つぶやきが、早朝の街路に落ちてはね返った。 安堵よりも、信じられないという思いが先に立つ。ローファルは、朗報をもたらした男をまじまじと見下ろした。視線の先で、男は肩をすくめてみせる。 「それ以外の、だれの話をしてると思うんだ?」 立ちならぶ建物の間から、太陽がゆっくりとその姿を見せる。ローファルの視線の先で、男がわずかにまぶしげな顔をした。街を包んでいた霧は薄れ、日の出とともに、ジュノはそのあざやかないろどりを取り戻しはじめていた。 「俺もまだ、当の本人を確認したわけじゃないんだが」 男は、そう言いながらふところを探り、小さな麻布を取りだした。湿気を嫌ってだろう、意外に丁寧な手つきで竪琴の弦をぬぐい、皮袋にしまいこむ。 「ジュノ親衛隊員で、各区出口近くのクリスタルを警護してる面子がいるだろう? その詰め所で聞いてみたら、昨日の晩、下層に転移してきてたって話だ」 「おい、そんなことがわかるものなのかよ? 夜だけにしたってあそこに戻ってくる奴なんて、一人二人じゃきかないだろうに」 男が肩をすくめてみせた。 「治安維持の関係で、いちおう記録を取ってるらしいな。素性はシグネットの波長だかで勝手に照合してるんだとさ」 「……それこそ、俺たちが聞いて、ほいほいと教えてもらえるような話か?」 「そのあたりはまあ、なに、よくまわる舌が売りの仕事なんで」 悪びれず言ってのけた男に、黙っていたタキが深いため息をついた。 「吟遊詩人というジョブに、誤った印象を抱かせるような発言はやめてください、フェッロ。それに……それが本当だとして、よく似た名前の別人ってことはないんですか? 無事ジュノに戻ってきていたなら、リンクシェルに連絡くらいあるでしょう」 抑えた声が、街路の石畳に落ちる。 「……そもそもタチナナは、移動魔法を使えなかったはずです」 タキの明るい茶の髪が、うつむいたほほに落ちかかってその表情を覆い隠した。 フェッロと呼ばれた男は、タキに目をやり、ふっと真顔になった。 「ああ…おまえが離脱したときの話からすると、そうなんだろうな」 無造作に切られた黒髪を指先でひっぱりながら、考え深げにつづける。 「だからって、転移ができないと思うのは早合点じゃないか? それなりに功績を上げてる冒険者なら、ガードから帰還の呪符の交付を受けられる。あれのいいところは、魔法とちがって一度開封したなら使用者がどんな状態であろうと発動するってことだ。たとえ意識がなかろうと、瀕死の重傷だろうとね。これなら、死体がない、本人から音沙汰もない、って話ともつじつまが合う」 タキがわずかに眉を寄せた。 「それは、タチナナがそういう状態だと言ってるんですか」 「ああ、いや、そうじゃない、…ただ」 そこで、フェッロがわずかに言いよどむ。 「なんというか……ちょっと様子がおかしかったらしくてな。その時の張り番が人のいい奴で、持ち場を離れて、ほれあの、モンブロー医師の診療所まで連れていってやったって言ってたよ。……命に別状がないってのはたしかだと思うんだが。そいつから聞いた様子が、どうも気になってね」 フェッロがためいきをついた。かるく両手を広げてみせる。 「ま、こんなところでああだこうだ言ってても始まらないだろう?」 「そうですね。…とにかく、診療所へ行きましょう」 「ああ、で、そっちの兄さんはどうするね?」 「俺も……あ、いや、ちょっと先に行っててくれ」 向けられた視線にうなずこうとして、ローファルは思い直した。モグハウスへと引き返す。 射し入る朝日のなか、窓辺におかれたテーブルにつっぷして、年若い修道士はいまだうたた寝を続けていた。 「おい、ミシェル。起きてくれ」 ローファルは、眠る娘の肩に手をかけ軽く揺さぶった。白銀の髪の間からのぞくとがった耳が、ぴくりと動く。わずかの間をおいて、同族の娘は飛び起きた。 「す、すみません! すっかり寝入ってしまって……」 「いや、それはいいんだが、ちょっと出なきゃならなくなってな。タチナナが見つかったらしい」 手短に事の次第を説明すると、恐縮していた娘の表情が、安堵と感謝のそれに変わった。うつむき、小さく女神への謝辞をささやく。 「ともあれ、戻っていらしたんですね。ああ、アルタナ様……!」 ローファルは、リピピの休む寝台へ身をかがめた。こんこんと眠りつづける様子に、この時ばかりはほっとする。 「それで、疲れてるところ悪いんだが……」 「ええ、リピピさんの様子は私が看ています。どうぞ、行ってきてください」 「悪いな、頼む」 しっかりとした口調で言われ、ローファルはかるく頭を下げた。 開診には少し早い時間だったが、開錠されていた診療所の扉を開ければ、待合室にはすでに数名の患者の姿があった。受付の娘に用件を告げると、奥からエルヴァーンの青年医師が顔を出す。