- 3 -


 結局、その後も騒ぎつづけた面々をヤードが追いだし、彼自身も部屋を辞して。
 急に静かになった部屋で、アティは一人くすくすと笑っていた。
「……寝こむのも、けっこういいものですねえ」
「おいおい、良いわけあるかよ」
 扉の外からあきれたような声がして、アティはぱちくりと目をしばたかせた。
「セーンセ、お客さんよ」
 かろやかなノックとともに、スカーレルが顔をのぞかせた。
「いまの声は、ええと……ヤッファさん?」
「それと、かわいい子が二人もいっしょにね」
 にっこりと笑って、スカーレルは後ろに手招きをした。
「さ、お入りなさいな、お嬢さんたち」
 アティは目を見開いた。
 ユクレスの護人に背を押されるようにして、おずおずと入ってきたのはオルフルの少女たちだった。
「こんにちは、セリカちゃんに…イリアさん、でしたよね」
 くっついて入り口に立ちつくしている二人に、アティは微笑みかけた。
「こんな格好で、ごめんなさい。風邪でも引いていないかなって、心配だったんですけど。元気そうでよかったです」
 そろそろと、年下の娘が寝台へと歩みよる。
「おねえさん、どうして寝てるの? セリカのせいで、病気になっちゃったの?」
 半泣きの顔でのぞきこまれ、アティは笑ってかぶりをふる。
「ちょっと疲れてるだけなんです。もうだいじょうぶですよ。心配してくれて、ありがとう」
「…よかったあ」
 ほっとしたように言う少女の後ろから、もう一人の娘がつぶやいた。
「これ。よかったら」
 少し決まり悪そうにそっぽをむいたまま。年かさの娘からぶっきらぼうに突きだされたのは、小振りな籐のかごだった。
「好きだって聞いたから」
 アティは、起きあがった寝台の上から手を伸ばして、それを受けとった。甘い香りが、ふんわりと鼻をくすぐる。中をのぞいてみると、色鮮やかな果実がいくつかつめこまれていた。
「わあ、美味しそうですね。どうもありがとう」
 思わず顔をほころばせると、娘は小さく首をふった。
「セリカを助けてくれて、ほんとうにありがとう…」
 言いにくそうに、続ける。
「それから、ごめんなさい。あんたにケガをさせたわね」
「そんな…謝ってもらうようなことは、なんにもないですよ」
 アティはかごを脇に置き、そうっと娘の手を取った。娘は一瞬体をこわばらせたが、小さく息を吐きだし力を抜いて、その手を預けた。
「あの後ヤッファさんにお薬をもらいましたし、…実は、他のけがと一緒に、まとめて癒しを受けたみたいなんです。ほら、もうきれいに治っちゃいました」
 ね、とつないだ手を持ち上げて、娘に見せる。
「それは、そうかもしれないけど」
 娘は鼻にしわを寄せた。
「元はと言えば、私がセリカちゃんをびっくりさせたのが悪いんですし」
 アティは、小さく息を吸った。
「それに…私たちリィンバウムの軍人がしたことを考えれば、あなたが警戒していたのも…」
「…あんたは違うんでしょう?」
 凛とした声が、アティの言葉をさえぎった。
「仲間を殺す召喚師はきらいだし、許さないわ」
