城内は、活気ある混乱に満ちている。 それも当然のことだった。隣国との戦いは勝利に終わり、今この地で、新しい国が生まれでようとしているのだから。 戦の傷痕はそこここに残り、いまだ消え去ったわけではないのだけれど。 旅装の裾をひるがえし、シーナは走っていた。 兵舎を回り、レストランをのぞき、テラスへ飛び出し。そのどこにも、探しびとの姿はない。半刻ほどその捜索に時を費やし、思いつく場所はすべてあたって、シーナは途方に暮れた。 いつも自室にこもっているはずなのに。どうして、こんな時に限っていないのだろう。 シーナは、どっと疲れて壁にその身を預けた。 「仕方…ないか」 深く、深くため息をつく。 出立の時間が迫っていた。 国元であるトランへ帰還するにあたって、シーナはバレリア率いる義勇兵にくっついていくことになっていた。トランまでの道程は、一人で行くには無謀なほど遠く、危険を伴なう。 とぼとぼと、シーナは城門へ向かった。すでに他にトランへ戻る者たちは支度を済ませ、彼を待っている。やってくるシーナを目ざとく見つけ、女将軍の叱咤の声が飛んだ。 「シーナ殿!」 慌ててシーナは駆けだした。合流したところに、重ねて厳しい声がかかる。 「大統領のご子息とはいえ、規律は守っていただきたい」 石畳へ、いらただしげに軍靴のかかとが打ちつけられた。黄金の拍車が音高く鳴る。その射抜くような視線を向けられ、シーナは肩をすくめた。 「ごめん。あいさつ、していきたい奴がいたんだ…みんなを待たせたことは謝る」 珍しくしおらしいさまに、謝罪された相手もいささか驚いたらしい。 「…反省していただけたのなら、それでかまいません」 毒気を抜かれた表情で、バレリアはうなずいた。そうして出立の号令をかけに行ったその背を見送り、シーナはまわりを見まわした。 あたりは、別れの挨拶を交わす者たちであふれている。イライラと彼を待っていたのは几帳面な女将軍くらいで、ほかの連中はそれなりに時間をつぶしていたらしい。だが、シーナの求める者の姿は、やはりここにもなかった。 当然だよな、と自分の未練がましさにシーナは肩を落とした。その時。 ぽんと後ろから肩を叩かれる。驚いて、シーナはふりかえった。 ―――視界に入ったのは、真面目一筋のお堅い役人男だった。 「……なんだ、フリードか」 がっかりした気分は、素直に声音に現れる。 「…いきなりそれはないでしょうに。シーナ殿…」 困ったようにフリードが応じた。指先で軽く、銀縁眼鏡の縁を上げる。 「あ、わり」 シーナは軽く笑って、男の肩を叩いた。そういえば、個人的に話をしたのは初めてかもしれない。声をかけられたことに首を傾げつつも、軽く問う。 「おれになんか、用だったか?」 「はい」 とたん、思いつめたように真面目な表情になったフリードに、シーナは少し引いた。 「な…なんだよ?」 シーナの様子にも気づかずに、フリードはわずかうつむき、それから心を決めたように顔を上げた。 「シーナ殿、わたくしはあなたに、礼を申し上げたかったのです」 「………は?」 ぽかんとしたシーナにかまわず、フリードはぐっとこぶしを握った。 「ご存知のように、トラン共和国成立すぐ、我らがサウスウィンドウ市軍はあなたがたと一戦交えました。トラン湖北方の地における覇権をかけて」 「…はあ」 いきなり飛んだ話に、拍子が抜けてシーナはただうなずいた。直立不動の姿勢で、フリードは続ける。 「あのあたりは、昔からその領有を巡って紛争が起きていた地域です。ですが、正式に同盟が結ばれるからには、かの地を、このレグルス国が侵すことはもうないでしょう」 「ああ、そう」 シーナは適当にうなずいた。 たしかに、トランとレグルスとの間では、軍事同盟に代わってこのたび、平時における同盟が新たに結ばれることとなっているらしい。既に書状のやり取りは済み、トランへ帰還する義勇軍とともに、正式な調印のための使者が遣わされると聞いた。 