- 1 - 気のせいかと思う間もなく、繰りかえされる。 コツ、――――コツン。 そろそろ日付も変わろうかという、深夜。しかも窓。 こんな時間、こんな場所から訪れるのは盗賊か、それとも空飛ぶ常識知らず。……我ながら無理を感じる後者の仮定に、しかしロクスはつい最近、ドンぴしゃあてはまる存在と知りあってしまっていた。 聞こえた羽音で、どちらであるかが決定する。 「……おい」 ゆっくりと、ロクスは寝台から身体を起こした。 「いいかげんにしろよ…寝たばかりなんだぞ」 ため息まじりのうめきに重なるように、かたんと窓が開いた。 「こんばんは、ロクス、……あ」 やわらかな声が、暗闇にひびく。 「すみません。今日は、もう休んでいたのですね」 ばさりと重たげな羽音が一つ。 背の翼をつぼめた天使が、身をかがめ、夜空を切りとる窓から室内へとすべり込んだ。とたん、天使自身のまとう光で、室内がぼんやりと明るくなる。 「ああ、…見てのとおりだよ、天使さま」 それを半眼で眺めながら、ロクスはぶすりと吐き捨てた。 「わざわざ押しかけてくださったところ申しわけないんだが、僕はねむい」 上掛けの中であぐらをかいて、乱れた髪を払いのける。 「ちゃっちゃと用件を言ってくれ」 「あ、…その、ですね」 いくぶん気後れしたふうに、天使はゆっくりまばたきをした。 「実は、カディスのリダの村で…」 「ああ、…事件か」 かすかに揺れる翼を眺めつつ、ロクスはあくびを一つかみ殺した。 「わかった、僕が行こう」 「…いいのですか?」 小鳥じみた仕草で首をかしげて尋ねられ、ロクスは不承不承うなずいてみせた。この慈悲深き天使さまと、受けるの受けないのと問答するのもおっくうだ。それだけのことだ。 天使は目に見えて表情を明るくした。 …その顔一つのために、引き受けたなんて。認めてしまうには、まだ多少どころでない抵抗が、ある。 「今回の事件ですが…」 続けようとする天使を、ロクスは手を挙げさえぎった。 「あのなあ。……説明は明日にしてくれ、頼むから…」 「ああ、そうですね、すみませんでした」 ゆっくりと身を折る動作に従って、薄茶の髪が、白い燐光をまとわりつかせて揺れる。 「引き受けてくださって、ほんとうにありがとうございます、ロクス」 「まったく…自分がこんなイイ奴だったとは、知らなかったよ」 ロクスは再びあくびをかみ殺し、浮かんだ生理的な涙を指先でぬぐった。 「こんな夜更けに押しかける非常識なやつの頼みを、素直に引き受けてやるんだからな」 こめた棘にうろたえるかと思いきや、深い碧に沈んだ天使の双眸は、やわらかく細められた。 「ええ、そうですね」 ふわりとほほえむ。 「あなたはとても人の好い方だと、私も思います」 頭の中でとぐろを巻いていた眠気が、一気に飛び去った。ロクスは、顔が引きつるのを自覚する。 「気持ち悪いこと言うやつだな。…なにか僕に含むところでもあるのか?」 天使は、不思議そうに一つまばたきをした。まっすぐなまなざしが見つめてくる。 「私は、思ったことしか言いませんよ。ロクス、あなたはとても…」 「ああ、もういい」 ロクスは、うんざりと天使をさえぎった。 いったいぜんたいこの天使さまは、自分にどんな幻想を抱いているのだろう。 勝手に善人に仕立て上げられているかと思えば、少しばかり腹立たしくもある。自分のことを、ろくすっぽ知りもしないくせに。 天使は、少しばかり困った顔をした。どうすべきか迷うように、たたずんでいる。 ロクスは、苛だちを隠さず問うた。 「まだなにかあるのか?」 天使はゆるゆると首を振った。 「いいえ、なにも」 「なら、帰ったらどうだ」 天使は逡巡するように、ひとみをまたたかせた。 「そんなに僕を休ませたくないわけだな、君は?」 重ねて言ってやると、天使は身をすくめた。 「あ、いえ、その…すみません。それでは、ロクス…」 慌てたように、きびすを返す。窓に両手をかけ、ぐっと半身を乗り出し… ゴツン。 鈍い音。同時に、ぱっと白い光が散った。 驚き、ロクスは寝台の上で組んでいた足を崩した。 「あ…」 天使の、狼狽した声が上がった。 一瞬光と見えたのは、白い羽根。ほとほとと床に落ちていくそれが収まって、そこには大きく広げた翼を、窓枠に打ちつけた天使が残された。 しばらく、沈黙が落ちる。 ぽつりとロクスは呟いた。 「……ウケを狙ってるのか? 君は?」 「すみません、すぐ出ていきますから!」 天使が、慌てた口調で身をひねった。 片翼だけが羽ばたき、またも羽根が散った。動かないもう片方はどうやら、どこかにひっかかっているらしく、翼の先だけが変に震えている。 「え、……あっ」 あたふたしている様子に、ロクスはため息をついた。勢いをつけ、寝台から降りる。ぎぃと安普請の床がきしんだ。 「翼で僕をぶつ気がないんなら、ちょっとじっとしててくれないか」 動きを止めた大きな翼を、少し背伸びしてのぞき込む。白い羽根の中から、にゅっと赤錆びた杭が一本突き出ていた。日除けか何かをつるすものらしいそれに、関節の部分が引っかかっている。 ロクスは、もう一度ため息を吐いた。手を伸ばす。 風切り羽根に手をつっこむと、わさわさと、指に思ったより硬い感触が触れた。 「…ほら。とれたぞ」 天使はばさりと翼をたたみ、ロクスのほうへ向き直った。 「あの…ありがとうございます」 深々と頭を下げられ、ロクスは肩をすくめた。 「もともと窓は、出入りするためのものじゃないんだ。来るときはともかく、帰りは転移の魔法を使ったらどうなんだ?」 少し困った顔で、天使は首を振った。 「それは、できないのです」 「なんでまた…戒律でもあるってのか?」 自分で言ってみて、そのばかばかしさに頭が痛くなる。 天の御遣いたるもの窓から出入りせよって? そんなわけがあるか。 「いいえ、戒律ではありません」 天使は、まじめな顔で応えた。 「約束をしたからです。私の勇者と」 |