■  Wings of Tommorow  ■




 巨大なハンガーの中は、昼間でもなおうす暗い。
 吸い込んだ空気は、黒い油の臭い。
 速水は、そびえ立つ自らの士魂号を見上げた。
 まるでなにもなかったかのように、変わりのない風景が、そこにあった。
 鈍い鉛色の装甲もシルエットも、嘆く声も。苦しげなうめきまで。
 それでも、自分の機体は昨日戦場で破壊されて、だから、ここにあるのは予備機のそれで、同じものではないはずだった。
 ゆっくりと、ハンガーの階段に脚をかける。一段、二段、三段。カン、カンと鈍い金属音が足元を追ってくる。
 量産される機体。
 代わりのきくもの。
 それなら自分も同じだな、と、ぼんやり速水は思いをめぐらす。
 ディスプレイの翠の光が、ぼうっとあたりを照らしている。ブーン、と虫の羽音じみてやわらかな機械音が耳をかすめた。
 調整機の前に立つ。速水はそっと機器の中へと左手をすべり込ませた。自機と感覚をつないだ瞬間、拒まれるような違和感に吐息をついた。なにしろ、こいつとは初対面なんだからしょうがない。

 自分と同じもの。
 戦場でかいだ、血の臭い。
 血肉を備え、苦しみ嘆く心を備え。けれど無二ではない存在。

 速水は、そっと手を引き抜いた。
 鉄錆びた血臭と神経をかきむしる断末魔と、朱に染まる視界。感覚は今も鮮やかでありながら、戦闘の記憶は常にひどく曖昧だった。
 掃討戦の最中、敵の援軍が現れて。その真ん中に取り残された壬生屋機がいて。
 夢中だった。群がるミノタウロスを飛び越し、飛び込んで。ミサイルを撃つまでに負った損害は、機体の廃棄を判ずるに十分なレベルのそれだった。
 もちろん自身も無傷ではなくて、だらりと垂らしたままの右腕は包帯に包まれ、消毒薬の臭いをまとわりつかせている。それでも。
 機体を這い出したときに鼻をついたのは、人工の、白い血の臭いだったのだ。
 速水は無事だった左手で、そっと、機体の表面を撫でた。
「……ごめん」


「速水」
 凛とした少女の声がひびいた。
「そなた、何を言っておる」
 速水はふり向いた。
 射撃手を務める相方、芝村の名を持つ少女がそこにいた。
 凛々しく整った面立ちに、あてたガーゼの白さが目立つ。左腕は三角巾で吊っている。そのような痛々しいはずのなりでなお、そこに立つ少女は他を圧する威厳を失わない。
「そなたは、だれに対し、なんのために詫びているのだ? 私にはわからぬ」
「芝村……」
 速水は目をしばたかせた。
「舞と呼べと言うに。……まあよい」
 少女は眉を寄せ、それからため息を吐いた。
「すまぬとは、手間をかける整備員にか? それとももしや、破棄された機体にか? どちらにしろそのような感情にかかずらうとは、非生産的な上に自惚れが過ぎるというものだぞ」
 どこまでも自信と誇りとにあふれ、少女は言い放つ。
「努力によって変ずるのは、未来であって過去ではない。我らは我らのできうる限りを為した。我らの実力では、あれがあの時の最善であったのだ」
 速水は、少女を見つめかえし、曖昧に笑った。
「うん、…そうかな」
 あれで精一杯だったって?
 君が傷つき士魂号が失われ、ここに僕が、五体満足でぴんぴんしてるのに?
 少女が、いくぶん口調をやわらかくして言った。
「だれもそなたを責めはしない」
「うん。…それも、わかってるから」
 速水はうなずいた。
 疑わしげに少女は、半眼になった。
「……本当にわかっているか?」
「うん。…ちゃんと、わかってる」
 だから自分で責めるんだ。
 そうして速水は、彼女のために微笑んだ。