シーナの生返事も意に介することなく、フリードの熱弁は続く。 「わたくしは始め、トランとの軍事同盟など一時的なものに過ぎぬと考えていたのです。ハイランドの暴挙を防ぐための妥協であると」 「はあ」 「我らがわだかまりを抱えていたのと同じく、いえ、もしかするとそれ以上に、あなたがたにも思うところはあったに違いありません。しかし、トランから派遣されてきた兵士たちは、本来ゆかりなきはずの戦いに加わり、最後までその統制を崩すことなく戦っていた」 「まあ、そーだろうね」 余計ないさかいを起こさぬよう、選りすぐった者が送られてきたのだろうから。 おざなりに相槌を打ったシーナの肩に、フリードがぐっと両の手をかけた。 「シーナ殿!」 「あ、はい!」 聞き流していたのがばれたかと、シーナは背筋を伸ばした。 案に相違して、真剣な目が見つめていた。 「シーナ殿もまた…まあ、多少性別のかたよりこそありましたが、屈託なく我らに接しておられた。トラン大統領のご子息であるあなたは、皆から一番距離を置かれるだろう立場でいらっしゃるというのに。わたくしは、自分からあなたがたと交わろうとしなかった…。シーナ殿、あなたを見ていて、それでは何も変わらないのだと遅まきながら気がつきました」 「あああ…そ、そう」 こんな熱血な雰囲気には慣れていないシーナは、なんと返すべきかわからず頬を引きつらせた。 「本当にありがとうございます、シーナ殿!」 「そりゃ、どうも…」 シーナは、居心地の悪さに身じろぎをする。 「すぐさま自分を変えることはできないかもしれません。しかし、これからわたくしたちは…」 いつまで続くんだ、これ。背に、たらりと冷たいものが流れる。その時。 ぶぎ、となにか柔らかいものが後頭部にぶつかってきた。 「うわっ!?」 たまらず、体をくの字に折る。さすがにフリードも、驚いたように言葉を切った。 「な…なんだってんだ…」 立ち直ったシーナは、自分の頭でバウンドして地に落ちた物体を見つめた。 つぶらな瞳が見つめ返してくる。…赤いマントのムササビだった。 屋上から飛んできたのだろうと、シーナは城を見上げた。 見上げた先には、人影が一つあった。逆光でよく見えないその姿を確かめようとシーナは目をこらす。その途端、人影は隠れるように身を引いた。 もしかして。そんな思いが、シーナの脳裏をよぎる。 バレリアの方を見やると、ライバルだとかいう女剣士と話をしているところだった。というより、余裕ありげににやついている剣士に、頭に血をのぼらせた彼女が突っかかっているといった風情だったが。 その様子を横目で見つつ、シーナはこっそりその場を抜け出そうとした。 「ああ、シーナ殿! わたくしの話はまだ!!」 大声で呼びとめられ、シーナはうわ、と肩を揺らした。 「悪いフリード! 話はわかった、それじゃな!」 シーナの脱走に気づいたらしい女将軍を横目に、慌てて走り出す。 「シーナ殿! もう出立だ、どこへ行く!」 「ちょっとバレリア、人が話してる最中に…あたしに向ける礼儀はないってわけかい?」 「ええい、からむんじゃないアニタ! 待て、シーナ殿!」 背中をたたく怒声に、シーナはぼやいた。 「…こりゃ、後でしぼられるな」 回廊を駆けぬけ、エレベーターが動いていないのを確認、シーナは階段を駆け登った。 誰にも遭わず、一気に屋上の入口までたどり着く。重たげな鉄の扉を前に、シーナは大きく息を吸った。 勘違いだったら。…それはそれで、あきらめがつくというものだ。 冷たいノブに手をかける。まわすと、カチャリと小さく金属音が響いた。 シーナは、扉をゆっくりと押しあけていった。 うすぐらい踊り場に、少しずつ光が射しいってくる。 開け放った外には、驚いた表情の青年が立ちつくしていた。 強く風が吹いた。 青年の鳶色の髪が、さらりと流れる。 見開かれた瞳は、陽に透けて常より色を明るくしていた。 「…どうして、あなたが…ここに」 シーナは、光のなかに踏み出した。 