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「おい、起きれるか」
 蝶つがいのきしむ音、重なるように降った声にリピピは目を開けた。
 薄闇の中でまばたきをしているうちに、こちらへ歩み寄る気配がある。
 寝台に横たわったままで視線だけをそちらへ動かせば、半ばほど開いた扉の隙間から差しこんだ灯りを背に、背の高い影が見下ろしていた。銀髪のふちが透けてかがやくのに思わず目を細める。
「ファルさん?」
「晩飯だよ。あんた、今日のところは部屋の方がいいだろうからってな、用意してもらった」
「ごめんなさい、わたし、寝てしまったんですね。ファルさんはどうしたんですか?」
「俺はもう食ってきた。食えそうか?」
 寝台脇の卓に盆を置き、壁のランプをつけるローファルの後ろ姿を見ながら、リピピは身を起こした。盆に載せられた食事に目を落とす。煌魚の卵を散らした海鮮サラダに、小麦粉をまぶして焼いた羊肉。湯気の立つパンプキンスープ、赤い果実が透ける羊乳の寒天。
「多すぎたら遠慮なく言えよ、俺が片づけてやる。こんな手の込んだ料理、そうそうお目にかかれるもんじゃないからな」
 笑い混じりに言われて、リピピも小さく笑った。
「それじゃ、いただきます」
 銀の匙ですくったスープを流しこむ。裏ごしはもちろん、生クリームをふんだんに使ったのだろうなめらかな舌触りだった。
「……おいしい」
「だろ?」
「こっちのお肉もぜんぜん臭みがなくて、香草が効いてるんだと思うんですけど…」
 野宿も多い職業柄、調理の心得がある冒険者は多い。自分もその例に漏れず、食材についてはそれなりに詳しいつもりだったけれど。
「セージ、じゃない…マージョラム、ううん、ホーリーバジル、ぜんぜん違う」
 一般的に使われている臭み消しの香草のどれとも違う風味に、考えながら肉を噛みしめていると、隣から種明かしがあった。
「タブナジア群島にしか自生してない稀少な香草なんだとさ。あっちとは最近行き来が始まったばかりだからな」
「タブナジア、ですか…」
 それは、近年まで失われたと信じられていた地の名だ。今はまだ、ジュノ当局からの支援やごく一部の冒険者の渡航があるばかりの未知なる場所。
 卓の横に椅子を引き寄せ腰掛けたローファルを見上げる。
「興味津々って顔だな」
「それは、わたしだって冒険者の端くれですから」
「ふん」
 ローファルが立ち上がった。壁際の荷物へ向かった背中に続ける声は、知らず小さくなる。
「……まだ、力量不足なのはわかってます」
 革製の鞄を一つ抱えて戻ってきたローファルが、どっかりと椅子に座りなおした。
「食い終わったなら飲んどけよ、モンブロー先生が持たせてくれた栄養剤だ。……ああそうだ、これも渡しとく」
「はい?」
 鞄から引っぱり出されたのは薄緑のガラス瓶と、布をかたく巻き付けられた細長い包みだった。自分が腕を広げても余るくらいの長さがある。
 端を少しほどいてみて、まばたきをする。
「片手剣ですか?」
「なんだ、見覚えないのかよ」
 うなずくと、ローファルが怪訝そうな顔をした。
「タチナナのじゃないのか? ジュノで倒れてた時に側に落ちてたって話だが。抜き身だったから、鞘代わりの包帯を巻いたまま忘れてたって、先生の使いがあとから届けてくれたんだ」
「いいえ、タチナナの剣なら、要塞にあったのをタキさんが持ち帰ってくれていましたし……」
「まあ、タチナナが本調子に戻ったら訊いてみりゃいいさ」
 手渡された瓶の封を切って、リピピは口を付けた。
「そうですね……ッ!」
 とっさに口元を押さえる。吹き出すのをこらえたかわりにむせこんだ。含んだ液体を飲み下して、どうにか顔を上げる。
「こ、これ、…」
「おい、そんなにひどい味なのかよ」
