ぱちん、と薪のはぜる音がした。 目の前で干し肉と格闘しているマグナのほおに、野営の焚き火が赤々と揺らめく。 そのさまは、つい数日前必死に逃げ出してきた村を包んだ、はげしい炎を思い出させた。その中で臆することなく、敵に突っこんでいった彼の後ろ姿も。 「変わったな、…君は」 気づけば、言葉が滑り落ちていた。 「……昔は、もっと」 「あ!」 続くはずの音は、脳天気な声にかき消された。 「そういえばさあ、ネス」 突然、見つめていた横顔がふりかえる。 思わず、ネスティは身を引いた。敷いた木の葉ががさりと乾いた音を立てる。 「ネス?」 マグナの漆黒のひとみが、ほんの少しすがめられた。けげんそうな、そして少し不安そうな色だ。 ほんとうに、君はわかりやすい。 胸の中、ネスティは既知の事実をなぞった。 「ネス、…ネスってば?」 それだけは昔も今も変わらず、だからこそ、彼に生じた変化を悟るに時間は必要なかった。 「どうしちゃったんだよ、ネス〜。ぼうっとしちゃってさ」 ぺたぺたとほおを叩いてくるのを引き剥がして、 「…いや、」 ネスティは言葉を押し出した。皮肉げに見えるよう、くちびるをゆがめる。 「君の食べっぷりに、少し呆れていただけだ。マグナ、いったい君には、追われているという自覚があるのか?」 「しょ、…しょうがないだろ。それは、その…」 途中でマグナは口ごもった。その指先が、落ちつきなく落ち葉をにぎりしめる。 しばしの沈黙をはさみ、もごもごとマグナはつぶやいた。 「だってさ、なにしてたって腹は空くんだし」 あげくしかられた子供のような上目づかいになった彼に、本気でネスティがため息をつきかけた時。 「なかなか見どころあるなあ。おまえさん」 横から、にゅっと鍛えた腕が伸びた。そのままその腕が、目をまんまるにしたマグナの肩をぐいと引き寄せる。 「わあ!?…フォルテ!?」 「おいおい、そんなおどろいてくれるなよ」 ひょうひょうとうそぶいて、自己を冒険者と称した青年が、そのはしばみのひとみをにっと細めた。その表に映ったたき火の炎が、ゆらりと揺らめく。 「良いとこの坊ちゃんってなりにしちゃあ、この状況でメシが入るってのはたいしたもんだぜ?」 もう片方の手には、肉の刺さった串がしっかりと握られている。 「なあ、そう思うだろ、ケイナ」 「そうねえ…」 器用に片目をつぶった青年に、いくぶん呆れた声音が応じた。 「でも、あんたは一人でちょっと食べ過ぎじゃない?」 たしなめる響きで、その相方だという女性は続ける。 「あとで動けなくなっても、知らないからね」 「なーに言ってるおまえだって、その肉でもう四切れ目…」 無言の裏拳が飛んだ。 「おぐッ!?」 …弓を扱うその利き腕には、意外に筋肉がついている。 脇腹を押さえて沈んだ相方を後ろに、女性はにっこり笑んだ。 「まあこのバカはおいといて。ちゃんと食欲があるってのは、いいことよ」 「…そうそう」 立ち直って、青年が続ける。 「いついかなる時でもメシが食える! これが冒険者の必要条件ってやつだぜ、マグナ」 親しみを込めた調子で、ばんばんとマグナの薄い背中を叩く。目を白黒させて両者のやりとりを見ていた、マグナの顔がこころなし明るくなった。 「そ、…そうかな。フォルテにそう言ってもらえるなら…」 「マグナ」 気がつけば、冷たく呼びつけていた。 「そこで喜んでどうする? …君がなるべきは冒険者でなく、一人前の召喚師だぞ」 さいわい、声は震えはしなかった。 「…ううう」 とたんにしゅんとした彼に呆れたふりで、眼鏡をついと引き上げ顔を覆った。 いま自分は、どんな顔をしているのだろう。 「やあね、そう怒らなくたっていいじゃないの」 笑いを含んだやわらかな声が、耳に届いた。 「ケイナさ〜ん…」 すがるような声音に目をやればマグナは、感激にひとみをうるませていた。 「ほら、彼にも悪気があったわけじゃなし。…ね?」 長い黒髪をさらりと揺らし、彼女は微笑んだ。 「…悪気云々ではなく、自覚の問題です」 言ってはみたものの、言葉はどこにも届かなかった。 「うううありがとうケイナさん…」 かなり本気でありがたがっているマグナの横では、小柄な少女がくすくすと笑っている。 「大丈夫ですよ、マグナさん…ッと、いたっ」 あわてたそぶりで、マグナが少女を覗きこんだ。 「わ、大丈夫か?」 火事の名残か、少女の白いほおにはやけどの跡がある。 