 ぴっと、娘は耳を立てた。かるくにらみつけられる。
「あたしは、あんたのことは信用するって決めたんだから。だから、そんな連中とあんたが同類みたいに言わないで!」
 苛立った口調で言いつのられ、アティは思わず目をまるくした。
「え、ええと…その…ごめん、なさい」
「やれやれ、これじゃどっちが謝りにきてるんだかわかりゃしねえやな」
 護人の、笑いまじりの声が割って入った。
「イリア、おまえな。さっきから、ほれ。爪が出てるぜ?」
「え?」
 言って、娘はアティとつないだままの自らの手を見下ろした。
「ああっ! ご、ごめんなさい!」
 あわてて手をほうり出される。赤く爪の痕が残っていた。
 くつくつ笑って、ヤッファは言った。
「なあ、アティ。ひとつ教えてやるよ」
 アティは、首をかしげてヤッファを見上げた。
「ファルゼンとこの天使のニイちゃんなら、魂のかがやきが見えるから、とでもぬかすところなんだろうが」
 ばつの悪そうにしているオルフルの少女を、くいとあごで指す。
「オレらの世界じゃ、出会った相手が自分に害なす者か、そうじゃねえか…長々とおつきあいしてみてどうだった、なんてやってた日には命がいくつあったって足りやしねえ。…じゃあどうするんだ、って顔してるな?」
 アティは、目をぱちぱちとまたたかせた。
「直感ってやつを、信じるのさ。それができないヤツは、メイトルパでは生きのこれねえ。反対にいやあ、一人前のヤツなら、だれでもその感覚を持ちあわせてる。強い弱いはあってもな」
 ヤッファはアティへ手を伸ばした。なめらかなひたいに手を這わせ、その前髪をかき上げる。とまどう表情をかるく上向かせ、のぞきこんだ。
「オレらが相手を信じるってことは、自分の感覚を信じるってことさ。…だからな」
 間近で、にやりと笑ってやる。
「あんたが自分を無駄におとしめるってのは、オレたちを疑うのと同じことなんだぜ?」
 思いがけないことを言われた顔で、藍色の目がまんまるくなっている。ヤッファは、その頭をぽんとたたいて身をひいた。
「あんたは、あんたを信用してるオレたちを信じていりゃあ、それでいいのさ」
「あ… その」
 アティはしばし口ごもってから、照れたように微笑んだ。小さくうなずく。
「……はい」
 寝台の上で身を返し、イリアのほうへと目を合わせる。
「ごめんなさい、イリアさん。それから、…信じてくれて、ありがとう」
 オルフルの娘は、横を向いたままつんと首を上げた。
「お礼なんて、いらないわよっ」
「イリア、顔赤いよ? なに怒っているの?」
 きょとんとした顔で、セリカがイリアのそでを引く。
「お、怒ってなんかないってば! さっ、もう、帰るわよ! セリカ!」
 声を荒げるそのほおは、かすかに赤く染まっていた。
「あはは、また遊びにきてくださいね」
 のんびりとしたアティの声が、とどめだったらしい。
 小さな妹分の手を引いて、イリアは扉から飛びだした。
「バイバイおねえさん、またねー」
 セリカがふった手の先がちらりと見えて、あとは、二つの軽い足音が遠ざかっていった。


