■  人形の夢と目覚め  ■




 ぱちん、と薪のはぜる音がした。
 目の前で干し肉と格闘しているマグナのほおに、野営の焚き火が赤々と揺らめく。
 そのさまは、つい数日前必死に逃げ出してきた村を包んだ、はげしい炎を思い出させた。その中で臆することなく、敵に突っこんでいった彼の後ろ姿も。

「変わったな、…君は」
 気づけば、言葉が滑り落ちていた。
「……昔は、もっと」
「あ!」
 続くはずの音は、脳天気な声にかき消された。
「そういえばさあ、ネス」
 突然、見つめていた横顔がふりかえる。
 思わず、ネスティは身を引いた。敷いた木の葉ががさりと乾いた音を立てる。
「ネス?」
 マグナの漆黒のひとみが、ほんの少しすがめられた。けげんそうな、そして少し不安そうな色だ。
 ほんとうに、君はわかりやすい。
 胸の中、ネスティは既知の事実をなぞった。
「ネス、…ネスってば?」
 それだけは昔も今も変わらず、だからこそ、彼に生じた変化を悟るに時間は必要なかった。
「どうしちゃったんだよ、ネス〜。ぼうっとしちゃってさ」
 ぺたぺたとほおを叩いてくるのを引き剥がして、
「…いや、」
 ネスティは言葉を押し出した。皮肉げに見えるよう、くちびるをゆがめる。
「君の食べっぷりに、少し呆れていただけだ。マグナ、いったい君には、追われているという自覚があるのか?」
「しょ、…しょうがないだろ。それは、その…」
 途中でマグナは口ごもった。その指先が、落ちつきなく落ち葉をにぎりしめる。
 しばしの沈黙をはさみ、もごもごとマグナはつぶやいた。
「だってさ、なにしてたって腹は空くんだし」
 あげくしかられた子供のような上目づかいになった彼に、本気でネスティがため息をつきかけた時。
「なかなか見どころあるなあ。おまえさん」
 横から、にゅっと鍛えた腕が伸びた。そのままその腕が、目をまんまるにしたマグナの肩をぐいと引き寄せる。
「わあ!?…フォルテ!?」
「おいおい、そんなおどろいてくれるなよ」
 ひょうひょうとうそぶいて、自己を冒険者と称した青年が、そのはしばみのひとみをにっと細めた。その表に映ったたき火の炎が、ゆらりと揺らめく。
「良いとこの坊ちゃんってなりにしちゃあ、この状況でメシが入るってのはたいしたもんだぜ?」
 もう片方の手には、肉の刺さった串がしっかりと握られている。
「なあ、そう思うだろ、ケイナ」
「そうねえ…」
 器用に片目をつぶった青年に、いくぶん呆れた声音が応じた。
「でも、あんたは一人でちょっと食べ過ぎじゃない?」
 たしなめる響きで、その相方だという女性は続ける。
「あとで動けなくなっても、知らないからね」
「なーに言ってるおまえだって、その肉でもう四切れ目…」
 無言の裏拳が飛んだ。
「おぐッ!?」
 …弓を扱うその利き腕には、意外に筋肉がついている。
 脇腹を押さえて沈んだ相方を後ろに、女性はにっこり笑んだ。
「まあこのバカはおいといて。ちゃんと食欲があるってのは、いいことよ」
「…そうそう」
 立ち直って、青年が続ける。
「いついかなる時でもメシが食える! これが冒険者の必要条件ってやつだぜ、マグナ」
 親しみを込めた調子で、ばんばんとマグナの薄い背中を叩く。目を白黒させて両者のやりとりを見ていた、マグナの顔がこころなし明るくなった。
「そ、…そうかな。フォルテにそう言ってもらえるなら…」
「マグナ」
 気がつけば、冷たく呼びつけていた。
「そこで喜んでどうする? …君がなるべきは冒険者でなく、一人前の召喚師だぞ」
 さいわい、声は震えはしなかった。
「…ううう」
 とたんにしゅんとした彼に呆れたふりで、眼鏡をついと引き上げ顔を覆った。
 いま自分は、どんな顔をしているのだろう。
「やあね、そう怒らなくたっていいじゃないの」
 笑いを含んだやわらかな声が、耳に届いた。
「ケイナさ〜ん…」
 すがるような声音に目をやればマグナは、感激にひとみをうるませていた。
「ほら、彼にも悪気があったわけじゃなし。…ね?」
 長い黒髪をさらりと揺らし、彼女は微笑んだ。
「…悪気云々ではなく、自覚の問題です」
 言ってはみたものの、言葉はどこにも届かなかった。
「うううありがとうケイナさん…」
 かなり本気でありがたがっているマグナの横では、小柄な少女がくすくすと笑っている。
「大丈夫ですよ、マグナさん…ッと、いたっ」
 あわてたそぶりで、マグナが少女を覗きこんだ。
「わ、大丈夫か?」
 火事の名残か、少女の白いほおにはやけどの跡がある。
「ええ、たいしたことないです。…ありがとう」
 少女は微笑んだ。引きつるらしいそれを押さえながら、けれど、あの夜以来ずっと思い詰めた目をしていた少女の、ひさしぶりに無理のない笑顔だった。
「あたし、きっとマグナさんなら、立派な召喚師になれると思います。村であたしを助けてくれたときも、マグナさんはすごく強かったですもの」
「ええと、…ありがとう、アメル」
 少女のまっすぐな微笑みに、マグナも照れたような笑みを返した。ほおが赤いのは、たぶん焚き火の照り返しばかりではなく。
「でもさ俺、まだ新米だし、たいして召喚術は使えないんだ。見よう見まねで訓練してた剣の方が得意かなってくらいでさ…」
「ハッ、なっさけねェ。それでも召喚師かよ?」
 火を囲む輪の外から、あざける声が飛んだ。マグナがふり返る先で、少年姿の悪魔がせせら笑う。マグナは、少しばかりむっとした顔をした。
「悪かったな。これでも召喚師だよ。…いちおう」
「はん、ろくに召喚術も使えねェくせに」
「うっ。…でも派閥の試験でちゃんと免状だってもらってるし…」
 そこまで言ってマグナは、いたずらを思いついた子供のようににやりと笑った。
「そりゃあもう、たかだか低級悪魔とはいえ護衛獣だって連れてるんだからな!」
「い、…言いやがったなニンゲン!!」
 甲高い声で、使い魔の少年はわめいた。
「オレさまはなァ、本来なら、テメエなんかに使われてやるような…」
「あはは、でもバルレル、おまえ実際に、俺みたいな駆け出しに喚びだされてちゃってるじゃないか」
 少し幼さを残すマグナの顔が、屈託なく笑う。
「な、な、…!」
 憤死せんばかりの護衛獣の頭にマグナはぽんと手を置いた。そのままぐしゃぐしゃと頓着ない動きで、炎めいた暗紅色の髪をかき混ぜる。
「マグナさん、ゴエイジュウって、なんですか?」
 少女が小首を傾げた。
「ん? あ、ほら召喚師は、術に集中してるあいだ無防備だし、たいてい普通のひとより鍛えてるわけでもないからさ」
 マグナは、護衛獣の髪をかき回す手を止めぬまま、少女に顔を向けた。
「自分の身を守るために連れてる、召喚獣のことだよ。俺の場合は、こいつ」
「納得いかねェぞオレはああっ」
「往生際悪いなあおまえも」
 くすり、と小さな笑い声が上がった。白い手で口元を押さえ、少女が肩をふるわせる。
 呆れたように、女性も苦笑した。
「うーん、見てて飽きないわねえ、ほんと」
「おまえさんたち、けっこう相性いいんじゃねえか?」
 あごに手を当てからかう口調で、青年が後を継ぐ。
「ほんとう、仲良しですよね」
 少女の、これは心底そう思っているらしい笑みに、困惑と照れを含んでマグナが応じた。
「ええっ、そんなふうに見えるかな?」
 やさしい、あたたかな雰囲気の中に、彼はいた。
「いやでもさあ、他の召喚師と護衛獣はもっと…」
「…マグナ!」
 マグナは、少し驚いた顔でふりかえった。
「うん? なんだよ、ネス」
 きょとんと自分を映しているひとみが、彼らに戻されるのを見る前に。
「…話し込むのも良いが、ちゃんと休むんだぞ。明日へばっても僕は知らないからな」
 言い捨てて、ネスティはごろりと横になった。
「見張りの時間になったら起こしてくれ」



