- 1 - 昼食にはやや遅い時間に訪れたローファルを、顔見知りの給仕が出迎えた。ジュノに数ある冒険者の溜まり場のひとつ、吟遊詩人の酒場は、この時間でも狩り場に出損ねた者たちでにぎわっている。 カウンターに腰を下ろし、ローファルは背の弓と矢筒を足元に立てかけた。 「ああ、しばらくウガレピ寺院にこもってたんでな。とりあえず、なんか腹にたまるものを頼む」 「運がいいね、ちょうどランチがひとつ残って……」 「はあ? もう一回言ってみてくれる?」 酒場のざわめきを押しのけて、知った声が耳を打った。 「だから、その……」 それに応じる声音は困惑を含んで、思わずそちらへ意識をやったローファルがやっと聞き取れるほどに弱々しい。 「そんな依頼を受ける前に、どうして相談しなかったのよ!」 「だって、急ぎの話だったし。……わたし一人でも大丈夫だと思ったの」 「これっぽっちも大丈夫じゃないわよ。いつだったか私がいない時に受けた仕事だって、ヘマやってリンクシェルの誰だかに迷惑かけたんでしょう。もう忘れたの?」 「それは……」 ともに、普段はリンクシェルを通して聞いている声。言葉に窮した様子にふり返れば酒場の片隅に知り合い二人の姿があった。 「よう、久しぶりだな、リピピ。それにタチナナ」 とりあえず注文を済ませ、ローファルは席を立った。驚いたように、タルタル族の娘たちがこちらを見上げる。 「お久しぶりです、ファルさん」 少しばつが悪そうな顔で、リピピが黒魔道士特有のツバの広がったとんがり帽子を取り、頭を下げた。肩の少し下で切りそろえられた黒髪がさらりと落ちる。彼女が立ち尽くす横のテーブルで、自分と同じく遅い昼食を取っていたらしいタチナナが軽く会釈した。 「こんにちは、ローファル。ちょうどいいところで会えたわ」 言いながら、タチナナは脇に置いてあった小剣を佩き、こちらは羽付きの赤い帽子を手に取った。頭の上のほうで二つにまとめた短い栗色の髪を、その帽子のなかに押し込むようにしてかぶる。ひたいを出すように左右へ流した前髪の下には、利発そうに切れ上がったまなじり。その下に収まった青灰色のひとみが、まっすぐにローファルを見あげた。 「ほんとうに悪いんだけど、今から少しつきあってもらえない? 実はうちのばか姉がついさっき受けた依頼で、人手が要るの」 ばか呼ばわりされたリピピのほうは、抗議するでもなくしゅんとしている。ローファルと同じリンクシェルに所属するこの二人は、目の色髪の色も違えば性格も対称的、よくもここまでと感心するほど似たところの見つからない姉妹だった。 「今すぐか?」 「そう。都合が悪いなら他にあたるから、断ってくれていいんだけど。これからガルレージュに行かなくちゃならなくて」 「なんでまた」 ジュノに接するソロムグ原野には、冒険者もよく訪れるダンジョンが一つ存在する。 クリスタル大戦時に建築されたガルレージュ要塞がそれだ。獣人軍の攻撃によって廃墟となった砦は、いまや吸血コウモリやアンデッドの巣くう迷宮と化している。 「それがね、あなたと同郷、サンドリア出身のやんごとなきお嬢さまが…その人、どうやら修道士らしいんだけど。ジュノの女神聖堂へお使いに来て、たまたまガルレージュの話を聞いたらしいのよ」 ぐっと食後のウィンダスティーを飲み干し、タチナナは続けた。 「死霊となってさまよってる大戦当時の軍士たちのことを哀れに思し召された彼女は、危険だって止める司祭さんもふり切って、慰霊の祈りを捧げに一人チョコボで飛びだしていっちゃったんですって。まったくどんな箱入り娘だかしらないけど、迷惑な話よね」 歯切れ良く言い切って、タチナナは己の背丈ほどの高さがある椅子から飛び降りた。 「すみません、お勘定! で、たまたま聖堂にお祈りにいったリピピが、司祭さんに泣きつかれてそのお嬢さまを連れ戻すって言っちゃったらしいの」 そこで、おずおずとリピピが口をはさんだ。 