そのうちの一つが目に入って、チョコボのたづなを取っていたローファルは空いたほうの手を上げ目元をぬぐった。 ロンフォールの森を抜けて王都へと続く街道は、降りだした雨に生い茂る木々もあいまって、昼なお暗く視界が悪い。はりつく前髪をかきあげて、ローファルは黒土の踏み固められた道の奥を見透かした。朽ち葉の匂いと雨粒を含んだ風をほおに受け、小柄なチョコボを牽いて進む。 「……おい、リピピ」 その鞍上に乗せた娘がずいぶんと前から黙りこんでいることに気がついて、ローファルは小さく声をかけた。チョコボの鼻面をかるくたたいて、その歩みを止めさせる。 「もうすぐ街につくぞ。…大丈夫か?」 雨よけのフードを深く降ろしたリピピが、チョコボの首もとに埋めていた顔をわずかに上げた。 「あ……はい。すみません、ちょっと、うとうとしてたみたいで」 「……あのなあ、リーチの腹みたいな青い顔して言っても全然信憑性ないってんだよ」 やり取りが聞こえたのか、少し先行していたミシェルがチョコボの首を返し、隣にやってきた。その鞍上には、彼女に背を抱かれるような格好でタチナナが同乗している。 「大丈夫ですか? ご気分が?」 心配そうに言ってきた彼女へ、ローファルはため息混じりに答えた。 「ああ、よくはないみたいだな。……もういいから、無理せず休んでろよ」 言いながら、リピピの頭をチョコボの首すじに押しつけた。強がってみせる気力もないのか、小さな頭は逆らうことなく羽毛に沈みこむ。 「あの……もしよろしければ、なのですが」 前置きをしてから、遠慮がちにミシェルは続けた。 「今晩は、我が家にいらしてくださいませんか。街に着くころには日も落ちます。それから宿の手配をするのも大変でしょうし」 ローファルはちらりとリピピの後ろ頭を見降ろした。いまだ本調子ではない彼女を連れて面倒なレンタルハウスの手続きをすることを思えば、ありがたい申し出だろう。 「そうだな、ちょっと待ってもらえるか……タキ!」 ほどなくして遅れて後ろを歩いていたタキとその友人が追いついてきた。 「なんです、ローファル?」 「今夜の宿なんだが、彼女が実家に俺たちを泊めてくれるって話でな。どうする? 特に当てがないなら、俺は厚意に甘えたいと思うんだが」 「そうですね…ありがたいお話ですが、ちょうどいまフェッロとも宿の相談をしていたところなんですよ」 タキの視線を受けて、黒髪の吟遊詩人が後を継いだ。 「赤魔道士のお嬢さんのほうは、そのまま教会へ連れていっちゃどうかと思ってね。たとえ今晩すぐ看てもらうのが無理だとしたって、寝床くらいは貸してくれるだろ。ただ、まあ、あんまり大所帯だとさすがに嫌がられそうだからなあ」 「あなたたちだけでもミシェルさんのご厄介になれるなら、そのほうがいいかもしれませんね」 「しかしお嬢さんの家に、突然他国者の冒険者なんかを連れてっても大丈夫なのか? 見たところ、けっこういいとこの娘さんに見えるんだけどな」 「どうぞ、お気遣いなさらないでください。これだけお世話になったのにお招きもしなかったとあっては、私が叱られてしまいます。それでなくとも姉は…ああ、我が家の主は姉なのですが、冒険者の方たちにはよく私事の依頼をしていますし、他国の情勢にも興味があるようなので、歓迎してくれると思います」 「こう言っちゃなんだが、この国でそいつはめずらしいな」 フェッロのあけすけな言いように、ミシェルは気を悪くした様子もなく笑った。 「変わり者の多い家系なのかもしれませんね。親戚のなかには、バストゥークの彫金ギルドで学ぶために一族を離れている子もいますし、従姉妹には冒険者になった人だっていたくらいですから」 「へえ、そりゃあたしかに珍しいな。今でも続けてるのか?」 鞍上の彼女を見あげて、ローファルは尋ねた。わずかにミシェルの表情がくもる。 「いえ、二年ほど前に…仲間を守っての、立派な最期だったと聞いています」 「仲間を守って、か」 思わず、眉が寄った。 冒険者が命を落とすのは、単独行動をしている時の事故によることが圧倒的に多い。 パーティを組んでいながらほんとうに取りかえしのつかない事態にまで至ってしまうことは稀だった。理由は簡単で、重傷を負っても、回復魔法、場合によっては蘇生魔法の使い手がいれば大抵は何とかなるからだ。彼女の従姉妹はよほど運が悪かったのだろう。 