■  こころの形  ■




 広い机の向かい側から、子犬めいた茶色のひとみがこちらを見つめてくる。
 居心地の悪さに、キールは椅子の上でこっそり身じろぎをした、その途端。
「あれなのよねー、やっぱり」
 まるでタイミングを計ったように上がった声に、思わずびくりと背が跳ねた。
「……何がだ。メイ」
 書き終えた呪文書に封印をして、手を止める。
「だいだいさっきから、何をしてる? まったく課題が進んでないぞ」
「あ、うん」
 少女はまったく悪びれたふうもなくうなずいた。甘い栗色の髪が、その肩口でさらりと揺れる。
「飽きたから、キールの観察中」
「………するな。んなもん」
「で、思ったんだけど」
 こちらのツッコミはきっぱり無視して、少女は続けた。
「シオンは根性が悪いのよね」
「……はあ?」
「性格が悪い、でもいいけど?」
 きょとんと言ってきた少女に、キールはため息を吐いた。
「いや、解説を聞いてるんじゃない。どうしていきなり、先輩の話になるんだ?」
 どうもこいつの話は、要領を得ないし脈絡もないしで困る。
 だいたい女ってヤツは、とりとめのないおしゃべりが好きだ。くだらない。つまらない。
 そんなキールの内心を知るはずもなく、少女は勝手に話を進めていく。
「やあねえ、話の枕ってヤツよ。クセが強いのはおんなじだけど、違うんだなあって。キールは、さ」
 少女の大きなひとみが、くるりと回った。
「たぶん根は悪くないのよね。口が悪いだけで」
 キールは、とっさに返す言葉を思いつけなかった。
「な、……何を言い出すんだ、おまえは」
「だってさ」
 にっこりと、少女が笑んだ。
「こないだとか。ほらあたしがダリスに行くってとき。心配してくれた、でしょ?」
「な、…」
 思いがけないことを言われて、キールは絶句した。
「あたしに選ばせるとか言って選択肢出しときながら、さんざん脅しかけたりして。…危ないってわかってるんなら、それこそあたしに押しつければよかったのにさ」
 机の向こうで、少女は頬杖をついた。でしょ、と同意を求められる。
 どう返答すればよいかわからず、キールは口ごもった。
「……や、……あのな」
 応えを待たず、少女は続ける。
「シオンはさ。なんつーか。あたしがほんとに死んだってしょうがないってゆーか。まあそれがだめってわけじゃないんだけどね、むかつくだけで」
 言って、開いた魔道書にぱたんと顔を伏せる。
「ほんと、キールは、すごいいいヤツだし。そゆとこ、すごく好きだし。あんな人非人と違って。……うん」
 つぶやくその表情はわからない。キールは少し迷って、それから席を立った。
「……メイ」
「んー?」
 顔を上げないままの彼女の横に、そっと立つ。
「あのな、先輩は…」
 言いかけて、顔をしかめた。
 なんで自分が、あの人のフォローなんぞしてやらなきゃならないんだ。
 ばん、と勢いをつけて少女の丸めた背中をはたく。
「おまえみたいな半人前じゃ、だれだって心配するに決まってるだろ! この国の命運がかかってたんだぞ」
「いっったーい!! しかもひどーい!」
 憤慨したふうに、けれど笑ってみせた少女の栗色頭をキールはくしゃりとかき混ぜた。
「でもまあ先輩は」
 ため息を一つ。ああ、なんだって自分は。
「……おまえのこと、信用してたんだろうさ。でなきゃあんな場面で使おうなんて思わない」
 きょとんと、茶色のひとみがまたたいた。
「ん、………………そっか」
 それから、にっと笑った。
 さっき自分に向けたよりも、ずっと彼女らしい笑みだった。
「そっか。…いいね、そーゆうのも」


 複雑怪奇すぎる性格のあの先輩魔導士が、この少女をどう思っているかなんて、知らない。
 意地っ張りで素直でわかりやすい少女が、抱いた思いは知っているけれど。

 ただ自分は、こいつが泣かなければいいと思う。
 そう思う心に名付けるべき名は。
 まだ、もうすこし、知りたくない。

「ありがとね。キール」
「ああ、……」

 笑う彼女へ返した笑みは、ほんのすこし苦かった。





fin.

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