「そのひと一人なら、奥まではいけないだろうし。すぐ追いかけて、連れてくるだけなら…」 「あのね」 きっとまなじりを上げて、タチナナがリピピをにらみつける。 「そりゃ一人で魔防門は開けられないけど、奥まで狩りに行くパーティにでも、こっそり便乗して行っちゃうかもしれないでしょ。仮にも修道士を名乗るなら、インビジ程度は使えるだろうし。頭数そろえて行ったほうがいいに決まってるじゃない。そりゃ急ぐにこしたことはないけど、大事なのはまず、こっちが事故らないことよ。依頼の成否はその次!」 ぴしりと言いきって、タチナナがこちらを振り返った。 「それでローファル、お願いしてもいい? 報酬は四等分、突然無理を言うんだし、もちろんチョコボ代や矢弾なんかの経費は私たちで持つわ」 「ああ、俺はかまわんが…」 「ありがとう! それじゃリピピ、私はいったんモグハウスに戻るから、港でチョコボを四羽頼んでおいてくれる?」 「え、でもあと一人は…」 『タキ、今時間はある?』 突然リンクシェルに、タチナナの声が飛んだ。 『うん? 午後いっぱい、特に予定はありませんけど』 『それなら、急で申し訳ないんだけど、ちょっとお願いしたいことがあるの』 『いいですよ、俺で役に立てることなら』 リンクシェルリーダーと会話しながら、ほら、とタチナナが手でリピピを追い立てる。 反射的に駆けだそうとして、思い直したようにリピピが足を止めた。やわらかな茶色のひとみがローファルを見あげる。 「あの、疲れてるところごめんなさい、ファルさん。また後で」 ぺこりと頭を下げて、転がるように走り出したリピピを見送って、ローファルは給仕をふりかえった。 「そういうわけで、悪いんだが……」 「なに、気にすることないさ。ランチならもう別のお客さんに出しちまったし」 「ああ、そうかよ」 悪びれずに言われて苦笑する。にやにやと笑って、給仕はローファルの肩をこづいた。 「それにしても、昔から女運が悪いよなあ、旦那。年下に振り回される星めぐりっての? 一度ほら、あそこで占ってもらったらどうだい。タルタルの女占い師、冒険者の間でもはやってるらしいぞ」 「あのなあ……」 出かける前からどっと疲れを覚えつつ、ローファルは酒場を後にした。 一行が要塞にたどり着いたのは、やや日も傾きかけたころだった。 チョコボから降りたタキが、西の空を見やる。 「日が落ちるまでには、修道士さんを見つけたいところですね」 「無理を言ってごめんなさい、タキさん。夜は予定があるんですよね」 ローファルが見下ろせば、リピピは両の耳を垂らしてうつむいていた。鞍から忍具を下ろす手を止め、目を細めたタキが人の良い笑顔で笑う。 「や、そっちはなんとかなります。人の命がかかってるんですしね。早く見つけて、司祭さまを安心させてあげたいと思っただけなので、気にせず」 「助かります。ほんとうにありがとう」 エルヴァーンと比べて全体的に顔立ちの甘いヒューム、なかでも優男と見える彼の笑みは恐縮する彼女の気をほぐすことに成功したようだった。謝辞を述べるリピピの面にも、わずかにほほえみが浮かぶのが見て取れる。 「……おい。もうタチナナは行っちまってるぞ」 言い置いて、ローファルは足早に要塞の入り口をくぐった。 そのタチナナは、入口すぐの踊り場で狩りをしていたパーティに駆けよっていくところだった。 「あの、そこの方たち!」 ちょうど小休止中だったらしい彼らに探し人の特徴を伝えると、リーダーらしきミスラシーフがああと声を上げた。 「それらしき娘さんなら、釣りに行く途中で、インビジのかけ直ししてるところを何度か見たよ。見た感じ冒険者でもなさそうなのに護衛なしでうろうろしてたから、気にはなってたんだ」 さらにだいたいの位置を聞き、ミスラに礼を言ってさらに奥へと進む。昼なお暗い要塞のなかは、日没を間近にして急速に視界が悪くなってきていた。 「どうですか、ローファル。