「そりゃこっちの台詞だぜ。…クラウス」 一歩ずつ、静かに歩を進める。わずかに下がった青年の背が、たん、と屋上の縁に触れた。 「どうして、こんなとこにいるんだよ…」 自分とほとんど背丈の変わらない青年と、シーナは間近に目を合わせた。 もしかしたなら…ここから、見送ろうと思ってくれていたのだろうか。自分のことを。 そう口に出して問うには、シーナはその考えに自信が持てなかった。 自分はこの青年に近づいて、傷つけて、そしてずっと逃げていたのだから。 「すみません」 クラウスは、視線を外すように横を向いた。 「シーナ殿からすれば、私の顔を見れば不快なことを思い出すばかりでしょう」 「……は?」 何か勘違いしているらしい相手に、思わず間の抜けた声が落ちた。 構うことなくクラウスが続ける。 「顔をあわせてしまって、気分を害されたこととは思いますが」 「ちょ…ちょっと待て!」 がっしりと両の肩を捕まれ、クラウスは言葉を切った。 「……はい?」 「どうしてこんなとこにってのは、そういう意味じゃなくてだな…ああ、もういいや」 シーナは、大きく深呼吸をした。間近に、静かな瞳をのぞきこむ。 「おれのこと、見てたのか?」 決まり悪げに、クラウスは目を細める。シーナはしつこく問うた。 「なあってば」 クラウスは、深くため息をついた。 「ええ…まあ」 しばらく、沈黙が落ちる。 「……………あのさ、クラウス」 「はい」 シーナは、言うべき言葉を考えた。 「すっげえうれしい…」 結局口から出たのは感情そのまま、全く加工されていない代物だった。 屋上の縁、胸までの高さがある壁に、二人は並んで背をあずけ、座った。 石床の冷たさが、走ってきた身体のほてりには気持ちが良い。 「なあ、クラウス」 時折、上の方から翼持つ獅子の羽ばたきが聞こえる。 となりに座っている青年のほうは見ずに、シーナはつぶやいた。 「おれさ。おまえに、あやまりたかった」 今更なんだけど。小さく付け加え、シーナは苦く笑った。 「それから、伝えときたいことも、あったんだ」 そこで、どこから始めれば良いかわからず、黙り込む。 クラウスは口を挟むでもなく、ただ耳を傾けているようだった。 シーナは、立てた片膝を身に引き寄せた。それから、小さく息をついた。 「あのさ」 なんとなく青年の顔が見られず、仕方なしに前方を睨みつける。 「出歩いてここの奴らの神経逆なでしないように、とか。実際ヤな目に遭うとか…そういうのもいろいろあんだろうけど」 となりで、クラウスが身じろぎしたのがわかる。 シーナは一拍置いた。小さく息を吸い、吐いて。そっとささやく。 「でもやっぱ…ここはほんとの居場所じゃないって、…そうも思ってただろ?」 シーナは黙って、クラウスの応えを待った。しばらくして、となりから深いため息が届く。 「…否定できませんね」 「だから…」 そこで、言葉に詰まる。しばらく眉を寄せて、ふとシーナは思いだした。 「…さっき、フリードに会ったんだ」 ちらりと目をやると、クラウスは静かに自分を見ていた。 「おまえ、自分からここの奴らと付き合おうとか、してなかっただろ」 ぐしゃぐしゃと片手で短い髪をかきまわしつつ、シーナは少し早口で続けた。 「ああうん、おまえが馴染む必要感じてなかったんだから、今までの態度が悪いとか言ってんじゃない…でもさ」 シーナは小さく息を吸った。 「おれがいやなんだ」 戸惑った声が返った。 「…あなたが?」 シーナはうんとうなずいた。 「そ、おれがやなの。おまえとともだちになりたかったし」 クラウスは軽く目を伏せた。沈鬱に表情を曇らせる。 「…すみません」 慌ててシーナは手を振った。 「あ、責めてるんじゃないからな? それ言うなら、おれだってなんか声がかけにくくて…あんなこと、言っちまったからさ」 シーナはカリカリとこめかみをかいた。 「ほんと悪かったと思ってる。