「…急に、静かになっちゃいましたね」
 ふうっと、アティが息をついた。伏せたまぶたが、ほおにまつげの影を落とす。
 幾分ヤッファは声を低くした。
「悪かったな。疲れてるとこ、騒がせちまってよ」
「いえ」
 寝台の背にもたれかかったまま、アティはにっこりと笑った。
「今日は、ありがとうございました。ヤッファさん」
「オレはなにもしてねえさ。あんたが、あんたらしくふるまった結果ってやつだ。…まったく、よくやるもんだぜ」
 知らず、最後はあきれと感嘆が入り混じる。寝台横に引いた椅子へと腰を落ちつけ、ヤッファは言いそえた。
「ああそれからな、礼を言うならまず、あんたが喚んだセイレーヌにだろうよ」
「…え?」
 不思議そうに問いかえされて、ヤッファは小さく笑った。
「たしかに、あんたを池から引きあげたのはオレなんだがな。…あれがいなけりゃ、正直間にあわなかった」
 かいつまんで、池での一幕を告げる。アティは驚きを隠せない様子で聞いていた。
「あんたにゃあ、ごちゃごちゃ説明するまでもないかもしれんがな。相当、無茶な話だと思うぜ。召喚主の魔力なしに何かをしでかすってのは」
 召喚術を学ぶために軍人となったという彼女は、呆然とした呈でうなずく。
「どうして、そんな…」
 もらされたつぶやきに、ヤッファは苦笑した。
「あのな…さっきも言ったろうがよ」
「え…?」
 かすかに、アティは首をかしげた。
「獣ってのはな、おのれに向けられてる感情にゃあ聡いもんさ。隷属物と見なしていやがるのか、それとも個として尊重する気があるのか。…あんたに名を預けた幻獣で、力を貸すのを嫌がる手合いはそうそういねえだろうと思うぜ」
「でも、……」
 困惑顔で、アティは口をつぐんだ。考えこむふうにうつむいて、しばし。
 そのまま、ゆっくりと頭が垂れさがっていく。さらさらと、紅い髪が両脇に流れおちた。
「おい、アティ?」
 声をかけると、びくりと夜着の背がゆれた。
「………っ」
 あわてて沈みかけた半身を上げ、アティは顔を赤らめた。
「し、失礼しましたっ」
「あー…悪かったな」
 ヤッファは頭をかいた。
「オレこそ、ちっとばかり長話が過ぎちまった」
 あらためて見れば、ながながと衰弱した身を起こしていたせいだろう。いつにもましてアティの顔色は白くなっている。
「ったくよ、調子が悪いならそうと…」
 言いながら、むしろ気づくのが遅れた自身へ呆れて、ヤッファは椅子から腰を上げた。
「あ、……あの」
 ほそい声が上がった。こどものように、不安げな目がヤッファを見上げている。
 とっさに見つめ返せば、そこにいるのは既に普段通りの彼女だった。申し訳なさそうに笑って、
「いえ、その、…私こそ長々と引きとめちゃって、ごめんなさい」
 頭を下げられ、ヤッファは深いため息をついた。まわりを見まわし、脇机に置かれた果物かごに目をとめる。
 ひょいと手に取り、椅子に座りなおす。
「……食うかい?」
 アティはびっくりしたように目をおおきくして、それからこくこくとうなずいた。
「は、はいっ」
 かごの中を物色しながら。
 まるでこどものような娘だ、とヤッファは思う。
 それも、欲しいものを欲しいと言えず、我慢ばかりしているこどもだ。
 不器用すぎて、見ているこちらが泣きたくなる。
「しゃあねえなあ…」
「…ヤッファさん?」
 苦笑まじりにつぶやけば、アティは少し気の引けたような顔をした。
「ああ、なんでもねえよ」
 ヤッファは紅く熟したリグドの実に爪を立て、パカリと縦に割った。あらわれた白い果肉の、芯のあたりはうすい金色に透けていて、たっぷり蜜の入った上物だ。
「ほれ」
 その片割れを、アティへ放ってやる。
「と、ととっ…」
 危なっかしい手つきで受け止めて、アティは小さく息をついた。
 横目に見ながら、ヤッファは手に残った片割れをかじり、ゆっくりとかみ砕いた。
 冷たく、甘酸っぱい果汁がのどをすべり落ちる。
「なかなか悪くねえ味だぜ」
 ならうように、アティも果実に口を付けた。小さくかじりつく。
 一口、二口。しゃく、しゃくと音がして、おとなしく口の中の果実を食んでいる様子を、ヤッファはじっと見つめた。
 こくりと白い喉が上下して、アティははにかむように笑った。
「美味しいです…」
「そいつぁよかった」
 赤い実を両手に包んだまま、ずるずるとアティは寝台に沈みこんだ。長い髪がそれを追って、こどものように乱れる。
 ヤッファは手を伸ばし、上掛けをその肩まで引きあげてやる。
「……いいからあんたは、もう寝てろ。ここにいてやるからよ」
 すでにまどろみかけた顔で、ふにゃあとアティは笑った。
「ありがとうございます…」
 その手から、こぼれ落ちかけた果実を取り上げる。アティは、ふわふわした声でつぶやいた。
「こういうの、…ちょっと、あこがれでした」
「あん?」
 ヤッファは目をすがめた。
「具合の悪いとき… そばに、誰かがいてくれるって、うれしいですよね…」
「…そういうもんかね」
 自分だったら、苦しいときこそ人目のあるのには耐えられない。
「ほんとですよ?」
 顔に出ていたのだろうか、アティは困ったように微笑み、ささやいた。
「つらいのだって、痛いのだって…大好きな人にぎゅっとしてもらえばそれだけで、とっても楽になっちゃうんですから」
 返答につまって、最後にヤッファは苦笑いをした。
「ああ、そうかい」
 なんとなく、手を伸ばしてアティのひたいにふれる。少し熱があるようだった。
 アティは心地よさそうに目を閉じた。
「ヤッファさんは、いいにおいがしますねえ…」
 とろんとした、眠りかけの声でつぶやく。
「お日さまに干した、ぽかぽかのおふとんみたいなにおいがします」
 それこそ日だまりの猫のような顔で、アティはほんわり頬をゆるめた。