それらしい気配は?」 まとわりつくコウモリを片手刀で軽く払ったタキに問われて、ローファルは首をひねった。 「姿と音の両方を絶ってるとなると、ある程度近くまで行かなきゃわからんな。かけ直しの瞬間なら、あるいは……お!」 言っているそばから、広域探査に一瞬人の気配が引っかかり、消えた。 「北だ。さっきの奴らが一門前にパーティはいないと言ってたから、よその釣り役でもないだろう」 足音はもちろん、姿さえなくとも、人が動けば空気が揺れ、埃が舞う。三人を先導して向かった先で、ローファルはほどなく相手を見つけ出した。 「おい、そこの」 声をかけた先で、気配が揺れる。 「ミシェルさん? そこにいますよね?」 ローファルの足元から、リピピがその方向へと声をかけた。 「……あなたたちは?」 澄んだ声が響いたと同時、うす暗い通路に銀髪のエルヴァーンの姿が現れた。 「ああ、よかった。聖堂の司祭さまに頼まれて、あなたを迎えにきたんです」 ほっとした様子で言ったリピピの表情が、わずかにこわばった。その手が背の両手棍に伸びる。 「かの者に…」 「かの者にしばしの眠りを……スリプル!」 先んじて、タチナナが呪文を終えていた。ローブ姿の女性の背後ににじり寄っていた人の子ほどの大きさの甲虫が動きを止める。 己の背後を見た女性が、息を呑む。驚きによろめいた足元が、石床にきざまれた亀裂を踏んだ。 がらり、と乾いた音。 「きゃ…」 「危ない!」 かすかな悲鳴に、一番近い位置にいたリピピが飛び出した。ローファルの、引きとめようとした手はわずかに届かない。 「おい、…ッ!」 人の足が入るかどうかの大きさだった亀裂が、荷重に耐えかね、崩れ落ちる。 女性と、バランスを崩した彼女を支えようとしたリピピを、開いた穴が飲み込むまでにはほんの一秒とかからなかった。 「……リピピ!」 呆然としたのは一瞬、ローファルは崩れた縁に駆け寄った。闇の奥でちかりと翠の閃光がひらめき、激しい風が吹き上げた。それきり、感覚を澄ませど下からは何の気配も感じ取れなくなる。 同じく横にひざをついて、真っ青な顔をしていたタチナナが、ゆらりと立ち上がった。 「ローファル。あのカブト倒して」 「え?」 「ぼうっとしてないで、早く!」 「あ、ああ、悪い」 なんとか気を落ち着けて弓を引く。精神を集中させ、見て取った外皮の隙間に、立て続けに矢を放つ。その一撃でもって、魔法の眠りより戻るいとまさえなく、甲虫が床に崩れた。 「地下空洞に落ちたんだわ。階段からまわって行くわよ!」 あわただしくタチナナがスニークをかける。再詠唱の間ももどかしく、ローファルは手持ちのオイルとパウダーを使った。地下へと続く、崩れかけた階段を駆け下りる。 『リピピ、リピピ聞こえてる?』 しばしの間の後、リンクシェルでの問いに応じたのは、先ほど聞いた女性、ミシェルの声だった。 『ごめんなさい、彼女は私をかばって… ごめんなさい!』 『大声あげないで。今すぐそっちに行くから。怪我は?』 『私はたいしたことは…でも、彼女が、意識もなくて』 『あんたも含めて、アンデッドに感知される前にできるだけ治して』 抑えた声でタチナナが告げる。治癒に集中したのか、相手からの応えはなかった。 タチナナが自分にインビジをかけ直す。 落ちた位置から目処をつけた場所に、果たして二人はうずくまっていた。 各自が知覚遮断の効果を断って、女性に抱えられた娘のそばにひざをつく。怪我の状態を確かめようとして、ローファルはことばを失った。 「ひどいな…」 タキが、やさしげな顔をゆがめて呟く。 リピピの体から染み出した血液が、抱きとめる女性のローブをも赤く染めていく。その小さな体には、明らかに落下によるものではないいくつもの深い裂傷があった。すでに、回復魔法で対処できるレベルを超えた、深い昏睡状態におちいっている。ここまで生命力が失われれば、もうアンデッドさえ見向きもしないだろう。 