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14. 祈り  [ Yafha * Aty ]



「なあ、姫さんよ。ちょいと聞くが、アティのやつを見なかったか?」
 鬼の御殿の庭先で、ヤッファは、居心地の悪さをこらえて問うた。
「いいや? 昨日の祝いの席より後には逢うておらぬが、どうかしたのかえ」
 座敷の奥から、少しばかり驚いた顔でミスミがかぶりをふった。
「いやな、どうも、朝から姿が見えねえんだ」
 怪訝そうに小首をかしげられて、ヤッファは我ながら歯切れ悪く、ぼそぼそと返した。
「騒ぐほどのことでもねえと思うんだが、マルルゥのやつが気にしててよ。探してこいってうるさく言いやがるんでな」
「ふうむ……おぬしはどうじゃ、キュウマ?」
 ついと伸ばした扇の先でうながされ、脇にひかえた忍がかぶりをふった。
「いえ、私も本日はお見かけしておりません。里にはいらしておられぬかと思います」
「ああ、そうかよ。邪魔したな」
 ぼりぼりと頭を掻きつつきびすを返した背に、笑みを含んでミスミの声が飛んだ。
「なんじゃ、そなた。祝言を挙げた翌朝に逃げられるとは……昨晩は余程の無体をしでかしたと見ゆる」
 とんだからかいに、ヤッファは口を曲げた。ふり返り、半眼でねめつける。ミスミは、ころころと上品に笑ってみせた。
「戯れ言じゃ、そうかっかするでないわ。それともなんじゃ? 本当に、思い当たるところでもあるのかえ」
「ねえよ、……多分な」
 ヤッファはため息を落として、早足で御殿を後にした。

「アティ? いいえ、知らないわ。……貴男、また何か無神経なことでも言ったんでしょう」
「これまでのデータから判断するに、充分考えられます」
「そうよ、大体、昔から貴男って人は……!」

「えっ、アティがいなくなった!?」
「ああ、ファリエルさま、そんな悲しそうな顔をなさらないでください! ……なんなら、私も空から探すのをお手伝いしますが……え、必要ない? そうですか、まあ、私にはファリエルさまのおそばに付いているという使命がありますからね」


 皆にひやかされ、もしくは心配されながら聞いて回るも、結局アティの居所を知る者には会えず、ヤッファはぐるりとまわった最後に、ユクレスの木の下でどっかりと腰を下ろした。
 ゆるやかな風が吹き過ぎて、ヤッファのたてがみをゆらしていく。
「まったく、どこ行っちまったってんだ、あいつはよ……」
 その風音に交え、ヤッファはつぶやいた。深々とため息をついた、その時。
「あれ、ヤッファさん?」
 ふいにかかった馴染みのある声に、ヤッファは顔を上げた。
「さっきマルルゥから聞いたんですけど……もしかして、まだ先生を探してるんですか?」
 大樹を回りこむ軽い足音と共に、バウナスの青年が顔を見せた。ヤッファはあぐらをかいたままで、苦笑いとともに彼を見あげた。
「パナシェか。ああ、どうにも見つからなくてな」
 青年は、その黒くつぶらなひとみを思慮深げにまたたかせた。
「先生なら、ぼく、見かけましたよ。半時ほど前ですけど」
「なに、そりゃ本当か。どのあたりだった?」
 引き寄せた足に力を入れ、ヤッファは立ちあがった。
「遠かったから、声はかけられなかったんですけど……村を出て、あっちのほうへ歩いていくところでした」
 白い毛に覆われた指先が、南中を過ぎた太陽の向かう方向を指した。
「何だと?」
 思わず、ヤッファは顔をしかめた。ユクレス村は、島の中でも西端に位置する集落だ。ここより更に西へ行っても、ごく小さな平原を過ぎればすぐに海へと突きあたる。その海辺は、草も生えない岩場からなる危険な断崖絶壁だった。
 わざわざ足を運ぶような場所ではない。数少ない記憶と言えば、かつて、もう一人の抜剣者と彼女が戦い、その剣と精神とを砕かれた、いまいましい戦いの舞台だったことくらいだ。お世辞にも、いい思い出とは言えない。
「……あんなところに何の用があるってんだ」
 口の端から漏れた険悪なうなりに、バウナスの青年がびくりと体をふるわせた。
 気づいて、ヤッファは力を抜いた。いつも通りの声をこころがけ、口を開く。
「ああ、悪ィ。教えてくれてありがとよ、パナシェ」
「あ、え、いえ。ヤッファさんなら、ぼくなんかが心配するまでもないと思うんですけど……気をつけてくださいね」
「おう」
 片手をあげて、ヤッファはのそりと歩きだした。



