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「スカーレル!」
 リペアセンターの入り口で、待ちかまえていたように声をかけられスカーレルは足を止めた。こちらに歩み寄ってくる女性へ、かるく片手を上げて応える。
「アルディラ……センセの容体はどう?」
 問いかけに、機界集落の護人はうすい眼鏡をついと上げた。
「思わしくないわね」
 告げる彼女の表情はつねにも増して硬かった。冷静そうな仕草に沿わず、そのあわい茶のひとみは焦燥を宿している。
「傷口近くの血液を採取したのだけれど…まだ、使われた毒物の特定ができていないの。データバンクで症状からの検索をかけても、該当する症例が出てこない」
 色の失せたくちびるを噛みしめる。
「急速に、神経系と筋組織の麻痺が進んでるわ。不可逆的な障害にいたるまでの猶予はあって半日ってところかしらね。これから未知の成分を抽出、分析して、対応する解毒剤を作るんじゃあ、…とても間に合わない!」
 押さえきれぬように語気を荒げ、アルディラは大きく息を吸った。激した自らをしずめるようにそっと吐きだす。
「スカーレル。…アティを助ける方法を、貴方知っているの?」
 スカーレルは、小瓶をにぎる手をゆっくりと開いた。怪訝な顔をした相手に差しだす。
「これが、センセを苦しめてる毒…少なくとも、それにごく近いものだと思う。アナタのところでわからないのも道理だわ。たいていの毒物なら術で解毒してしまえる召喚師を、それを逆手にとって暗殺する用途で特別に作られた品だから」
 おどろきに、アルディラの切れ長のひとみが見開かれる。
「どうしてそんなもの、貴方が」
「話はあとよ」
 ぴしゃりとさえぎって、スカーレルは続けた。
「原材料は、サプレスの有毒植物なんだけど…ちょっと凶暴な性質のヤツでね。こっちでいうところの、食虫植物みたいなものかしら。魔力ある存在が触れると表皮をおおう粘液が有毒化して、獲物を麻痺させた上で取りこむの。ただし、サプレスの植物だから、もちろんそれ自体も魔力を帯びてるわ。そのままじゃ自分も毒にやられちゃう。だから、その植物の樹液と毒が混ざれば解毒効果を持つようになってるって仕組み。…参考になったかしら」
 困惑をその面から一瞬で消し去って、アルディラはうなずいた。
「ええ、充分よ」
 小瓶を手渡し、スカーレルは付けくわえた。
「ここへ来る前に狭間の領域に寄って、ファルゼンには掛けあってきたわ。残念ながら自生はしてなかったみたいだけど、植物の特定はできたから、召喚に成功し次第すぐ持っていくって。…あとなにか、アタシに手伝えることはある?」
「それじゃ、集中治療室へ行ってクノンに知らせてきてちょうだい。調合に適した設備のある区画はあの子もわかっているから…」
「わかったわ」
 アルディラが虚空を見あげ、人の身には聞き取れない何かをささやいた。とたん、奥でごうんと隔壁の動く音がする。
 船の修復のために幾度か訪れたことから、だいたいの構造は把握している。長い髪をひるがえし走りだしたアルディラの背を見送ることなく、スカーレルも駆けだした。
 人気のない通路に、かん、かん、と甲高く靴音が反響する。
 両脇の壁は飛ぶように後ろへ流れていくのに、まるで、バネ仕掛けで動くおもちゃのように、床を蹴る感覚に現実味がない。今もまだ、この手のなかに、あの小瓶をにぎりこんでいるような気がしていた。
 どうして、よりにもよって、あれだったのだろう。
 どうして、彼女だったのだろう。ぐるぐると、埒もない問いが頭を回っていた。
 組織を抜ける時に、もう、殺しに毒を使うことはすまいと決めた。
 それが、自分の行いから目をそらすための、ただの逃げだと気づいたから。たとえこの身が返り血を浴びずとも、この手が命をにぎりつぶしていることに変わりはないのだと。
 ただ、あと一度だけ。あいつらからかすめとった毒で、いつか、あの男を殺してやる。そうして、ほんとうに終わりにする。そう思って、手もとに残しておいたものだった。
 たとえどれほど、時と場所をへだてようとも、忘れないために。怨嗟を。復讐を。奪われた、その痛みを。
 けれど、こんな形で自らの犯してきた罪と向き合わされようとは、思ってもいなかったのだ。
「バカよね、…ほんと」
 知らず、つぶやきが漏れた。
 忘れてかけていたのは、自分の手が赤く染まっているという事実だ。
 金の髪の兄妹と、潮風と熱い日射し。たたきつけるスコール、打ちたおす荒い波。
 それらすべてが、この身に染みついている腐った血の匂いを薄めていたから。
 道化の影にひそませていた、この身のみにくさを思い出させてくれたのは。
 くもりひとつなく、みがきこまれた鏡に似た…そう、彼女だ。