二人の落下地点を中心にして、あたりの地面には、激しい力で削り取られたような爪あとが広がっていた。 「風の魔法で、落下の衝撃を殺そうとしたんだわ」 タチナナがうなる。 「このばか、全然制御できてないじゃない!」 「タチナナ、それは」 ここまでリピピだけが深刻な状態におちいったのは、他人をかばおうと無理をしたからだ。タキはそう告げようとしたのだろう。 「わかってるわよ、だからばかだって言ってるの! 自分の面倒も見られないくせに……ッ」 吐き捨てる語尾はかすれて消えた。ほんの数秒悩むように眉根を寄せて、タチナナは顔を上げた。 「ミシェルって言ったわね。レイズは使える?」 こわばった顔で、ミシェルはうなずく。 「今ここで蘇生したとしても…」 気遣わしげに言ったタキを、タチナナがひたりと見つめた。 「わかってる。確実にアンデッドが飛んでくるでしょうね。二分、ううん一分でいい。そいつの相手ができる?」 「一体なら」 タキが、言葉少なに答える。 「ローファル、ここでリピピをたたき起こしたとして、何体来る?」 振り向かずに問われ、ローファルは感覚を澄ませた。 「一、二…たぶん、三は来ねえな。短時間でいいなら、一匹は俺が影縫いする」 「できるだけ、接近される前にお願い。特にタキは、リピピをブラッドセイバーに巻き込まないように距離を取って。ミシェル、テレポは習得してないわよね?」 「ごめんなさい…」 「リピピにエスケプさせるから、タキ、合図したら来て。ミシェル、レイズの詠唱を」 はじかれたように、ミシェルが蘇生魔法を唱えだす。 色を失いぐったりとしたリピピの手を、タチナナが握りしめる。 「……女神よ、その大いなる慈悲を、力尽きたる者に与えたまえ……」 長い長い詠唱が、張りつめた場に響く。額に汗を浮かべたミシェルが、その両の手をリピピの胸に置いた。 頭上の崩れた亀裂から、光が落ちてくるような錯覚。魔法を操ることのないローファルでさえ、大きな魔力の動きが感じられた。 ローファルは、娘たちを背にして立ち上がった。これ以上なく神経を張り詰め、敵の気配を探る。背後の、生命の炎がふくらむと同時。 「……北北東と西。タキ、西を頼む!」 吼えて、ローファルは走り出した。 リピピのまぶたが、かすかに動いた。 タチナナは、息を呑んで姉の顔を見つめた。ゆっくりと、茶色のひとみが現れる。 「………タチナナ?」 あえぐように呼ばれた名前に、タチナナはひとつ体を震わせた。 「この、ばか……っ」 癒しの魔法で、おおざっぱに傷をふさぐ。肩を貸して、その体を引き起こした。 「脱出するわよ。泉使って、エスケプするの」 「わたし……ミシェルさんは?」 「あんたのおかげでぴんぴんしてるわ。大丈夫だから、早く!」 半ばもうろうとした様子ながらリピピはうなずき、目を伏せた。その身に宿る魔力がふくれあがる。間を置かず、始めた移動魔法の詠唱が中ほどまで来たことを確認して、タチナナは声を上げた。 「タキ、ローファル! 跳ぶから来て!」 それとほぼ同時に、闇の中で数条の雷光がひらめいた。激しい紫電が、タキを中心に荒れくるう。スケルトンの操る雷の魔法に身を守る分身をかき消され、タキが苦悶の声を上げる。 「…ッ、行きます!」 身に帯びた雷電の名残を振りはらい、タキが駆けだす。それを引き留めるように、スケルトンの指が伸びた。 死せる者のつむぐ呪言が、虚空にひびく。聞き取った詠唱に、とっさにタチナナは静寂の呪を口にした。スケルトンの肉のない喉元を、風の呪縛がいましめるも、間に合わない。 駆けよろうとしていたタキの足もとに、青黒い光がわき上がった。地からはい出た氷のいばらが、その身体にからみつき、はい上がっていく。がくん、とタキの体がゆれた。 縫い止められた足に、その日に焼けたおもだちが愕然とする。 「タキ! …こなくそっ」 死霊が、声を無くした己に戸惑うように、かたかたとあごを鳴らした。