無神経なこと言ったのも、それから、ずっと避けてたのも」 ふと、クラウスの視線がシーナを捉えた。 「…シーナ殿」 「おう」 まっすぐに、その瞳がシーナを見つめる。 「それならどうして今、私と話をしようと思ったんですか」 シーナは苦笑いをした。 「だからさ…やだったんだ」 軽く肩をすくめて見せる。 「おまえが、これからずっと、もうどこにもないものだけ見てるのかと思ったら、さ。黙って行くなんて、できなかったんだよなあ…おれがおせっかい焼きたいなんて、らしくないけど」 クラウスが、驚いたように目を見開く。 「おまえはおれと会いたくなんかないかもとか、いろいろ思った。でも…やっぱ、」 「シーナ殿」 突然、クラウスの涼やかな声がさえぎった。珍しい振る舞いに、シーナはきょとんとまばたきをした。 「なに?」 「私は…」 クラウスは、小さく息継ぎをした。 「私も…あなたにずっと、謝りたかった」 「え?」 聞き返したシーナに、クラウスはほんの少しだけ笑んだ。 「自分に踏み込まれたことよりも。あなたを傷つけたと思ったことのほうが、痛かったんです」 「……え?」 だから、とクラウスは今度は呆れたように笑う。 「どうやら私も、あなたと親しくなりたいと思っていたようで」 シーナは、ぽかんとクラウスの顔を見つめた。 「後になってから、気がついたんですが」 ただただ呆然とするシーナに、クラウスが苦笑した。 「そんなに大きく開いていると、目が落ちそうです。シーナ殿」 「なんだ」 シーナの口からつぶやきがすべり落ちた。 勝手に、口もとが笑みを作って上がっていく。押さえる気もなかったが。 「……おれら、両思いだったんじゃん」 茶化した言い様に、しかしクラウスも苦笑混じりにうなずいてみせた。 「…そうみたいですね」 シーナは小さく呟いた。 「うわ……」 青年の肩に、こてんと頭を預ける。 「ちょっと、うれしすぎるかも」 クラウスは小さく身じろいだが、その頭をどかそうとはしなかった。 「…シーナ殿」 「うん」 静かな声が降ってくるのに、シーナはうなずいた。拍子に、クラウスの肩にくっつけていた前髪が乱れる。 「あなたのように、ともにいたいと思える人を…私は、ここで、見つけることができるでしょうか」 「…きっとな」 「この地は、私を受け入れるでしょうか」 シーナは顔を上げた。 「おれもさ、あんまりここの奴らにいい顔されるような立場じゃないけど…」 考え考え言葉を紡ぐ。 「それでも結構なじんだぜ。自分が動けば、まわりも変わる、ってな」 にっと笑いかけると、少しためらうようにクラウスも微笑みを返した。 「…おまえが、ここをほんとの居場所だって思うなら、だいじょうぶだろ」 最後はささやくように、シーナは告げた。 「シーナ殿」 ぽつりと、クラウスがつぶやいた。 「ああ?」 困ったように、クラウスは笑んだ。 「本当のところ、まだ心の整理がついていません」 「そっか」 シーナは、クラウスの頭に手を伸ばした。ぐりぐりとかきまわされ、くすぐったそうにクラウスは身を引いた。 「…でも、多分努力しますよ」 「おう」 シーナは笑って、軽く返した。 「……シーナ殿」 ふたたび名を呼ばれ、シーナは懲りずに伸ばしかけた手を止めた。 「なんだよ?」 クラウスはやさしく目を細めた。 「あなたと会えてよかった」 シーナは、クラウスの顔をまじまじと見た。それから破顔する。 「うん、おれも」 しばらく、黙って二人は寄りかかっていた。 頬にふれる空気が、ひどくやわらかい。 なんとなくクラウスの手をとると、その暖かさにシーナは頬をゆるめた。 「次にあなたと会うときには、きっと」 クラウスはその手を握り、にっこりと微笑んだ。 「私の親友だと、紹介できる人を作っておきますから」 「…それはそれで、さびしいかも」 思わずつぶやいたシーナに、クラウスは悪戯めいた笑みを浮かべた。 「もちろん、その人にあなたを紹介するんですよ。私の親友だとね」 fin. |