 伸びてきた手に背中を叩かれ、リピピは息をついた。
「なんというか…生臭くて、苦くて、ちょっと甘くて…」
「……まあ、良薬口に苦しって言うしな。その分効くと思っとけ」
 ローファルから、なぐさめらしき言葉が返る。今度はむせないように気をつけながら、ゆっくりと飲み干す。空になった瓶を置いたところで、それを載せた盆ごと取り上げてローファルが立ち上がった。ランプを消して扉へ向かう。
「明日は教会に行かなきゃならないだろうし、ゆっくり休んどけよ。…それから」
 開いた扉の前で、廊下の灯りにふち取られた影がふり返った。
「さっきの香草、リヴェーヌ岬ってところで採れるんだそうだ。あんたが行くって時には誘ってくれよな」

 投げられた言葉の意味を考え、勢いこんで返事をしようとした時にはすでに扉は閉められていた。
 知らず上気していたほおを押さえて、毛布の中にもぐりこむ。先ほどまで眠っていたのだ。寝つけるだろうかと考えたのもつかの間、すうっと意識が沈んでいく。小さく息を吐いて、リピピは眠りについた。





 石造りの通路に、どぉん、と鈍い音がひびいた。
 ほこりと血にまみれ、疲労しきった体を休めていた兵士たちが顔を見合わせあう。ゆっくりと消えていく音と入れかわるように、不安げな空気がその場を支配した。
「隊長……これは、おそらく」
「……ああ」
 耳打ちをしてきた壮年の槍兵に、アルテュールはうなずきかえした。
 実物を見たことはないが、想像はつく。攻城戦用の破砕槌でもって、自分たちの隊が立てこもる魔防門を打ちやぶろうとしているのだろう。
 資材も人員も乏しい中、王国軍の威信をかけて落成にこぎつけたばかりの要塞、ガルレージュ。ジュノ攻防戦の要とうたわれた、その存在自体を揺さぶるかのように、不吉な振動は繰りかえされる。
 アルテュールは、苦い舌打ちとともに剣の柄に手を触れさせた。ちらりと視線を投げれば、友軍として派兵されてきているウィンダスの魔戦士たちの多くは、こわばった表情で手に手を取り、通路のすみで身を寄せあっている。
 その、日暮れに宿る小鳥の群れを思わせる集団から一人が離れ、こちらへ歩みよってくるのに気づいて、アルテュールはひとみをすがめた。同じような背格好のタルタルたちは見わけがたいが、あちらの小隊の長と名乗った者のはずだ。
「あの……少し、よろしいですか?」
「どうされた、エトト殿」
 応じれば、相手は金糸で縫い取りをされたクロークのフードを払いおとした。頭頂近くで結わえられた緋色の髪と柔和なおもだちに、ようやくその性別を知る。
 タルタル族の娘は、足下までやってくると沈鬱な声音で告げた。
「……どうやら、ヤグードたちがここまで攻め入ってくるのも時間の問題のようですね」
 一瞬返答を迷ってから、気休めは無礼になるかと思いなおす。アルテュールはうなずいた。
「ああ、我々もそちらとまったく同意見だ」
「正直に言って、私たち魔戦隊にはこれ以上戦いを続けるだけの余力がありません」
 わずかに口ごもるそぶりを見せてから、娘はひかえめに付けくわえた。
「……差し出口とは思いますが、あなたがたも同様であるようにお見受けします」
「何を……ッ!」
「よせ」
 従騎士たちのうち、年若い一人が気色ばむのを、アルテュールは片腕を伸ばし制止した。
「このありさまでは否定できまい。それよりも、エトト殿。なにか算段があっての云い様か」
 緊張した面持ちで、娘は暗く沈む通路の先を見つめた。
「お願いがあるのですが……みなさんを連れて、撤退の指揮を執ってくださいませんか?」
 唐突な提案に、思わず眉根が寄った。
「己の部下を放って、貴卿はどうするつもりだ」
「できるだけ敵を引きつけながら、反対の方向へ逃げてみます」
「な……」
 思いがけない答えに、アルテュールは言葉を失った。それをどう取ったか、娘はことばを継いだ。