ローファルたちを見て、その面差しに人の良さそうな笑みが浮かんだ。 「ああ、あのお嬢さんのお仲間の方ですか。どうぞ、入ってください」 手招かれ、診察室からさらに一つ奥の部屋へと通される。医師が扉脇のランプに灯をともすと、カーテンが引かれたままの室内が、やわらかな橙色のひかりに浮かび上がった。 明るくなった部屋の中、壁に頭側の端をつけて三つ並べた寝台のひとつに、半身を起こした小さな人影がある。 「……タチナナ?」 娘のまぶたは半ばほど開かれていた。青灰色のひとみに、壁の灯りが映り込んでいる。いつも頭の上で二つにまとめている栗色の髪こそほどいていたが、見間違えるはずもない、昨夜はぐれた仲間の姿だ。けれど、なんともいえない違和感に、知らずローファルは眉をひそめた。重ねて声をかける。 「……起きてるのか?」 動きのない彼女に、わずかにこわばった表情でタキが歩み出た。体を包むシーツからのぞいた肩に、そっと手を触れさせる。ふり返り、後ろに控えていた医師がうなずくのを見て、そのまま軽くゆさぶった。 「タチナナ、……タチナナ?」 娘は何の反応も返さなかった。揺れた拍子にかすかに上向いた顔が、ぼんやりと中空を眺めている。 医師が寝台の脇に歩み寄り、軽くタキの肩に手を触れた。 「外傷は足首を多少傷めていただけで、それはすでに治療済みです。ただ……ご覧の通りの容態でして」 医師は、わずかに言葉に迷うそぶりを見せた。 「……意識がないわけではないんです。口に水を含ませれば嚥下しますし手を引けばついて歩きもします。念のために覚醒レベルの検査もしましたが、異常はありませんでした」 「それじゃ、いったい…」 「わかりません。何らかの事故に遭ったショックで、一時的な放心状態に陥っているのかもしれませんが……」 「あの、先生」 診察室から、受付にいた娘の控えめな声が割って入った。 「どうしました?」 「また、そちらのお嬢さんのお連れだとおっしゃる方たちがお見えになったんですけど、そのう…」 歯切れの悪い様子に、医師はこちらへ目礼をひとつして、診察室へと戻っていく。とたん、扉の向こうから、何かぶつかるような物音と、あわてた声音が飛んできた。 「わ、ダメですってば、走っちゃ!」 「きみ、無理に動いちゃいけない! 今案内するから…」 ただ事ではない様子に、ローファルは診察室に続く扉を開いた。ほぼ同時に、転がりこむようにして小柄な影が飛びこんでくる。 身を引こうとするも間に合わず、ローファルの足にぶつかった相手は、小さく叫びを上げて床に倒れこんだ。 転がったつば広のとんがり帽子、こぼれて散らばった黒髪に、ローファルはぎょっとした。 「……リピピ!?」 うずくまった娘のかたわらに、慌ててしゃがみこむ。 「おい、大丈夫か」 はたして、のろのろと顔を上げたのは、休んでいたはずの彼女だった。乱れた髪が血の気の失せたほおにふりかかって、寝台に座る彼女の妹よりもよほど顔色が悪い。 息を整える間があって、意外にしっかりとした声が、そのくちびるから漏れた。 「ファルさん……タチナナは?」 「……あんたな。人の心配する前に、今自分がどういう状態なのかわかってるか?」 思わず声音に険がこもる。 「わかってます。悪くしたって命にかかわるようなことはありません」 苛立ちを抑えようと、ローファルは息を吐きだした。 「そういう問題じゃないだろ……」 ついてきていたミシェルが、いたたまれない面持ちで頭を下げた。 「すみません。……お止めしきれなくて」 「ミシェルさんのせいじゃ、ありません。わたしがどうしても行きたいって言ったんです」 ローファルは舌打ちをした。床についたリピピの腕を取り、抱え上げる。 「おい、つかまれ。…タチナナならそこだ」 寝台の横に下ろすと、すぐにリピピは妹の異常を察したようだった。くり返された医師の説明に、顔色がなお青ざめる。 しばらくの沈黙の後、気丈な声でリピピが問うた。 「つまり、こちらではもう…できる限りのことはしていただいた、ということですね?」 申しわけなさそうな面持ちでうなずいた医師に、ふるえる息を飲みこみ、リピピが頭を下げる。 「ありがとうございました…モンブロー先生。妹は、わたしが連れて帰ります」 「どうするつもりだよ」 ローファルを、リピピが青ざめた顔色で見あげた。 「いっしょに、ウィンダスへ戻ろうと思います。精神的なショックでこんな状態になっているのなら、しばらく腰を据えて静養することになるでしょうし。それにもしかしたら、わたしたちの知らない重篤な呪いなのかもしれません。国に、その筋に詳しい恩師がいるので…」 「……なあ、ちょっといいか?」 やわらかなテノールが、娘のことばにかぶさった。 「フェッロ?」 タキが怪訝な声を上げた。それまですみに控えていた男が、寝台へ歩み寄り間近にタチナナをのぞきこんだ。 