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15. 忘れじの面影



 気づけば、なつかしい風景の中にいた。
 もう二度と、見るはずのない世界だ。ぼんやりと、日だまりの中に立ちつくす。
「……セイロン!」
 はずんだ声に振りかえれば、記憶の中より幾分大人びたおもだちの娘が立っていた。
「わたしのこと、まだおぼえてくれている?」
 動けずにいる自分に、歩み寄ってくる。すこし乾いて荒れた指が伸びて、いとおしむように、そっと自分のほおをなぞった。
「……フェア」
 呼べば、娘のおもてにやわらかな笑みが浮かんだ。
「ねえ、はなれてしまった今だって、あなたが一番好きだよ」
 ふれる指先のささくれが、かすかな痛みをもたらす。しびれるように熱が広がった。
「わたしはここにいる。あなたの居場所を、ずっとここで守ってるから」
 水の色を宿したひとみをほそめて、娘はわらう。
「いつかまた、笑って、この場所で会えるように」


 暗く沈む睡房の奥で、男はゆっくりと身を起こした。
 なんという身勝手で、愚かしく、都合の良い夢だろう。
 白く秀でた面立ちを、片手できつく押さえこむ。
 朱の格子をすかして落ちる月のひかりが、しずかに、男のほおを濡らしていた。






 ここは、どこだろう。見たこともない場所だった。
 赤く暮れかけた空をふり仰ぐ。不思議な心地で、林の梢を横切っていく黒い鳥を見送った。
「……フェア」
 ふいに耳に届いた、もう二度と聞けないはずの声に、息を飲む。
 おそるおそる振りかえれば、夕闇の中に、見たこともないほど心許なげな眸をして、男が立っていた。
「そなたは、いま、幸せでいるのだろうか」
 低いその声を聞いて、それだけで胸がつまった。まばたきもできず、少し離れて立つ彼を見つめる。
「セイロン、わたし……」
 ようやく口を開くと、苦しげにその白いおもてがゆがんだ。
 どうしたの、と駆けよってそのほおを撫でてあげたかったけれど、体が動かない。
「そうであってほしい。その思いに偽りはない。だが、そなたがうなずいたなら……」
 わずかに男の声がふるえた。
「すでにそなたと共におらぬ身で、それでも、告げることが許されようか。……我は」
 貴石のような紅い虹彩が、切なげにほそめられる。
「もうずっと、そなたのことが好きだった」


 やわらかな朝のひかりの中、娘は、ゆっくりと目を開いた。
 ベッドに横たわったまま、二度、三度とまばたきを繰りかえす。
 そのたびに、ぽろりと涙のしずくが、まるいほおをすべり落ちていく。
 馬鹿みたいに、しあわせな夢だった。







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