 「あたしに選ばせるとか言って選択肢出しときながら、さんざん脅しかけたりして。…危ないってわかってるんなら、それこそあたしに押しつければよかったのにさ」 机の向こうで、少女は頬杖をついた。でしょ、と同意を求められる。 どう返答すればよいかわからず、キールは口ごもった。 「……や、……あのな」 応えを待たず、少女は続ける。 「シオンはさ。なんつーか。あたしがほんとに死んだってしょうがないってゆーか。まあそれがだめってわけじゃないんだけどね、むかつくだけで」 言って、開いた魔道書にぱたんと顔を伏せる。 「ほんと、キールは、すごいいいヤツだし。そゆとこ、すごく好きだし。あんな人非人と違って。……うん」 つぶやくその表情はわからない。キールは少し迷って、それから席を立った。 「……メイ」 「んー?」 顔を上げないままの彼女の横に、そっと立つ。 「あのな、先輩は…」 言いかけて、顔をしかめた。 なんで自分が、あの人のフォローなんぞしてやらなきゃならないんだ。 ばん、と勢いをつけて少女の丸めた背中をはたく。 「おまえみたいな半人前じゃ、だれだって心配するに決まってるだろ! この国の命運がかかってたんだぞ」 「いっったーい!! しかもひどーい!」 憤慨したふうに、けれど笑ってみせた少女の栗色頭をキールはくしゃりとかき混ぜた。 「でもまあ先輩は」 ため息を一つ。ああ、なんだって自分は。 「……おまえのこと、信用してたんだろうさ。でなきゃあんな場面で使おうなんて思わない」 きょとんと、茶色のひとみがまたたいた。 「ん、………………そっか」 それから、にっと笑った。 さっき自分に向けたよりも、ずっと彼女らしい笑みだった。 「そっか。…いいね、そーゆうのも」 複雑怪奇すぎる性格のあの先輩魔導士が、この少女をどう思っているかなんて、知らない。 意地っ張りで素直でわかりやすい少女が、抱いた思いは知っているけれど。 ただ自分は、こいつが泣かなければいいと思う。 そう思う心に名付けるべき名は。 まだ、もうすこし、知りたくない。 「ありがとね。キール」 「ああ、……」 笑う彼女へ返した笑みは、ほんのすこし苦かった。 fin. |