 金属製のドアの前でスカーレルは足を止めた。
 息切れにふるえる指先で触れた扉は、ぞっとするほど冷たかった。


 事情を伝えた後の、機械人形の少女の行動は迅速だった。
「スカーレルさまは、このままこちらに残ってください。先生は奥の集中治療室におられます。何かあれば、扉脇の通信機で連絡を。私に直接繋がるよう設定しておきますので」
 いくつかパネルを操作した後、硬質な声で告げ、少女は走り去った。
「…カイル?」
 姿が見えないが、先に来ているはずだ。そう思って呼んだ声に返事はなかった。所狭しと設置された医療器具の奥に開いたままの扉が見えて、スカーレルはそちらへ足を向けた。
 部屋の中には、さらに奥の部屋へ続く扉と、その続き部屋のほとんどを見渡せるようになっているはめ殺しの大きなガラス窓があった。その前に、見慣れた黒いコートの男がこちらに背を向け立っている。
 もう一度声をかけようとして、スカーレルは吸った呼気をそのまま飲みこんだ。
 はめこまれたガラスの向こうに見えるのは、白い施療台に横たえらえた身体。幾本ものコードにつなぎとめられた娘を、ガラスの前で食い入るように見つめる男の金の髪にふち取られた横顔は、不安と焦燥にゆがんでいる。
 哀れな犠牲者と、そのかたわらに呆然と立ちつくす家族、友人、あるいは恋人。それは、スカーレルにとってごく馴染みのある光景だった。
 記憶と異なるのは、そこに横たわっているのが『自分にとって』かけがえのない相手であるということ、ただそれだけ。
 口をついて出かけた慙愧のうめきに、スカーレルはくちびるをかみしめた。
 ああ、そうだ。これこそが、己が重ねてきた罪の姿だ。