「……なあ」 途中から黙っていたフェッロが、ふと声を上げた。 「今さらなんだがお嬢さん、あんたの姓を聞いてもかまわないか? 上の名前しか聞いてなかったよな」 ミシェルはわずかに顔を赤らめた。 「あ…そうでしたね。お招きしようというのに、家の名も申し上げずに失礼しました。修道院に入ってからは名乗ることもなかったものですから」 そう言って彼女の名乗った家名は、ローファルには聞き覚えのないものだった。 「それで、どうされますか? 私の方は、何人来ていただいても大丈夫ですが」 「そうですね、リピピもタチナナも、仲間のだれかはついていたほうが安心ですから…ローファル、リピピといっしょにミシェルさんのところへ行ってくれませんか? 俺はフェッロといっしょに教会へ……フェッロ、聞いてますか?」 「ん、あ、悪い。…ちょっとぼうっとしてた。何だって?」 「あなたとタチナナと俺で、教会へ行こうかと思って。かまいませんか」 「ああ、それでいいんじゃないかね。……それにしても、まったく、うざったい雨だな」 つぶやくと、男はローファルの脇をすりぬけ足早に歩きはじめた。 ようやく途切れた森、その先に見えた王都の隔壁にローファルは息をついた。見回りの神殿従騎士へ、会釈代わりに片手を上げて王都の城門をくぐる。 ぐるりと首を巡らせれば、曇天を切り取る灰色の城壁を、ぽつぽつとぱらつく雨がさらに濃い色に染めている。陰鬱で重苦しい空気が水気とともにまとわりついてくるようで、ローファルはかるく頭を振った。 「まったく変わらんな、この街は……」 「ファルさんは、やっぱり王都の出身なんですか?」 足もとから問う声に、視線を下げる。 「あ? まあな」 見あげてくる娘のまっすぐな黒髪が、濡れてひたいに張りついているのが目に付いた。払ってやろうとして思いとどまる。 「ファルさん?」 中途半端に伸ばされて止まった手を、不思議そうな顔でリピピが見つめた。 「いや。悪い、何でもない」 思わず苦笑がもれた。子供のようななりでも、タルタル族としては成人しているはずだ。どうにもひよっこ冒険者だったころの印象が抜けきらないせいか。 「あんた相手に先輩風吹かせるのも、もうここいらが潮時ってやつだよな」 「えっ?」 背を伸ばし、ローファルは何やら話しこんでいるタキとフェッロのほうへと歩き出した。後ろから、おぼつかない足取りで慌てたようについてくる気配に歩調をゆるめる。歩み寄る自分たちに気づいた様子で、フェッロがちらりとこちらへ笑いかけ、またタキのほうへと顔を戻した。 「それで、だ。俺はこのまま、タキと一緒に教会へ赤魔道士のお嬢さんを連れてくってことでよかったんだよな?」 生真面目な仕草で、タキが首を振った。 「いえ、ミシェルさんのご実家に挨拶に寄ってから行こうかと思います。場所も確認しておきたいですし」 「ふーむ、…じゃ俺は、彼女を連れて、一足先に教会へ行ってるよ」 フェッロの提案に、タキがまばたきをした。 「いいんですか? そんなに時間はかからないと思いますけど」 「ああ。お嬢さんを連れて雨の中歩き回るのも難儀だろうしな」 告げて、腕を差しだしたフェッロに、ミシェルがつないでいたタチナナの手をそっと離した。 「姉に事情を伝えましたら、私も教会へ参りますので……」 心配そうにタチナナを見ている様子に、空いた片手でフェッロが頭を掻く。 「だーいじょうぶだって、お嬢さまのエスコートはちゃんとさせていただきますよ。実家に顔を出すのも久しぶりなんだろう。何だったら、そのままそっちに泊まってきちゃどうだい」 「そういうわけにはいきません」 「まじめだなあ、あんた。一日くらい帰還の報告が遅れたところで、どうってことないだろうに」 「ご報告もありますが…泊まりがけになるのでしたら、タチナナさんには付き添いが必要になるでしょうから」 「ああ、まあ、それもそうか」 納得したようにうなずくと、フェッロは娘の手を引いて歩き出した。 「それじゃ、また後で」 肩越しに軽く手を振った背中は、あっさりと遠ざかり、人の間に紛れて消えた。 果物や香辛料を並べる屋台の続く門前から、槍兵通りを抜けてしばらく歩く。慣れた足取りで先導するミシェルに案内された先、瀟洒な邸宅が並ぶ一画に彼女の実家はあった。門番に取り次ぎを願って間もなく、黒髪を後ろになでつけた家令らしき身なりの男が飛んでくる。 