「少し、気になることがあるんだが。…そこの修道士さんはどう思う?」 突然投げられたフェッロの視線に、ミシェルが驚いた顔をする。 「なにか、感じないか。いや、俺も正直自信がないんだよな…めっきり、そういう方面の勘はにぶっちまったもんでね」 「フェッロ。気づいたことがあるなら、はっきり言ってください」 思案顔でフェッロが口を開く。 「俺の知り合いで、依頼で古墳に潜ったあと様子のおかしくなっちまった奴がいてな。最初は、気づけばぼんやりしてるくらいだったのが、だんだんひどくなって、しまいには戦闘中でも突然呆けるようになった。やっこさん自身も危なっかしいと思ったらしくて、当時組んでたパーティを抜けて、しばらくは合成でなんとか食いつないでたそうなんだが……」 顔色の悪いまま、ゆらりと体の傾いだリピピが視界に入って、ローファルは思わず顔をしかめた。その肩に手をかけ、寝台に座らせる。 顔を上げると、こちらを見ていたフェッロがおもしろがるような顔つきで、片眉を上げてから続けた。 「ある日、そいつはとある呪物の合成依頼を受けた。頼んだやつといっしょにサンドリアへ行って、免罪官のところでその合成を始めた瞬間…」 パアン、とフェッロは両手を打ち合わせた。タキに目をやる。 「もうオチはわかっただろ? 例の発作が出て、材料はおしゃか。そのショックもあってか、そいつはそのまま昏倒して…そう、ちょうどそこの彼女みたいな状態になった」 「……それで、どうなったんです?」 「結論から言っちまうと、そいつはどうやら、古墳で悪霊を拾ってきちまってたらしい。倒れた場所が、サンドリア大聖堂だったのがよかったんだな。介抱した坊さんが気づいて祓いをやってくれたおかげで助かった。…ま、割っちまった材料の弁償に教会への喜捨だので、しばらくは借金生活だったみたいだが。で、そこの修道士さんに、そういう気配がないかどうか聞いたってわけ」 肩をすくめ、フェッロは話をしめくくった。 タチナナのそばで膝をついていたミシェルは、迷いをのせた声音で首を振った。 「すみません……私の力量では、なんとも。この街の女神聖堂でも…あそこは、布教と人々の日々の祈りのための場所ですから、さしてお役に立てないのではないかと思います」 「ふーむ」 あごに手を当て考え込む様子を見せたのち、フェッロはリピピの前にかがみこんだ。目を合わせるようにして、尋ねる。 「なんだかんだ言っても、俺は部外者だからな。お嬢さんはどうしたい?」 リピピが寝台から降りた。まっすぐにフェッロを、そして他の面々を見あげる。 「……サンドリアに、行こうと思います。今の時点では、フェッロさんの推測が一番状況に即しているように思えるんです」 すうと息を吸って、リピピは深々と頭を下げた。 「でも、いまのわたしとタチナナでは、正直サンドリアまでの移動も厳しいことは重々承知の上です。ファルさん、タキさん。……手を貸してくれませんか?」 「もちろんです。もともと、タチナナが俺をかばってくれてのことなんですから」 「あんたは遠慮しすぎなんだよ。ここまできて、あとは知るかってほっぽり出すと思われてる方が不快だぞ」 呆れも込めて、ローファルはためいきまじりに告げた。 「おー、いいねえ、熱いねえ」 ちゃかすような声音に、ローファルは険をこめてフェッロを見やった。視線の先で、にやりとフェッロが笑う。 「それじゃ、俺も、護衛ツアーにおつきあいさせてもらうかな」 あわててリピピが首をふる。 「そんな、タキさんのお友だちにそこまでしていただくわけには……病人連れじゃ、チョコボの足でもどれくらいかかるか」 「そんなにかからないって。ラテーヌまでは、俺がテレポで送るし」 「……あんたがか!?」 あっさりと答えたフェッロに、ローファルは思わず声を上げた。足もとではリピピも目を丸くしている。 吟遊詩人が、補助的に白魔法の修練を積むことはめずらしくない。それでも、各種テレポとなれば話は別だ。サンドリア教会の秘儀とされるそれらの呪は、習得の難度もさることながら、まず白魔道士として長く修行を積んだ者であっても軽々しく授けられるものではなく、まれに競売に流れるスクロールには破格の値が付いているような代物なのだから。 知らず疑うように見ていたらしく、フェッロが苦笑してみせた。 「俺の古巣はサンドリアでね。修道院で修行を積んでたこともあるから、そのへんは安心してくれていい。たぶん、彼女を看てくれる修道士も紹介できると思う」 我に返るのは、リピピのほうが早かった。 「すみません、驚いたりしてしまって。助かります、フェッロさん」 ぺこりと頭を下げた彼女に、フェッロが笑ってかるく手をふった。 「や、そんな恐縮されるほどのことじゃないって。まあ、そういうことでひとつ、よろしくな」 |