 冥界の騎士ファルゼンの副官たるフレイズが、毒草をたずさえて文字どおり飛んできたのは、それからおよそ一刻の後のことだった。
 通常の治療室に移されたアティのそばに、みなが集まる。
 アルディラが、調合した解毒剤をガラス管に満たした。その先につけた注入用の針を、ぐったりと横たわる娘の腕に刺す。居合わせた者みながじっと様子を見守るなか、息のつまるような時間が流れた。
「……どう、クノン」
 血の気の失せたかんばせと、力なく投げだされた腕、時折ふるえるまぶた。目に見える変化はない。緊張を隠さず吐かれたアルディラの声に、寝台の横でモニターを見守りつづけていたクノンが、うすく光る画面から目をはなすことなくうなずいた。
「……効果が出ています」
「よかった……」
 アルディラのくちびるから、かすかな息がふうっと漏れた。
「助かるんだな?」
 急いた口調で問うたカイルに、クノンが視線を動かした。
「薬が想定どおりの効能を発揮するならば、今晩のうちにも意識は戻るでしょう。万が一の急変に備えてモニタリングも続けていますので、特にお願いすることもありません。ですが……」
 淡々としていたクノンの声音が、わずかに逡巡の気配を帯びた。
「カイルさま、スカーレルさま。…お二人には引き続き、こちらに残っていただきたいのです」
「えっ?」
 スカーレルが思わず上げた声を問いかけと取ったのだろう。少し口ごもるようにしてから、クノンは続けた。
「……これは、私の推測に過ぎないのですが。先生が目を覚まされたとき、かたわらに誰かがいれば、『安心』されるのではないかと思うのです。私とアルディラさまは、想定される後遺症を緩和するための薬剤の調合に入らなければなりません。患者のそばに付き添うことは、物理的に不可能となります。ですから……お二人にお願いしたいのです」
「クノン、アナタ……」
 機械人形の少女が見せた意外な情緒に、スカーレルはあっけに取られていた。おそらくはカイルもそうだったのだろう。期せずして落ちた沈黙に、クノンの声音がわずかに揺れた。
「……ダメ、でしょうか」
「あ、いえ、もちろんかまわないわよ、ねえカイル」
 あわてて言ったスカーレルに、隣でカイルがうなずいた。
「お、おう」
「ありがとうございます」
 少女の口もとがほんのわずかにゆるんだ。その様を愛おしげに見下ろして、アルディラがやわらかく微笑む。
「…私からも、お礼を言わせてもらうわ」
「いいや、あいつのことが心配なのは、俺たちだって同じだからな。…っと、そうだった」
 気づいたように、カイルがあごに手を当てた。わずかに眉を寄せる。
「船の居残り組にも、知らせてやらなきゃいけねえな。それから、マルルゥも…慌ててたから放ってきちまった。ちゃんとユクレスに帰ってりゃいいんだが」
「どうかしら。船で待ってるにせよ、いったん帰らせるにせよ、それくらいはヤードが面倒を見たんじゃない?」
 首をかしげたスカーレルに、カイルがうなった。
「かもしれんが、これで今度はあのチビすけに何かあったなんてことになりゃあ、ヤッファに合わせる顔がねえよ。知らせがてらひとっ走り様子を見てくるから、悪いがその間頼めるか?」
「えっ、……あ、ああ、そうね」
 アティと二人残されることに、思いがけぬほどうろたえている己自身にスカーレルは驚いていた。あわてて言葉を継ぐ。
「わかったわ。でもお姫さまのお目覚めには間に合うように帰ってきてちょうだいよ?」
「ああ、そうだな」
 表情をゆるめ、ちらりと笑ってカイルは歩き出した。
「それでは、中央施設の出口までお送りする者をつけます」
「悪いな、助かる」
 あわただしく出て行くカイルたちの背中を、ぼんやりとスカーレルは見送った。
 その後ろで扉が閉まったとたん、しんと治療室に静寂が落ちる。
「…………ああ、もう」
 知らず、つぶやきが漏れた。かたわらでいまだ昏睡している娘の不規則な呼吸だけが、かすかに空気をゆらしている。
 そちらへ視線を向けられず、スカーレルは室内を見回した。冷たい白と銀が占める色合いのなかに、小さな違和感がひっかかる。
 スカーレルは、その違和感のもとへと歩み寄った。
「……花? ハーブ、かしら」
 淡い黄色の小花だった。摘まれてから時間が経っているのか、くたりと首を垂れた花の束が、ガラス瓶に活けられ、部屋の片隅に置かれている。
 スカーレルの薬草に関する知識の隅に、その花はあった。薬用とまでは言わないが、気を安んじるための香料の材料として使われる植物だ。観賞用の草花ではない。まさかクノンが活けたわけもなかろうが、と思いながら指を伸ばす。
