- 1 - 永遠に、姿変わらぬ小さき王の治める国。 「栄えていると、聞きおよんではおったが…」 シエラは都を囲む防壁の上から、ためいきをついた。 このデュナンの地を覇するレグルス国、首都たるミューズ。 かつて都市同盟の盟主であったこの地は、新しい国家においても中心として繁栄を続け、シエラの記憶よりもはるかにその規模を大きくしていた。 「さて」 シエラは小首をかしげた。 「…居所がわかっておる者くらいには、挨拶に行くべきかのう?」 ふむとシエラはうなずいた。次の瞬間、少女の姿は翼有る小さきものへと変化する。 やわらかな陽光降りそそぐ春の空を、ひらりと、蝙蝠の白い翼がかすめていった。 「遅かったのう。まったく…わらわは待ちくたびれたぞ」 部屋に入ってきた人影へ、豪奢な椅子にふんぞり返ってシエラは言い放った。 言われた少年は、大きなはしばみ色のひとみを限界まで見開いている。 「………………」 絶句している様子に、シエラは眉を寄せた。 「なんじゃ。よもや、わらわを見忘れたとは言わさぬぞ」 ようやっと、少年の口が言葉をつむぐ。 「シ…シエラさん!」 シエラはうむとうなずいた。 「我が従者の分際で、なかなかよい部屋を使っておるではないか。近くへ来たついででな、挨拶に来てやったぞえ」 少年は、いまだ呆然としたふうにつぶやいた。 「シエラさん、いったい、どこから…」 「窓からに決まっておろう。おんしのところの警備は、いったいなにをやっておるのじゃ? 今後は、頭の上にも注意をおこたるなと言っておくがよかろうな」 「いや…その、普段空から侵入者なんて、来ないから…」 市庁舎とは別に建てられた国府の最上階が、少年の居室だった。 シエラはフンと鼻を鳴らした。 「まあ、良いわ。…で、おんしは客人をもてなす配慮も持たぬのか?」 「あ、あ、うん、今すぐお茶でも出すよ!」 あわてたそぶりで身を返しかけ、少年は足を止めた。 シエラに向きなおり、まじまじと見つめてくる。 「……わらわの顔に、なんぞついておるか?」 シエラが顔をしかめると、少年はフルフルと首をふった。 「ううん…言うのが遅れたけど」 ふわりと笑う。 「いらっしゃい、シエラさん。たずねてくれて、うれしいよ」 出されたもてなしに、シエラは口をとがらせた。 「なんじゃ。茶はまあよいとして…これしかないのか?」 指さす先にあるのは、きれいにむかれたうさぎリンゴ。 「しょうがないじゃないか…お客が来てるから用意して、なんて言えないし」 張りあうように、むうと少年は口をとがらせてみせた。 「これくらいしか、すぐに出せるものってなかったんだ」 言って、持っていた竹串でリンゴを刺す。ぱくりとかじる姿は、見た目の子供らしい姿と違和感がない。 シエラは、本当に久しぶりに見る少年の姿を観察した。 栗色の短い髪も、けして高くない背丈も、自分と同じく昔と何一つ変わるところはない。…いくぶん、線が細くはなったか。 卓に両ひじを付き、シエラはふと尋ねた。 「どうじゃ、カイ。まつりごとはうまくいっておるか? わらわは国情にはうとくての」 少年は、一度またたきをした。 「……そうだね」 こどもこどもした顔つきが、国主のそれに切り替わる。シエラは知らず目を見はった。 「今はもう、ほとんど一つの国として一制度でまとまっているから。…それがいいことなら、うまくいったって、言えるんじゃないかな」 淡々とした口調で、少年は続けた。 「今ならたとえあるじが変わっても、分裂の危険性は、低いと思う」 手にしていた果実を、ことりと皿におく。少年は、どこか醒めた視線を窓の外へ投げ遣った。 「ごく初めは、各都市の自治を尊重していたけど…だんだん、都市それぞれを解体していって。まだ、都市の指導者たちにも、ぼくを英雄かなにかみたいに心棒する人が多かったころにね」 かるく肩をすくめる仕草に、シエラは、昔の少年にはなかったなにかを感じとった。 肉体がどうあろうと、歳月は人の精神を変えていく。それ自体は自然のことわりであり、けして悪しきことではない。けれど。 その事実に感傷じみたものを覚えるのは、…かつて少年たちとともに過ごした時間をなつかしむ心が、自らの中にあるからか。 しかし表情には出さず、ただシエラは首をかたむけた。さらりと銀の髪が頬をすべる。 「おぬし、きちんと休んでおるか?」 「え……?」 突然の質問に、きょとん、と少年は目を丸くした。 「休んでいるか、と聞いておる!」 「え…えっと、その…それなりには」 どもりながら、応えが返る。ふうとシエラはため息をついた。 「どうやら、不健康な生活を送っておるようだのう…こどもは寝ることも仕事のうちぞ?」 「あの…ぼくもう、百は超えて…」 「わらわから見れば、その程度ひよっこも同然じゃ!」 「前から思ってたんだけど、シエラさんって今いくつ…」 シエラの表情に、少年はぶんぶんと首をふった。 「……な、ななんでもないです!」 シエラは、剣呑な笑みを浮かべた。 「おびえるでない。こどもの言いおることに目くじら立てるわらわではないわ」 きっぱりと言い捨て、席を立つ。 「………おもてへゆくぞ。来やれ」 ちょいと招くと、わたわたと少年も立ち上がる。 にっこりと、シエラはうなずいた。 「こどもは、素直が一番じゃな」 適当に、少年を冷たい建物からその中庭まで引っぱり出す。 あたりは新芽が萌えだし、そこここに早咲きの花の姿も見えた。 すうと深呼吸すると、植物のさわやかな香りが胸を満たす。 「だいたい、一日外にも出ぬから、そのように不健康そうな顔つきになるのじゃぞ。良い若者が、恥ずかしいとは思わぬのかえ?」 不満げに少年は何かつぶやいたようだった。 「それ、シエラさんに言われたく…」 無視して、シエラはずんずんと歩いた。 ふと、後ろに続く足音がないのに気づく。 「なんじゃ、カイ。どうかした…」 少年は、遊歩道の脇に植わった木を見上げていた。 細い枝が、道へ張り出すように低いところへ広がって伸びている。その枝先には、小さな深紅の花がいくつもついていた。 「プリマヴェーラ」 少年は、ふうっと呟いた。ゆるゆると、その細い腕が花枝へ伸ばされる。 「ああ、…もう、咲いてたんだ」 シエラは、呆然と聞きかえした。 「……プリマヴェーラ?」 少年が、シエラの方へ目を向けた。 シエラは、ふらりと一歩、少年へ…いや、その樹へと近づいた。 「それは…どうしてその名を、おぬしが知っておる」 「え?」 とまどったように、少年は目をしばたかせた。 「その花は…」 言いかけ、シエラは既視感におそわれた。 どこかで、同じような会話を。…あれは、いつだったろう。 答えは、目の前の少年から返ってきた。 「昔、クラウスさんが…そういう名前なんだ、って」 |