「久しぶりですね、ガディウス」 「これは、ミシェルお嬢さま! …どうなされたのですか」 相好を崩して迎えかけた男が、背後のローファルたちを目に留めた様子で表情を改めた。 「ジュノに滞在していた間に、大変お世話になった方たちです。こちらのリピピさんには、私の不心得のせいで大けがまでさせてしまって……」 疲労で顔色を失くしていたリピピが、自分へと向けられた視線を受けて姿勢を正した。丁寧な物腰で会釈をしたリピピに、男が表情をくもらせる。 「それは……お加減もよろしくないようですな」 「もうお一人、その折に死者の呪いを受けた方が教会の施術を必要としていて、みなさん、しばらくサンドリアに滞在することになりそうなの。ですから…」 「当家へお招きさせていただくと、そういうことですかな」 言葉を引き取った男に、ミシェルが屈託のない笑顔を見せた。 「ええ、そうです。ガディウスは話が早くて助かるわ」 男が、わずかに苦笑する気配を見せた。 「お小さいころからお育てした、他ならぬお嬢さまのことですからな。しかし、その…今は」 声をひそめた相手に頓着せず、ミシェルは熱心に続けた。 「早く休ませてさしあげたいんです。姉さまはいまどちらに…」 「フェミトならば出かけているぞ」 命じることに慣れた声音が、ミシェルの問いをさえぎった。 「私も彼女に用向きがあってきたのだが、ちょうどよい折に来ていたようだ。あるじの居ぬ間に小汚い冒険者を連れ込もうとはどういう了見かな、我が親愛なる従姉妹殿」 ミシェルの背が緊張で強ばった。吹き抜けのエントランスホール、その二階部分を囲む回廊からホールへ続く階段を降りてくる者がある。 「……ご機嫌よう、ローラントさま。この方たちは、私の命の恩人なのです。そんな言い方はやめてくださいますか。それに姉さまなら、けしていけないとはおっしゃらないでしょう」 ミシェルの言葉に、貴族然とした男が険しかった表情をわずかに動かした。 「そうか、……おまえを助けたというのなら、そのことには礼を言わねばなるまいな。だが、ミシェル、入れ込むのもほどほどにしておけ。おまえの風評、ひいては家名にかかわる」 尊大に言い放つと、男はローファルたちの横を通り過ぎた。 「こちらは急ぎの用向きでもないのでな。日を置いて出直すとしよう」 玄関へと向かう姿に、先んじた家令が扉を開く。そのまま扉を支えていた家令が見送りに続こうとしたのを片手で制し、靴音高く男は立ち去った。 あっけに取られてその背を見送っていたローファルたちに、心底申し訳のなさそうな声がかかった。 「すみません。我が家なら大丈夫だと言っておきながら、不快な思いをさせてしまって……」 「ああ、いえ、むしろ、あの方のおっしゃりようこそがある意味当たり前というか……っと、こちらこそ失礼を」 珍しい失言をもらしたタキに、ミシェルは弱々しくほほえんだ。 「いいえ、無礼をいたしましたのはこちらです。けれど、できれば、ローラントさまを許してさしあげてください。元より格式にこだわる性ではいらしたのですが……ロンフォールでの道行きでお話ししていた、冒険者として亡くなった従姉妹の、兄にあたる方なんです。歳がずいぶん離れていたこともあって、あの方は、エセルのことをそれはそれは可愛がっていらしたから……」 「エセル?」 聞き返したタキに、従姉妹の名です、とミシェルが付け加えた。 「あ、いえ、エセルさん…ですか」 「もしかして、ご存じなんですか?」 タキが曖昧に首を振った。 「いえ、知人の名に似ていたので」 「それは……」 ミシェルのことばは、再び開いた扉の重々しい擦過音と、喜色のにじむ呼びかけにかき消された。 「ミシェル!」 年の頃なら三十路の半ばほどか、背の高い銀髪の女性が足早に歩み寄る。そのまま、伸ばした腕で彼女を抱き込んだ。 「よく帰ったな、ミシェル」 「姉さま…」 「先ほどローラントと行き会って、話は聞いている。…先ほどは、従兄弟が失礼をしましたね」 ミシェルの背をかるく叩いてから身体を離した女性は、沈鬱な表情でローファルたちに会釈をした。 「妹を助けてくださったことに、まず感謝を。この国での用向きが済むまでと言わず、どうぞあなたたちの疲れが癒えるまで逗留していってください」 最後はわずかに笑んで、女性は締めくくった。 |