 その瞬間、ふいに、背後で娘の呼吸が乱れた。
 はっとして身をすくませる。反射的に澄ませた耳に、かすかな衣擦れの音が届いた。
「……だれ、か」
 弱々しく背中に当たった声に、花を一輪挟んだままで伸ばした指を引き戻す。
「そこに、いるんですか…?」
 ひとつ息を吸いこむ。
「アタシよ、センセ。気がついたのね?」
「………スカーレル?」
 背中にあたる声が、あきらかな安堵に溶けた。
 こわばった脚を叱咤して、スカーレルはふり返った。寝台へと歩みを進める。
「よかったわ、目が覚めたのね。……みんな、ほんとうに心配してたのよ。もちろん、アタシも」
 付け加えたことばが、白々しく己の耳に響いた。横たわる娘をそっとのぞきこむ。
「ずっと、ついていてくれたんですか?」
 いまだ焦点の定まりきらぬひとみでほほえまれて、泣きたくなった。
「さっきまではカイルもいたんだけどね」
 ダメなのに。アナタにそんなふうに笑いかけてもらう資格など、自分にはないのに。
 こちらを見上げてゆっくりまばたきを繰り返していたアティのまなざしが、ふっと一つところを捉えた。色のうすいくちびるがほうっと息をはく。
「あ、その花……よかった」
「えっ?」
 にぎったままだったそれに、いまさらながら気づいてスカーレルは目を向けた。
「これ? …もしかして、センセが摘んできたの?」
 怪訝な思いで問えば、真っ白だったアティのほほに、わずかながら血の気が射した。
「ええと、その…怒らないで、聞いてくださいね」
 なかば、心をさまよわせたままのようなぼんやりとした口調で、答えが返る。
「乾かして、枕元に吊るしておけば、ぐっすり眠れて良い夢が見れるって……昔、ひとりぼっちで、私がなかなか寝つけなかったとき、村の人がそう言って作ってくれて。だから……そうしたら、眠り薬なんか、いらないんじゃないかって」
 スカーレルは絶句した。
「つまらないこだわりかも、しれませんけど…あなたへの贈り物だから、私の手で、取ってきたかったんです」
「……だから、ひとりで行ったっていうの。そんなことのために、わざわざ?」
 ようやくしぼりだした声は、みっともなく震えていた。
「そんなこと、なんかじゃないです。大切なひとを、心配するのっておかしいですか? たしかに、今回はちょっと失敗しちゃいましたけど…」
 自分にそんな価値はない。アナタの前にいると、まぶしくて、苦しくて、辛いばかりで。
 くちびるから飛びだしそうになった言葉を飲み込んで、スカーレルはアティから顔を背けた。手にした花を瓶に戻し、明るい声を作って告げる。
「そんなわけないじゃない、ありがと、センセ。…それじゃ、アタシは行くわね。みんなに、アナタが目を覚ましたことを伝えてあげないと。もう、じきにカイルが戻ってくると思うから心配は……」
「待ってください、スカーレル」
 言いながら扉の引き手に掛けた指が、わずかにすくんだ。ふり返らぬまま言葉を返す。
「…なぁに?」
「どうして、行っちゃおうとするんですか? スカーレルがいてくれて、私、とってもうれしかったのに」
 迷い子のようにゆらぐ言葉に、足が動かなくなる。
「……センセ」
「約束してください。黙って、どこかへ行ってしまったりしないって」
 かすれた声音で、アティは言いつのる。
「だって……スカーレルは、私の家族なんでしょう? 妹のようなものだって、言ってくれたじゃないですか」
 言葉もなく立ち尽くすスカーレルをどう思ったか、アティの声が泣きそうにゆがんだ。
「それなら、そばにいてください。もう、これ以上、私のこと置いていってしまわないで……ッ」
 スカーレルは、ゆっくりと寝台に向き直った。
 アティの青ざめたほおに、涙はなかった。声はたしかに泣きだしそうなこどものそれなのに、乾いた大きなひとみが、すがるように見上げてくるのがかえって痛々しく映る。
「約束してください、スカーレル」
 ぎこちなく、アティの腕が寝台から上がった。
 必死に伸ばされる指先は小刻みにふるえていて、こらえきれずにスカーレルはその手を取った。
「……センセ」
「約束、してください」
 そっと、指をからませる。

 紅く染まったこの手でも。
 ねえ、ほんとうに後悔しない?

 声に出して、問いかける勇気はなかった。
 でもそう、だって、この子が泣いているから。
 言い訳をして、そうしてアタシは、嘘の化粧をもう一枚。
 魔法のようにはりつけて、ええ、そうね約束するわと笑うのだ。






fin.


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