 芝村舞は、確信している。
 自らを信じるのと同じほどに信じている。

「でも、顔は……痕、残らないといいんだけど」
 ほんとにごめん、と言いかける気弱な声を一睨みしてやめさせる。
 口をつぐみ、けれど痛みをこらえる目でこちらを見ている少年に、ため息をついた。
「謝るでない。そなたは馬鹿か? 私の言をまるで聞いておらぬと見えるな」
 またごめんと言って、少年はふにゃりと笑った。
 実のところ、いくら繰り返そうが届かないことを知っている。
 急激にこみ上げた怒りに、思わず怒鳴りそうになってこらえた。この、大うつけの頑固者が。
「どうかした、芝村?」
「どうかした、ではない!」
 気弱げに問うてくる少年、この者こそが。
 すべてを守りたいとの望みのまま、否、その望みゆえに成長し続ける存在。
 自らもまた、彼の望みの下にあることを、守られていることを、理解している。
 けれど同時に、自らもまた彼を守りたいと望み、彼を守っていることを知っている。
「それほど私の…つまりだな」
 思わず口ごもった。気を取り直す。
「私の顔だのなんだのが、気になるというなら。そなた、……厚志」
 ぴしりと呼びつけた。ぽややんとした顔が、すこしばかり引きしまるのを見る。
「短絡に、おのが身を削ってどうこうしようなどと、思うでない」
 びっくり顔でまばたきをする少年に、続ける。
「そなたの操縦に、この身、この命を預けておる。…つまるところそなたと私は一心同体、一蓮托生というものだ。そこのところを、よく心して戦うがよい」
 しばしの沈黙があり、少年はぽつりと言った。
「……一心同体?」
 どことなく顔を赤らめた相手につられ、思わず顔に血が上る。
「そこを繰り返すな! …そなた、いったい何を想像した!?」
「え、いやそのやっぱり…」
「不許可だ!」
「ええー、お父さんそう言わず……」
 にやにや笑う相手を怒鳴りつける。
「誰が父だ! いいかげんにせぬか!!」
「うわあ、こわいなぁ」
 へらりと言われ、急激に気力が萎えた。
「……そなた」
 ほとほと呆れた心地で問う。
「私の言いたいことが、ほんとうにわかっておるのか?」
「なんでそんなこと言うの?」
 そのとき少年は笑っていた。
「そなたがそのように笑ってばかりおるからだ。今のは冗談ではないぞ」
「うん、うん、わかってるよ。……ありがと」
 やさしい笑顔だった。
 彼のことが好きだった。

『あいつが複座のパイロットでよかった、と思ってるよ』
 お茶らけた茶髪の男が、真顔で言った。
『お姫さん、わかってるか? しっかりたづな、にぎっといてくれよ?』

 わかっている。
 だから、自分が、彼の枷となろう。
 どこかのだれかを守るため、天まで駆け上がっていきそうな彼の。

 芝村舞は、確信していた。
 自らを信じるのと同じほどに信じていた。
 彼は、自らのすべてを賭けるに値する存在だと、…





「……すまぬ」
 そしていま。ぼんやりと、舞は呟いていた。
 自分こそ、ああ誰に詫びているのだろう。
 のけぞった視界を埋める空は、炎と煙で赤黒い。吸い込む空気がのどを灼く。
 ウォードレスは、鋼鉄の棺だ。
 どうでもよい事柄がちらつく。
 戦場こそ我らが故郷。
 そこへと、還ること。
 手を離すこと。約束を。
 守れなかったこと。そなたの、手を離すこと。
 ……もうそなたをつなぎとめておけないこと。

「……厚志」
 目頭が痛んだ。涙だろうかと思えば、血潮だった。熱い。
 ゆっくりと目を閉じる。




 記録は、次のように記す。

 4月20日 5210小隊所属 芝村百翼長、熊本城にて戦死。二階級特進す。
 4月23日 同隊所属 速水百翼長、士翼号配備を陳情。



 枷を失い翼を得た彼が。
 どこへ飛び立つか知る者は、今は、まだない。







fin.


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