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10. 狭間に立つ者



「………なにをしているのだね、店主殿?」

 あまりの光景に、ことばが喉から出てくるまでに時間を要した。
 自分は声をかけ、許しを得た上で娘の部屋の扉を開けたはずだ。だのになぜこんな状態の彼女に迎えられているのだろう。
 呆然と、娘の後ろ姿を見下ろしつつ思う。
「んん?」
 緊張感のない声は、足元から上がった。
 床に両の膝をついた娘の、その上半身が、寝台と床のあいだにある隙間にもぐりこんでいる。
「髪留めがね、ベッドの下に落ちちゃって」
 身支度の途中だったのだろう。いつものエプロンとズボンは寝台の上に広げられていて、黒いワンピースの裾から伸びる素足が、不意にちいさく跳ねた。
「……あっ!」
 どうやら目当ての品を見つけたらしい。床に這いずるのを嫌ってか、背伸びをする猫のように浮いたままの腰が、いっそう高く突き出された。
「んんっ、もう、もうちょっと奥……!」
 うわずった娘の声に、かくんと落ちそうになっていたあごをセイロンは無理矢理引き上げた。
「いや、その、なんだ……店主殿」
「ごめんね、取り込み中で。あと少しだから待っててくれる?」
 寝台の下から聞こえるくぐもった謝罪に、まったくもって勘弁してくれと心の底から思いつつ、セイロンは扇子を広げた。
 己の目の前にさしかけつつ、つぶやく。
「とりあえず、………見えておるのだが」
 扇子が狭めた視界の隅で、もどかしそうにじたばたしていた娘のかかとが動きを止めた。
「え? なあに?」
 伝わっていないらしい相手に、嘆息を一つ。
「下穿きが見えていると言っておるのだよ、店主殿」
「ああなんだそういう………えっ?」
 娘のことばが途切れた。かかとに繋がる白い脛が、みるみる桜の色に染まっていく。
「ちょ、なっ、そ、…………ッ」
 しばし、絶句。
「……………いやあぁああああああッ!?」

「なっ、なんだ、どうしたフェア!」
「フェアさん、だいじょうぶですか!?」
 仰天して飛びこんできたグラッドたちの足音に、さらに悲鳴は絶叫へと変わった。
「み、み、み、みんな出てってー!!!」
 ふくれ上がる幻獣界の魔力の気配に、横でかたまっている青年と少年の襟首をとっさに引っつかむ。
 部屋から飛び出た一瞬の後。はげしい破砕音とともに吹っ飛んだ扉にぞっとしつつ、セイロンは呟いた。
「この歳で、しかも意図せずして魔力を衝撃波へ変じてみせるとは……まずは、先が楽しみというべきか。……しかし」
 魔力の余波をもろに受け、目を回している二人を、とりあえず床に落としてため息をつく。
 そこまで恥じらうくらいなら、あのような振舞いに至るその前に気づいてもよいのではなかろうか。
 あまりにあまりな姿態が脳裏によぎって、知らず首筋に血が上った。
「………こども扱いしてやってよいのか悪いのか。わかりかねるぞ、そなた」






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