 強い海風が吹いていた。
 灰色の岩場のところどころに張りつくように這う低木以外に風をやわらげてくれるようなものもなく、体格のよいヤッファでさえよろめきそうなほどの強風のなか、段差のきつい岩場を登っていく。
 そうして、ようやくたどり着いた先に、ヤッファは探していた相手を見出した。
 崖下から吹き上げる風に、紅い髪が広がる。白い外套の裾が、つばさのようにひるがえった。
 海に突きでた断崖の突端に立つ姿に気づいて、ぎょっとする。
 娘の腕が、すっと何もない中空へと伸ばされた。岩を蹴って、ヤッファは走り出す。
「アティ!」
 呼んだ瞬間、娘の手から白い蝶の群れが飛び立った。風に巻き上げられ、海へと旅立っていく。
 娘の肩が、大きく跳ねた。
「え、ヤ、ヤッファさん……!?」
 あわてた声でふり返るその足もとが、小さな段差を踏んでよろめく。
 不安定なところを突風にあおられ、娘の体が断崖の外へと仰向きかけた。白い帽子が外れ、先の蝶を追って飛んでいく。
 放物線を描くように、中空へ伸ばされた腕へとヤッファは飛びついた。
「危ねえッ!」
 ぐん、と重力に従って引かれる体を、岩肌にすべるように座りこむことで留める。
 心臓が早鐘を打っている。ヤッファは力を込めて、細い体を抱きしめた。
「あ……ありがとうございます」
 腕の中から上がった声に、ヤッファは深いため息をついた。腕から力を抜く。
「アティ、お前な! ……何やってんだよ、んなところで」
「えっ? ええと、それは、その……ですねえ」
 ごまかそうというよりは、何と言うべきか言葉に迷う様子で、アティが口ごもった。
 その髪に、白いものがひっかかっているのに気づいて、ヤッファは指を伸ばした。爪でひっかけることのないよう気をつけながら、毛先を梳くようにしてつまみ取る。
 目の前にかざせば、薄く上等な紙の切れ端だった。白い花びらにも似たそれに、先ほど彼女の手から飛び立った蝶の正体を知る。
 よく見れば、何か文章が書かれていたようで、彼女の筆跡でつづられた文字の一部が見て取れた。
「なんだこりゃ」
 困惑と共に眺めれば、腕の中から答えが返った。
「…………手紙、です」
 見下ろせば、困ったような微笑みとともに見あげてくるアティと視線が合った。
「その……両親に、伝えたかったんです。本当は、ちゃんとお墓の前で、報告できたらよかったんですけど」
 つっかえつっかえ、続ける。
「貴方と……一緒に生きていく約束をしたんです、ってことを。どんなことがあっても、私を支えてくれる人がいて……だから、私はもう、一人じゃないんですって」
 まじまじと見つめるヤッファの視線に耐えかねたように、アティはとうとう顔を伏せてしまう。
「ええと、だからその、つまりですね……私たちの結婚の報告といいますか、そういうことでして!」
 やけっぱちのように声を上げる娘の、紅い髪の間からのぞいている耳が、真っ赤に染まっている。そのつむじに、ヤッファは手を載せた。
 ゆっくりと撫で、その頭を胸に引き寄せる。
「ヤ、ヤッファさん?」
 くぐもった声が、胸もとから上がる。
「そうかい。……ありがとよ、アティ」
 その目に映る、何もかもを守ろうとする娘だった。
 一方で、甘えることを知らず、守られることにはどうしようもなく臆病だった。
 想いを懸ける身からすれば腹立たしくなるほどに、己の身を削るような結論ばかりを選んでしまう娘が、自分のことを、彼女が守るばかりの相手ではなく、彼女の支えとなれる存在として受け入れてくれていたことが、嬉しかった。
「……ま、贅沢言わせてもらうなら、あとは、適当なサボりかたってのを覚えてくれるとなおいいんだがな。真面目な先生さんにゃ、こいつはさすがに高望みってもんか?」
 茶化すようにくつくつと笑えば、ぽかりと胸を叩かれた。
「もう、何ですか急に! どうせ私は口うるさいですし、融通だって利きませんけど! それでも……好きにしろって、隣にいてもいいんだって、貴方が言ったんじゃないですか」
 小さな声で付け加えられて、ヤッファはからかう笑いを収めた。
「ああ、そうだな、オレが言ったんだ。しゃあねえから、ずっと守ってやるってな。……そばにいなけりゃ、守ることもできやしねえ」

 決して放してはいけない時に手を放してしまったかつての友人が、脳裏をよぎった。
 想う者たちすべてを置いて、嘆く声すら届かぬところまで行ってしまった、彼女によく似た大馬鹿野郎。
 もう二度と、あんな後悔をするつもりはない。
 だから、告げたのは願いであり、誓いだった。

「……頼むから、これからもずっと、オレに約束を守らせてくれよ。アティ」







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