 ひかえめなノックの音が、一回。
「…あら」
 返答せずにいると、ひょいとスカーレルが顔を出した。
「センセ、寝ちゃったの?」
 ひそめた声に、ヤッファは無言でうなずいた。
 するりと、音なくスカーレルがすべりこんでくる。片手に載せた盆を、静かに脇机においた。
 そっとアティをのぞき込む。
「ふふ、…こどもみたいな寝顔しちゃって。安心しきってる、って感じよねえ」
 ささやいて、スカーレルはヤッファへからかうような笑みを向けた。
「そうしてるとアナタたち、まるで親子みたいよ?」
「おいおい、オレが父親かよ」
 ヤッファは苦笑いをした。
「あらあ、それじゃあご不満なわけ?」
 察しの良い笑いかたをした相手に、皮肉をこめてヤッファはうそぶいた。
「そういうおまえこそ、どうなんだよ?」
「アタシ? アタシはもちろん、やさしい姉さん役よ。それ以上、この子をひっかきまわすつもりもないし」
 その美貌に、暗い自嘲の影が落ちた。
「…ましてやこっちの事情に巻きこむ気もないわ」
 言い終わったときには、まるで手品のようになにごともなかった顔で、スカーレルは微笑んでいた。茶化した口調で問いかえされる。
「だいたいヤッファ、アナタだって、アタシと似たようなものじゃあないの? 他人に深入りするつもりも、させるつもりだってないくせに」
 ヤッファはゆっくりあごをかいた。
「まぁ、な… めんどくせえことなんてな、ないにこしたことはねえ。…確かにそうなんだがよ」
 苦笑を載せて、ヤッファは眠る娘を見下ろした。
「こいつが、はいそうですかって放っておいてくれるようなヤツかどうか…おまえのほうがよく知ってるんじゃあねえのか」
 スカーレルは、苦いものでも飲みこんだような渋い顔になった。
 ため息まじりにヤッファはつぶやいた。
「逃げようもんならそれこそ、どこまでだって追っかけてきやがる」
 紅をひいたくちびるが、ため息をひとつ。
「…言わないでよ」
 そうして、不自然に明るくスカーレルは声を上げた。
「ああもう、アタシとしたことが! せっかくお茶を淹れたのに、すっかり冷めちゃってるじゃないのよ」
 脇机に置かれたティーカップからは、湯気が消えて久しい。口惜しそうに続ける。
「最高級品の茶葉を奮発したのにっ。待ってて、淹れなおしてくるわ」
 しなやかな身のこなしで、盆を取りあげる。
 すばやく出て行ったスカーレルの後ろで、ぱたんと扉が閉まった。


 アティは、ただおだやかに呼吸を繰りかえしている。
 広がった甘い色の髪が、差しこんだ午後の陽に透けて、そのほおをやわらかく縁どっていた。
「……まったくよ。どうしたもんかね」
 ひとりごち、ヤッファは手に収まったリグドの実に目を落とした。
 枝から落ちる果実が自然であるように。
 まるでそれが当たり前のような顔で、まっすぐに飛びこんでくる。
 及び腰になるこちらのことなんて、ああ、まったくのおかまいなしだ。

 まろやかな曲線を描くほおを、指先でたどってみる。
 真実に目をふさいだ、かりそめの楽園へ転がりこんだ紅い果実。
 抗いがたい魅力でもって胸をかき乱す、それを一口、口にした瞬間、世界全てが変わるのだ。


 眠る彼女のくちびるからは、リグドの実の甘い香りがした。







fin.


back(2)       novel