■  立っている場所  ■




 学園の廊下は、次の授業へとあわただしく移動する生徒であふれている。
 その間を縫って、私は直人の教室へと向かっていた。
 歩を進めるごとに、かつん、と革靴のかかとが打つ音は軽薄で、張られたタイルの値が知れる。志喜屋にもそう告げたのだが、どうやら私立高校の施設内装としては、このあたりが相場であるらしい。
「……よね、小林くんって」
 探し人の名に、私は廊下を歩む足を止めた。ふり返る。
 思うより勢いがついていたらしい。後ろでくくった髪が、ほおを軽く打った。
「うーん、まあ… …ちょっとね」
 女生徒が二人、教室の入り口で立ち止まって何かを見ている。
 私はそちらへと歩み寄った。ならって、教室の中を見る。
 彼女らの視線の先にいたのは直人だった。
 直人のクラスはここではない。なぜ彼がここにいるのか察しを付けるべく、さらに観察を続ける。
「そっか。じゃあ、また明日返してくれればいいから」
 どうやら、他人に貸したノートか何かを取りに来たようだった。
「助かる! 小林、ほんとおまえってイイ奴だなあっ」
 大げさな仕草で肩を叩いた相手に、直人がにっこり笑った。
「いいよ、そんな、お互いさまだろ」
 直人は、ノートを握った相手ともう二言、三言言葉を交わし、うなずいた。

 ………………………。

 思わず、私は目をすがめた。
 そのまま見ていると、出口へと向き直った直人と目があった。
 直人のにこやかだった表情が、わずかにこわばる。
 幾分早足で脇をすり抜けようとする、その腕を私はすばやくつかんだ。
「な、…なんだよ。京介」
 身構え、こちらをにらむように見上げてくる。どうやら、警戒しているらしい。
 この態度の十分の一でいい、他の者に対しても警戒心というものを持って接してくれるなら、私もお人好しな直人の心配を、日がなせずともすむのだが。
 つらつらと考えながら、私は問うた。
「何故、今返せと言わない?」
「…はあ?」
 直人は、少しばかり目を見開き、それから慌てたそぶりで後ろを振り返った。
「必要だから取りに来たのだろう。貸したままではおまえが―――」
「こ、こら!」
 直人の手が私の口をふさいだ。
 そのまま、私を廊下へと引っぱっていく。私はその意志を尊重し、とりあえず引きずられるにまかせた。
 数メートルほどずるずる私の身体を引いたところで、直人は手を離した。
「あのなあ京介!…そんなこと、大声で言うなよな」
「何故」
「なぜって、……」
 直人はしみじみと私の顔を眺め、深いため息をついた。くるりときびすを返す。
「もういいよ…おまえに説明しようとした、ぼくがバカだった」
 歩き出した直人のとなりに、私は歩を進めた。
「直人」
 呼びかけると、直人は歩みを早めた。私は少し歩幅を広げた。
 あっさりと追いついて、その肩をつかむ。ぐいとこちらに向き直らせた。その目をのぞきこむ。
「おまえがよくとも、私が良くないぞ。直人」
 直人は勢いよくわたしの手をふりほどくと、また早足で歩き出した。
「ついてくるなって!」
「何故だ?」
「なんでもだよ」
「納得できる理由がないなら、私は私の好きなようにさせてもらう」
「……恥ずかしいだろっ!!」
 歩きながら、考える。
「…………………、?」
 何がだ。



 気づけば、直人のあとについて屋上まで来ていた。
 まっすぐ歩いていった直人は、フェンスの前で立ち止まり、そのままこちらに背を向けている。
「直人」
「…なんだよ」
 ぶっきらぼうながら、きちんと答えが返ってきた。なんのかんのと言って、結局他人を邪険にできないのは、彼の美点のひとつだ。
「おまえのやり方に口を挟んだのは、悪かったと思っている」
 直人の背が揺れて、こちらをふりかえった。
 ひどく驚いた顔をしている。
「…どうして、そんなに意外そうな顔をするんだ」
「だって、そりゃあ…びっくりするだろ、ふつう」
 天上天下唯我独尊を地でいってるようなおまえが、そんなこと口走ったら。
 さらりと失礼なことをつけくわえてから、直人は、照れくさそうにほおを掻いた。
「まあ、確かに、さっきはぼくも、意固地だったかも。…こっちこそ、悪かったな」
 そこで、気を取り直したように続ける。
「でもな、京介。相手にだって都合とか、事情とかあるものなんだからさ。あんな言い方したら、向こうだって気を遣うだろ?」
「…だが、直人」
 私は目を細めて、大真面目な顔をした直人を見た。
『なんか、うまいこと使われてる感じよね、小林くんって』
 聞こえたあの女生徒の言葉は、正しいように私は思う。
 私は、じっと直人の目を見つめた。
「おまえがノートを貸した奴は、おまえのことをいい奴だと言ったが、…私には、都合のよい奴、と言っているように聞こえた」
「な…」
 怒りと、それから傷つけられたような、直人がそんな目をした。
 直人を傷つけることは本意ではないのだが、それでも。
「友人なら、……フィフティ・フィフティだとおまえは言ったろう」
 それこそ直人のために、彼自身の言った言葉のために、私は口をつぐまなかった。
「……私は、何か間違ったことを言っているか?」


 しばらく、風の音だけが耳朶を打つ。
 それにまぎれるように、そっと直人がため息をついた。
「直人?」
「おまえはまちがってないよ、京介」
 軽く、両手を上げてみせて。でもさ、と直人は微笑んだ。
「別に、自分が損をしてもいいとか、そんなつもりはないんだけど。ああ、困ってるのかなって思うと、なんか落ちつかなくて……」
 まあ結果として、割を食うこともあるかもしれないけどさ。
 ぼそぼそと付け加えた直人に、今度は、私がため息をつく番だった。
「自覚があるなら、どうにか改善する努力をすべきだと、私は思うがな」
 直人は、決まり悪そうにそっぽを向いた。
「…わるうござんしたね、あいにくぼくは、京介みたいにやろうと思えば何でもこなせるって人間じゃないんだよ」
 もう一度、おおきく息をはきだす。
「おまえがそうやって他人に利用されるのは、まったく業腹でならないが。まあ…言っても仕方のないことなのだろうな」
 私は、くちびるの端を引き上げ、少し笑ってみせた。
「私は、おまえのそういうところが一番気に入っている」
 目の前で、失敬にも目を見開いてかたまっていた直人が、我に返ったように身震いをした。
「お、おまえってやつは、…またそういうことを平然と」
 何が不満だと言うんだ、一体。

「…さて、そろそろぼくは戻るよ。授業が始まっちまう」
 ため息をひとつ、足許のコンクリートに落として。直人はくるりときびすを返した。
 ふと、踏み出されたその靴先が止まる。
「なあ、京介」
 ためらう間を感じて、私は促した。
「なんだ、言ってみろ」
「……ほかの誰がどうでも」
 ふりかえることのないまま、直人が続けた。
「おまえとは、フィフティな友だち同士でいたいって、ぼくは思ってるよ」
 私はため息をついた。
「いたい、も何もない。私たちは、対等な友人だろう?」
 顔だけこちらにふり向けた直人は、軽く目を見張って、それから微笑んだ。
「うん、…そう、だよな」
 かつん、と鳴った靴音に、友人のささやきが重なった。

「ありがとな、京介」





fin.


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