「ええ、たいしたことないです。…ありがとう」 少女は微笑んだ。引きつるらしいそれを押さえながら、けれど、あの夜以来ずっと思い詰めた目をしていた少女の、ひさしぶりに無理のない笑顔だった。 「あたし、きっとマグナさんなら、立派な召喚師になれると思います。村であたしを助けてくれたときも、マグナさんはすごく強かったですもの」 「ええと、…ありがとう、アメル」 少女のまっすぐな微笑みに、マグナも照れたような笑みを返した。ほおが赤いのは、たぶん焚き火の照り返しばかりではなく。 「でもさ俺、まだ新米だし、たいして召喚術は使えないんだ。見よう見まねで訓練してた剣の方が得意かなってくらいでさ…」 「ハッ、なっさけねェ。それでも召喚師かよ?」 火を囲む輪の外から、あざける声が飛んだ。マグナがふり返る先で、少年姿の悪魔がせせら笑う。マグナは、少しばかりむっとした顔をした。 「悪かったな。これでも召喚師だよ。…いちおう」 「はん、ろくに召喚術も使えねェくせに」 「うっ。…でも派閥の試験でちゃんと免状だってもらってるし…」 そこまで言ってマグナは、いたずらを思いついた子供のようににやりと笑った。 「そりゃあもう、たかだか低級悪魔とはいえ護衛獣だって連れてるんだからな!」 「い、…言いやがったなニンゲン!!」 甲高い声で、使い魔の少年はわめいた。 「オレさまはなァ、本来なら、テメエなんかに使われてやるような…」 「あはは、でもバルレル、おまえ実際に、俺みたいな駆け出しに喚びだされてちゃってるじゃないか」 少し幼さを残すマグナの顔が、屈託なく笑う。 「な、な、…!」 憤死せんばかりの護衛獣の頭にマグナはぽんと手を置いた。そのままぐしゃぐしゃと頓着ない動きで、炎めいた暗紅色の髪をかき混ぜる。 「マグナさん、ゴエイジュウって、なんですか?」 少女が小首を傾げた。 「ん? あ、ほら召喚師は、術に集中してるあいだ無防備だし、たいてい普通のひとより鍛えてるわけでもないからさ」 マグナは、護衛獣の髪をかき回す手を止めぬまま、少女に顔を向けた。 「自分の身を守るために連れてる、召喚獣のことだよ。俺の場合は、こいつ」 「納得いかねェぞオレはああっ」 「往生際悪いなあおまえも」 くすり、と小さな笑い声が上がった。白い手で口元を押さえ、少女が肩をふるわせる。 呆れたように、女性も苦笑した。 「うーん、見てて飽きないわねえ、ほんと」 「おまえさんたち、けっこう相性いいんじゃねえか?」 あごに手を当てからかう口調で、青年が後を継ぐ。 「ほんとう、仲良しですよね」 少女の、これは心底そう思っているらしい笑みに、困惑と照れを含んでマグナが応じた。 「ええっ、そんなふうに見えるかな?」 やさしい、あたたかな雰囲気の中に、彼はいた。 「いやでもさあ、他の召喚師と護衛獣はもっと…」 「…マグナ!」 マグナは、少し驚いた顔でふりかえった。 「うん? なんだよ、ネス」 きょとんと自分を映しているひとみが、彼らに戻されるのを見る前に。 「…話し込むのも良いが、ちゃんと休むんだぞ。明日へばっても僕は知らないからな」 言い捨てて、ネスティはごろりと横になった。 「見張りの時間になったら起こしてくれ」 うすい毛布一枚にくるまったところで、地面の固さと冷たさはすぐそばにある。 そして、いまだ途切れぬ談笑の声も。 ネスティは目を閉じた。 ほんとうに君はわかりやすい。 こんな中でも、初めてできた友人に喜び、もう心を許し、その手で守ろうと夢中になっている。 派閥の中庭で、ただ一人ぽつんと空を見ていた。なにもかも諦めた横顔が、ネスティを見たときだけあたたかく笑った。それはつい、この間のことだったのに。 不意に目が痛んだ。 変わってしまった君は、たぶん本当は変わってなどいなくて、あの派閥の檻の中、狭すぎた世界で見えなかった、君のこれが本質なのだろう。 小さな檻の中、もっと小さな君を腕に閉じこめていた。互いだけが僕らにとっての世界だった。 けれど冷たい派閥の隅で、僕をつかんでいた細い腕はとうに離れていて、ただ僕が気づかなかっただけで。 まだ、呼べばふりかえってくれる。 けれど明日は、……その次は。 束縛と庇護のないほんとうの世界、その入り口で立ちすくみ僕は動けずに、拓かれた未来に目を輝かせ、駆け出そうとする君の背中を、眺めている。 いつか声の届かなくなる日に、怯えている。 fin. |