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06. 吐息  [ Yafha + Scarrel + Aty ]



 すう、すうとやすらかな寝息が、せまい庵に落ちていた。
 床に置かれた酒瓶の黒い影が、草を編んだ敷物の上をななめに横切っている。
 その中身の半分ほどの行方をながめて、ため息まじりにスカーレルがつぶやいた。
「センセってば、しょうがないわねえ…」
「……まったくだぜ」
 その横で、さかずきを手にしたヤッファが苦笑いをした。
「お酒に、弱いほうだとは思ってなかったんだけど」
「まあなあ、鍋を囲んだときなんかも、ちっとは呑んでるみたいだったしよ」
 ふたりの視線の先、庵のすみでまるくなった娘が、ううん、とあいまいにうめく。
 ランプの明かりの下、ほんわりとほおを上気させた彼女の寝顔は、見ている者の顔が思わずほころぶほど、しあわせそうなものだった。
「疲れてたんじゃねえのか」
「そうねえ、今日は…というか最近、ずっと働きづめだったみたいだし」
 それにしたって、とスカーレルが続けた。
「やっぱり、この状況は問題よねえ」
「オレも、そう思うんだがよ」
 ヤッファが顔をしかめた。
 立ち上がると、うたた寝を通りこし、熟睡の域に入っている様子の娘の肩をかるくゆすってみる。
「おい、いいかげん起きろって、アティ。…アティ?」
 かすかに開いたくちびるから、ううだかむうだか、よくわからない声が漏れた。すこし眉をよせはしたものの、ほどなくまたやすらかな寝顔に戻る。
「まさかコイツは、船でもこういう調子なのか?」
「そんなことないわよ」
 指をあごについと当て、少し考えるようにしてから、スカーレルは続けた。
「酔っぱらうほどお酒を過ごすどころか、そもそも、ひとの部屋にそう長居することだってないし。…基本的に、節度も礼儀も、他人行儀に思えるくらいわきまえてるひとですもの」
「ああ、そうかよ…それじゃあ」
 娘を起こすのをあきらめ、ヤッファはあごをしゃくった。またどっかりと座りこむ。
「こいつはどういうことなんだ?」
 折り目正しいその彼女が、白い帽子を胸に抱き、無防備にころがっているこの現状。
 しばらくスカーレルは沈黙した。
「それは、まあ、アレよ」
 ため息をひとつ。
「それだけ信用されてるっていうか、そうね…気を許されてるってことじゃないの?」
 破格にくつろいだ、…くつろぎすぎた態度を見せてくれるくらいに。
「なるほど」
 しばらく、ふたりはだまって眠る娘を見つめた。
「ところでな、スカーレル」
「なによ?」
「信用されていると言やあ聞こえはいいが」
「ええ」
「たんに、コイツの中で、オレらが男として認識されてないだけなんじゃねえのか?」
 さらなる沈黙が落ちた。
「……まあ、そりゃあいいんだけどよ」
 あきらめの入った口調で、ヤッファがあぐらを組み直した。
 ふたりともに、彼女のことは大切な仲間として、好もしく思っている。
 その好意が、すこしつつけばどう転ぶかわからない微妙な色のものであることも、けれどもけしてそれ以上踏みだす気がないことも、お互いによくわかっている。
 だから、それはいい。いいのだが。
「ちっとばかり、それにしたって限度ってものがあるんじゃねえかと、オレは思うんだが」
「……そうねえ」
「ふだんから、気軽にぺたぺた腕だの胸だのさわられてよ」
 オレはぬいぐるみじゃねえ、とぼやいたヤッファに、スカーレルがため息をついた。
「ああ、それ、アタシもよぉ…」
 しろい片手をほおに当て、肩を落とす。きれいに化粧をしたその横顔に、ランプの明かりが、愁いを帯びた影を落として揺らめいた。
「ついこないだも、おねえさんみたいですーって、抱きつかれたりして」
 ヤッファは思わず半眼になった。
「おまえのは、そりゃ、自業自得だろうが」
 なによ、とスカーレルの視線に険がこもった。
「そういうなら旦那も普段から、もうちょっと野性味ってものを持ったらどうなのよ。のんべんだらりと寝てばっかりだから、ぬいぐるみ扱いされるんじゃない」

 突然、娘が仔猫のような声を上げた。
「……ふみゅう」
 起きたのかと焦って見れば、ころりとあお向けに転がっただけだった。
 拍子にすこしばかり、服のすそが乱れている。もともと着ている服が服であるから、非常にきわどい。
 しばしの間の後。手もとの布をつかんだヤッファが、無言でばさりと娘の上に放りなげた。
 話題の主はむにゃむにゃ言いながら、その布をまきつけ抱えこみ、また深い眠りに落ちていく。


「………おたがい、身からでたサビか」
 うめいたヤッファに、スカーレルが力無くうなだれた。
「そういうことかしら、ね」

 ためいき深いふたりの横で、娘がひとり、しあわせそうな吐息をついた。






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