「もし囮として機能するほど持ちこたえるのかどうかを危ぶんでおられるのなら、ご心配は無用です。これでも幻術使いのはしくれ、それなりの時間はかせいでみせます」
「……いや」
 ことばを重ねようとして、首を上げた娘と目が合った。
「私のほかは、ほとんど新兵ばかりなんです。……こんなところで死なせたくない」
 娘の決意の色濃い表情に、アルテュールは、翻意をうながす言葉を飲みこんだ。
 けれど、代わりに発するべき言葉も思いつけず、ただ娘の顔を見下ろす。ふと、娘が困ったようにほほえんだ。
「そんな顔をなさらないでください。私とて、生き残るべく、最大限の努力はするつもりですよ」
 エルヴァーンである自分には彼らタルタル族の年齢は計りがたい。とはいえ、少数精鋭をもって知られるウィンダスの戦闘魔導団に籍を置く者が、見た目通りの力なき幼子であろうはずもないことはわかっていた。
 そうであるならば、彼女の覚悟を、同じ軍人として受けいれるしかない。
「……わかった。貴卿の部下たちは、我が隊でたしかにお預かりする」
 娘が、あからさまにほっとした顔になった。
「ありがとうございます」
 胸の前で剣をささげ持ち、礼をとる。
「貴卿に武運を」
 告げて、背を向けた。わずかにほほえんだ気配があって、娘はうなずいたようだった。
「あなたも」
 その声をかき消すように、ひときわ大きな破砕音がひびいた。門が破られたのだ。
「本隊はこれより戦線を離脱、ジュノ大公国まで撤退する!」
 動揺する兵たちのざわめきを払いのけ、腹の底から声を張りあげる。
「魔力の残っている者は癒しの技を! 動けぬ者には手を貸してやれ!」
 両手の指で足りるほどに数を減らした部下と、自分の腰までの背丈もないタルタルたちをせきたて、アルテュールは走りだした。
「………出でよ、聖なる光よ」
 揺れる甲冑の音の合間をすり抜け、娘が精霊を呼ぶ声が聞こえた。しばらくの間をおいて、背にしていてさえ、一瞬視界が白く染まるほどの閃光が届いた。
 とっさに立ちどまりそうになる足を叱咤して、走りつづける。
 騎士たる己が同胞を置いてただ逃げおちようとしている事実に、知らず噛みしめたくちびるからは鉄さびた味がした。
 だからこそ。
「隊長、前方に!」
 先頭を行く従騎士が警告の声を上げた。風の精霊を従え、あるいは異国の刀をたずさえ待ちかまえるヤグードたちの姿を見て、いっそ自分は安堵したのだろう。
「……先に行ってくれ。はぐれ鳥の相手など、私ひとりで十分だ」
 うそぶき、剣を抜いた。
 返される答えを待つことなく、アルテュールはそのまま漆黒の羽根を持つ異形へと突進した。
 東方風の赤い鎧をまとった獣人が、その太刀を振りあげた。身を低くして駆けるアルテュールを迎えて、白刃が空気を切り裂く。
 そのふところへ飛びこみ、刀をにぎる腕を内側から盾で打ちすえる。空いた胴体へと横なぎに片手剣を払った瞬間、獣人は骨ばった足で地を蹴って、おおきく後ろへ飛びすさった。
 黒い羽毛がちぎれて宙を舞う。
 それが落ちるのを待たず踏みこみ、斬撃を重ねた。今度こそ、深く肉を絶つ感触。
 くずおれた相手を飛びこえるようにして、肩をいからせ羽をふくらませた小兵が間へ飛びこんでくる。
 ぎぃんと耳障りな音がした。その両手にかまえられた鉄色の鋭い小刀、空中から交差するように振りおろされた二本の軌跡をとっさに体へ引きよせた盾で防ぐ。
 押しかえす力と反動で、後方へ着地した小兵がたたらを踏んだ。間髪入れず、体重を乗せて刺突をかける。アルテュールの剣を、体勢のととのわぬ相手は羽ばたくように広げた腕で迎えいれた。
 抵抗なくその胸もとをつらぬいた刃に驚愕する間もなく、抱きとめるようにふわりと両の翼が降りた。
