※中盤部分からの抜粋です



「えー、ええっと……オハヨウゴザイマス」
 一晩明けてもまだ昨日の天気を引きずって雪のちらつく寒空の下、やたらと胴体が長い上に黒光りする車の前で俺はそろそろと片手を挙げた。
 隙なく黒ずくめの制服に身を包んだヤマトは、元より数センチ高い目線からあごを上げて俺を見下ろした。小さく鼻を鳴らすと、長身をかがめて無言で車へと乗りこむ。
「どうした。早く乗れ、志島」
 車内からうながされ、あわててその反対のドアから飛び乗った。沈みこむようなクッションにバランスを崩しかける俺をよそに、運転手さんが車を発進させる。
 走りだしてもエンジン音が静かすぎて車内はほとんど無音状態だった。声を出すのはおろか咳をするのさえはばかられる。それでも言っておかねばなるまいと、俺はなんとか口を開いた。
「ええっと……ヤマト、今日はアイツ、その〜……」
「わかっている」
 ヤマトのそっけない声が、俺のどもりながらの口上をさえぎった。取りだしたモバイルパソコンを起動させながら淡々と続ける。
「頼まれたのだろう。本人からも連絡があった」
 そうだったのか。そりゃそうだよな、アイツがそこまで人任せにするほど無責任なわけもない。途端に緊張がやわらいで、俺は大きく息を吐いた。
 隣からはキーボードを叩く音が響きはじめる。俺はケータイを開くとヤマトのつけているスキルをちらりと確認して、それから自分のほうの調整にかかった。
 戦闘慣れしていて、強さにかけては誰に引けを取ることもないヤマトに護衛なんて正直要らないんじゃないか。以前、ヤマトに付き添うことも多いアイツへ冗談交じりにそう言ったときに真顔で返された言葉を、俺はいまだによく覚えている。


『もしつける必要がないとしても、選ぶ必要はあるだろ』
 手にしていたケータイに視線を落として、アイツは続けた。
『誰にでもできるとは思わないけど……たとえば、俺がすぐそばから不意を突けばヤマトのことを殺せるよ。それをわかってて、それでも力のある人間を隣に置こうっていうのは、あいつなりの信頼じゃないのかな』


 昔から、誰かに頼られれば断らないヤツだった。だからもしかすると、世界の選択を迫られたあの時、他の誰よりも強烈に、重たすぎるくらいの期待と信頼を示してその手をつかんだヤマトのことを、アイツはふり払えなかったんだろうかと思ったこともあった。
 でも、そういうわけじゃなかったんだと、今ではそう思う。
 ヤマトはアイツのことを求めはしたけど、アイツがヤマトに応えなければ――隣に誰もいなければいないで、ヤマトは一人でもやっていける人間だ。それがわかっていてヤマトの手をつかみ返したんだから、それはまぎれもなくアイツ自身がそうしたいって望んだことなんだろう。
 ――そこまで腹を据えてたはずだったのがヤマトを避けるって、よっぽどだよなあ。
 ケータイの操作を続けながら、モバイルの画面に目を落としているヤマトの横顔にちらっと視線を走らせる。
 切れ長の目に高く筋の通った鼻、出会った頃よりも鋭くなったほおの輪郭。見れば見るほど、うらやむ気も失せるくらいの美形っぷりだ。
 目もとに落ちかかる髪を白手袋をした手がかきあげる。コイツがやれば絵になる仕草に世の中の格差を噛みしめて、俺はため息を飲みこんだ。
 この見た目だけでもさぞやモテまくるだろうに、その手の話題には無関心を通り越して不快を覚えているようなフシさえあるあたり、まったくもってもったいない。
 ずれてきた思考を自覚しながら窓の外へと視線を投げる。ちょうどその時、スモークのきいたウィンドウガラスの向こうにさっと派手派手しい看板が流れた。
「あっ……」
 隣から聞こえていたタイピングの音が止まる。視線を向けられていることに気づいて、俺はあわてて言葉を続けた。
「やっ、今、その、タコ焼き屋があったから!」
 ぴくりとヤマトの眉が上がった。墓穴を掘ったかと青くなる。
 アイツとくっちゃべっていた時に、あのポラリス騒ぎのさなか、ヤマトが自分についてきたメンバーにタコ焼きを振る舞ったという驚きの事実を聞いたのだ。その話をしながらアイツは心底楽しげに笑っていた。ヤマトとタコ焼きなんてギャップのありすぎる組み合わせと、めったにないほどのテンションだったアイツ。その二重の意味でびっくりして、以来タコ焼きと言えばヤマト、という設定が俺のなかには根深く居座っている。
 しかし、触れてはいけない話題だったんだろうか。戦々恐々としながらも後には引けず、俺は口を開いた。
「その……アイツが、ヤマトがタコ焼きをすげえ気に入ってるって話しててさ、今度は明石焼きを食わせたいとか、そんなこと言ってたんだけど、えーっと……」
 続ける言葉を必死に探す俺に、ヤマトがふうっとため息を吐いた。
「彼は、お前に私の話をすることがあるのか」
「えっ、あ、うん、まあ……けっこう?」
「……そうか」
 何とも言えない間があってからヤマトはうなずいた。
 何だこの反応。もしかして、俺たちの間でどういうふうに話題にされてるのか気になってるんだろうか。空気を読もうと、オーバーヒート気味の頭をフル回転させる。
「えっと、ていうかアイツ、普段からけっこうお前のこと気にしてるっぽいけど。さっきのもタコ焼きの屋台見てなんかうれしそうにしてたから聞いてみたら出た話だし、だから、その……」
 考えているうちに、思ったままの言葉がぽろりとこぼれ落ちていた。
「お前、アイツとケンカでもしたの?」
 何言ってんだ俺ー! いくらなんでもストレートすぎるだろ!