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01. 鬼さんどちら?



 絶妙な炊き具合の白飯の甘さを噛みしめ、最後一口の味噌汁をずずっとすする。
「……はー、食べた食べた!」
 すっかりふくれた腹をかかえて、アカネは満足の息をついた。面影亭の素朴な椅子の背に思い切り体重を預ける。
「ご馳走様でした。……あ、御主人! 今日の昼餉もまた絶品でしたよ」
 隣で姿勢よく手を合わせた同郷の男が、ちょうど通りがかった店長の袖をはっしとつかむ。
「あ、うん? ありがと、シンゲン」
「白米の炊き具合もさることながら、今日の味噌汁の風味のすばらしさ、鬼妖界の住人であれば涙なくして飲み干せません……ああ、自分にとっては、まさに御主人は天からの御使いです!」
 大仰な物言いで言いつのったシンゲンに、フェアが呆れまじりの苦笑を返す。
「ミントお姉ちゃんが漬け物の女神なら、わたしは味噌汁の妖精とか? もう、勘弁してよぉ」
「いやいや、自分は本気も本気ですよ。御主人なしの人生なんてもう考えられません」
「わたしのつくるご飯なしの人生、でしょ。でも、そこまで言ってもらえるなんて、料理人冥利につきるってやつだよね」
 フェアの苦笑いが照れをにじませた笑みに変わったところで、シンゲンが両手を両膝に載せ、改まった声音を出した。
「そういうわけで、ですね……御主人、折り入ってひとつお願いが」
 今日は何を言いだすつもりだろうこの男は。だらけた姿勢のまま、アカネは視線だけを投げる。
「ん、なあに?」
「自分はですね、これからずっと毎朝、御主人の作る味噌汁を飲ませていただきたいんです。いけませんか?」
「へ? そんなの、今までと同じことじゃない。なによ改まった顔して」
 フェアがあっさりと了承しかけたところで、呆れたような声が割って入った。
「店主殿……妙齢の娘御が、かるがるしくそのようなことを約するものではないぞ」
 きょとんと見あげるフェアの頭に手を置いて、ため息混じりに、自分たちと同郷の龍人は続けた。
「シンゲン、そなたもだ。そのような事柄の諾否を判ずるどころか、そなたの問いの含意もわからぬような子女を相手に何を血迷ったことを」
「おやおや、ご自分は御主人を年頃の娘さんといいながら、こちらには童扱いせよとは、異な事をおっしゃる」
 シンゲンがひょうひょうとうそぶけば、めずらしいことにセイロンがことばにつまる様子を見せた。
「それはそうと……すまぬが、店主殿。御子殿がそなたをお呼びでな。少々時間をもらえるか」
「リュームが? あ、それで呼びに来てくれたんだ。ありがと、セイロン」
 ぱっと花開く音が聞こえそうな勢いで、フェアの掛け値なしの笑顔がセイロンへと向けられた。
「うむ。案内しよう」
 ゆるりと身をひるがえしたセイロンに、フェアは盆を片手について行く。本人に自覚があるかは怪しいところだが、色恋沙汰に興味のうすいアカネの目から見ても、楽しそうな足取りだ。

 片眉を上げてその背を見送っていた男が、手にした三味線をベベンとひとつつま弾いた。
「さてはて……ほんとうに危ないのは自分かあの御仁か。御主人、そのあたりわかってるんですかねえ」
「ははあ、虎の牙を避けて、今度は龍のあぎとに飛びこんだって?」
 合いの手を入れたアカネに、シンゲンはふり返り、にっこりと笑んだ。
「なかなかうまいことおっしゃいますねえ、アカネさん」
「ってか、まず店長本人が、セイロンになついちゃってるように見えるんだけどさ」
「はっはっは、アカネさん、自分としてはですね」
 にこやかな笑みが、わずかに物騒なものに塗りかわる。
「当て馬になっちまうくらいでしたら、いっそ間男になったっていいかと思ってるんですよ?」
 声ばかりはほがらかに告げられた台詞の内容に、アカネは思わず顔を引きつらせた。
「……いいけど、くれぐれも、あたしに降りかかってこないような遠くでやってちょーだいよね」

 ついでにできれば、美味しいご飯を食べさせてくれる店長にも迷惑のかかんない範囲で。
 まるで望み薄な願いを心の中で付け加えたのが、アカネのなけなしの良心のなせる精一杯だった。







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