 肩口に走った鋭い痛みに息をのむ。鎧の継ぎ目に突きたてられた刀が、ずぶずぶと己の身に沈んでいく。
「………ッ!」
 間近に見た敵兵の黒いひとみには、狂信者じみた熱が宿っている。
 そうだ、彼らヤグードこそ、アルタナの民には理解できぬ教義に命を捧げ惜しまぬ者たち……殉教をもって美徳とする種族ではなかったか。
 とっさにその腹を蹴ってふりほどこうとするも、突然のかまいたちが敵兵の痩身ごと己を包んだ。
 やけどの熱にも似た痛みが四肢をおそう。一瞬、視界が、舞いあがる黒い羽と霧のように漂う血とでふさがれる。
 渾身のちからをこめて、ボロのようになった敵兵を振りはらい、剣をかまえる。
 炯々とひとみを光らせた魔道士らしきヤグードが、そのかぎ爪でこちらをぴたりと指した。
 かたわらでゆるゆると輝く風の精霊が、まとう微風を徐々に荒々しいものへと変化させていく。
「うおおおおおお!」
 吼えて、アルテュールは駆けた。ほおを、腕を、風が深く切り裂く。
 力まかせに剣を振りおろした。鴉めいた悲鳴とともに、ヤグードが倒れる。
 溶けるように消えた精霊を見届けた、そのとたん、肺腑の奥から生温かいものがこみあげた。
「………ッ」
 片膝をつく。ごぼりとのどが鳴った。むせ返った反動で、剣をたよりに支えた上体がくずれ、血だまりへと崩れ落ちた。
 目がかすむ、と思った次の瞬間には、すうと視界が暗くなる。
 遠のきかけた意識をひきもどしたのは、遠い剣戟と、悲鳴のような鬨(とき)の声だった。
 倒れている場合ではない。行かなければ。起き上がろうともがいて、ほんの少しも身体が持ちあがらないまま、のどの奥から金臭い味がこみあげる。
 ざらついた地面を掻いて、指先に力をこめた。利き手には、なじんだ剣の感触がある。
 断末魔の叫びが、また遠くでひびく。甲高い、嗚咽まじりの声が命を乞う。
 その声を途中で断ち切る鈍い音。
 やめてくれ。わめこうとして、のどからかすかに空気の漏れる音がした。
 もう一度起きあがろうともがいたが、切り裂かれた四肢は言うことを聞かなかった。血液とともに、力も抜けてしまったかのようだ。
 抵抗する思いと裏腹に、意識はゆっくりと遠のいていった。


 どれほど時が経ったのだろう。
 ふたたび意識を取り戻したとき、視界は闇に閉ざされていた。目を開こうとする。けれど、まぶたの動く気配がない。
 恐慌を起こしかける精神を押さえつけ、必死に耳を澄ませる。
 剣戟どころか、胸かきむしる悲鳴も絶えている。灼けつく四肢の痛みすら、嘘のようになくなっていた。そのすべてに、かえって寒気がこみあげる。
 必死に意識を凝らして、身体の状態を探ろうとする。利き手の指先に、わずかに感覚があった。
 ……ただの錯覚かも知れない。
 そう思いながらも、手のなかの剣の、冷たい感触にすがる。


 真っ暗で何も見えない。聞こえないんだ。誰もいないのか。
 教えてくれ、戦はどうなった。要塞は落ちたのか。私は、彼らのうちただひとりでも、救うことができたのか。
 誰でもいい……答えてくれ!
 闇へ問いつづける声が音となっているのか、そうでないのかさえわからない。
 身体のそれとともに、時間の感覚も失せていた。もう何年もこうしているような気すらしてきている。

 ……私は、いったいどうなってしまったのだろう。
 戦は終わったのだろうか。
 サンドリアは……私の国は……
 脳裏に、あざやかな森の翠がよみがえる。
 涼しい葉ずれの音、木洩れ日のあたたかさを、音を拾えぬ耳、何も感じぬ肌で思いえがいた。
 虚ろに食われかけた胸のうちに、願いが灯る。
 ああ、もしも叶うのならば、帰りたい。
 緑なす彼の地、私の国へ……
 帰りたい……。





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