その機をのがさず、タチナナはタキのもとへと走った。 「タチナナッ!?」 背後から、かすれた悲鳴があがった。 走りながら、タチナナはそちらを一瞥した。ローファルの足下で、杖を手にした姉が青ざめている。その足下には、ぼうっと転移の陣が浮かびかけていた。 こわばるほおをゆるめ、笑ってみせる。ああ、あんたのほうが死人みたいな顔しちゃって。 「行って! 詠唱中断しないで!」 手にした剣を放り出す。返す手で腰からワンドを引き抜き、精神を集中させた。口の中で魔法を詠唱する。背後で、転移の魔法が発動する気配を感じて、タチナナは小さく息を吸った。 現れ出た赤い闇が、亡者の白く浮かぶ姿にまとわりついた。魔力が生み出した局地的な重力に、目に見えて、向かい来るスケルトンの足どりが鈍る。 ほんの一瞬の安堵。 次いでタチナナは、タキへありったけの回復魔法を、己には防御魔法を発動させた。 スケルトンが、そのぽっかりと空いた眼窩を向ける先を、タキから自分へと移したことを確認する。のろのろとこちらへ歩み始めた亡者をにらみつけながら、タチナナはタキにスニークをかけた。 「……すみません」 「外までの道はわかってるわよね?」 「ええ」 緊張をはらんだ声に、タチナナは続けた。 「あいつは私が足止めする。バインドが解けたら、出口へ走って。私一人なら、なんとでもできるから」 タキの返事を待たず、タチナナは、じりじりと歩みを進める死霊に向かって駆け出した。その横をすりぬける。振り降ろされた鎌をかわして、タチナナは地下空洞の更に奥へと走った。 はるか頭上の石天井に反響するのは、自分の足音、荒い息遣い。周囲に点在する壺型の魔法生物が、うなるような低い音を上げている。 一瞬足を止め、耳を澄ます。 そろそろ、グラビデが切れたころあいだろう。ほんのすこしの間をおいて、かしゃかしゃと、骨のこすれる不吉な音が耳に滑り込んでくる。 もう、タキは逃げただろうか。じっとりとにじんできた汗に、手にした転移の呪符を握り直す。 充分距離が取れなければ、自分が逃げた後、死霊が彼に追いついてしまう。 もう一度後ろを振り返った瞬間、タチナナは足元の何かにけつまずいた。冷たい地面に倒れこむ。 「…ったあ…」 足首をひねったな。舌打ちをひとつ。タチナナは、手のなかの呪符を勢いよく引きちぎった。 ぽうっと、呪符が魔法の光を帯びて、足もとに帰還の魔法陣が浮かびあがり始める。 陣を描いていく光の軌跡は、ごくごくゆっくりしたものだ。 何とか立ち上がろうとした手が、冷たいものに触れた。 「………鎧?」 見下ろして、思わずタチナナはつぶやいた。そうして、先ほどつまずいたものが、かつてこの地で戦った騎士の亡骸であったらしいと気づく。あたりには、タチナナに蹴散らされた壊れた甲冑と、風化しかけた人骨が散らばっていた。 投げ捨てた己の愛剣の代わりに、落ちていた片手剣を手に取る。業物であったのか、長い年月を経ても、牽制程度には使うことができそうだ。 己が来た闇の奥を見据え、タチナナは息を詰める。白い死神が、視界の内にその姿を現す。 剣を支えに立ち上がったタチナナをあざわらうように、スケルトンがそのあごをならした。 「……死ぬつもりなんて、ない」 呪符の発動まで、あともう少し。 「みんなのところに、絶対帰る」 使えない呪の代わりに、己を奮い立たせようとタチナナは声を上げた。 そのとき、突然。 (…………ソレガ) 脳裏に響いた他者の声に、タチナナは驚き、スケルトンから目をはなした。 (…………ソレガ、叶ウノ…ナラバ) (………帰リタイ。……帰リタイ。緑ナス……カノ地ヘ) 声は、ただ繰りかえす。 (………帰リタイ。……帰リタイ。………帰りたい、………) すぐ間近に振り上げられた死霊の鎌が、ぬらりと光る。タチナナは我に返った。 やけに体が重い。それを防ごうととっさに掲げた剣が、……… そこで、タチナナの意識は閉ざされた。 |