 うすい毛布一枚にくるまったところで、地面の固さと冷たさはすぐそばにある。
 そして、いまだ途切れぬ談笑の声も。
 ネスティは目を閉じた。
 ほんとうに君はわかりやすい。
 こんな中でも、初めてできた友人に喜び、もう心を許し、その手で守ろうと夢中になっている。
 派閥の中庭で、ただ一人ぽつんと空を見ていた。なにもかも諦めた横顔が、ネスティを見たときだけあたたかく笑った。それはつい、この間のことだったのに。

 不意に目が痛んだ。

 変わってしまった君は、たぶん本当は変わってなどいなくて、あの派閥の檻の中、狭すぎた世界で見えなかった、君のこれが本質なのだろう。

 小さな檻の中、もっと小さな君を腕に閉じこめていた。互いだけが僕らにとっての世界だった。
 けれど冷たい派閥の隅で、僕をつかんでいた細い腕はとうに離れていて、ただ僕が気づかなかっただけで。
 まだ、呼べばふりかえってくれる。
 けれど明日は、……その次は。
 束縛と庇護のないほんとうの世界、その入り口で立ちすくみ僕は動けずに、拓かれた未来に目を輝かせ、駆け出そうとする君の背中を、眺めている。

 いつか声の届かなくなる日に、怯えている。







fin.


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